21 新しい日常
「結衣は吝嗇だな」
向かいの席に座る信長が、やや呆れたようにつぶやく。
家計簿をつけていた結衣は、不思議そうに顔を上げた。
「そのようなことはせずとも、金は持っておる」
「お金は無限ではありませんよ」
そんな彼に、結衣の方も呆れた。
「儂が稼ぐであろう」
信長にとって、ゼロから財を成すのは簡単なことで。それなりの生活ができるくらいには稼いでくれている。それに、結衣も働いているから、生活に困っているわけではない。
「たとえば」
それでも、結衣は理解してほしかった。
「この先、信長様が事業に失敗した時」
「儂は失敗などせん」
「ですから、たとえ話です。聞いてください」
ふてくされたように唇を尖らせる信長に、結衣が少しだけ強く告げる。
「生活が苦しくなって、華に我慢させなきゃいけないってなったら、嫌だなって」
「そのようなことにはせん」
やっぱりこれだと、信長には通じないか。信長は、自分の才能に自信がある人だから。
「じゃあ、華が大きくなって、進学したいって言った時。……お金の都合で行けない、なんて、言いたくないじゃないですか。華には、自分が好きな道に進んでほしいので」
「そういうものか?」
「はい、そういうものです」
進路なんて、信長にはもっと縁がないはずだ。現代での経験も、それほど多くない。
それでも、家の都合で進路を諦めた経験がある結衣だからこそ、そこは譲れないところだった。
先月、信長が引っ越してきた。会社を滋賀に残したまま。
結衣も信長が買った一軒家に引っ越し、家族3人の生活が始まった。
信長は結衣が働くことを許してくれた。会社にも既婚の女性社員がいるらしく、そのあたりは寛容だった。
そして、華はというと、今月から年中さん。保育園は変わっていないし、お友達の顔ぶれも変わらない。でも、本人は少しだけお姉さんになったつもりでいる。
信長は、遠隔で会社を動かしながら、こちらでも新しく事業を起こすつもりでいるらしく、日々仕事に追われている。
そんな日々の、ちょっとした休日。
なんとなくテレビの音を垂れ流し、華はぬいぐるみで遊び、結衣と信長がそれを見守る。
そんな、どこにでもある日常のひとこまでのこと。
「ねー!」
華が突然声を上げた。
「華、どうしたの?」
華はテレビを指していた。
「みてぇ」
「テレビ?」
家計簿を置いて、結衣は華の隣に座る。それは、結婚式特集のようだった。
「きれーね」
「ほんと、綺麗だね」
「祝言か」
信長もそばに来て、華を抱き上げて膝に座らせる。
「華、祝言に興味を持つには、少々早すぎるぞ」
「んー?」
信長の言葉に、華はわからないと首をかしげて。
「結婚式に興味を持ってるわけじゃないと思いますよ。ねぇ、華? ドレスが綺麗なだけだもんね」
「うん!」
結衣の言葉に、華は嬉しそうに頷いて。
「はなも、おひめさまがいい」
嬉しそうな宣言に、
「何を言う。そなたはもう姫だろう」
と信長が当然のように告げる。
「現代に姫的な文化はありませんから」
確かに、これが戦国時代なら、華は戦国武将の娘、「姫様」などと呼ばれていたのだろう。
しかし、現代では当然そんなことはない。
「では、華は儂の姫だ」
「やーよ」
信長の返事に、華がぷいっと顔をそむけた。
「パパは、おーじさまじゃないもん」
「ふむ……。若殿のようなものか。昔はそう呼ばれておったがな」
「パパはパパなの」
父と娘の会話は微笑ましい。噛みあっているようで、どこか噛みあってない、ぎこちない感じが。
「華は王子様のお姫様がいいんだね」
「うん! おーじさまがね、おむかえにくるの」
この感覚は、きっと現代的なもの。信長が理解するには難しいだろう。
「……おうじさまとは、婿のようなものか?」
しかし、信長はなんとか理解しようとしてくれる。
「そうですね。お姫様のお婿さんです」
結衣が説明してあげると、
「それはいかんな」
信長がそう告げた。
「華、婿となるものは、慎重に選ばなければならない。まずは儂に相談するのだ。よいな?」
「んー? おひめさま?」
そんなことを言われたところで、ようやく4歳になろうとする華に伝わるわけはなくて。
「まだ早いですよ」
と結衣が笑った。
「早いことはあるか。おなごは早くても12を過ぎれば……。いや、令和は違うのか?」
「そうですね。現代の結婚は18歳からって法律で決まっていますから」
「18……ということは、早くても15年後か」
「そうです。15年の間に、準備しておかなきゃですね」
18歳の華なんて、全く想像できない。でも、いつか必ず、そんな時が来る。そんな日を夢みて。
「複雑だな」
信長がそうこぼした。
「華を嫁に出すのは、喜ばしいことだろう。だが、少々寂しくもある」
「お五徳様も幼くして徳川家に嫁いだそうですし、そのあたりは抵抗ないのでは?」
「時代が違う。それに、関わり方も違う。五徳は、父として関わった記憶があまりないのでな」
確かに、天下統一に奔走していた信長に、父親としての役割を強要する人なんて、きっと戦国時代にはいなかっただろう。
その点、華とはよく関わってくれているし、華が幸せそうだ。きっと現代の育児書を読んでたくさん勉強したはずだ。華を妊娠した時の、結衣のように。
「ねー、これ、なんてよむの?」
華がテレビを指して聞いてくる。
「結婚式、だね。大好き同士の2人が、ずっと一緒にいようねって約束する式のことだよ」
そう説明して、結衣は少しだけ寂しくなった。
結婚式に憧れていた。まだ子どもだった頃。
でも、バタバタとしている内に、式という式はできなくて。これからしたい、なんて、今さらだろう。
別に、結婚式なんてなくてもいい。信長と、華と、ずっと一緒にいられるのだから。
「パパとママはぁ?」
華が振り返った。
「おやくそく、した?」
その目は、あまりにも無垢で。
「式をしないこともあるんだよ。でも、お約束はしたかな。華のパパとママになったからね」
「ふぅん」
華はそれを自然なことのように流して。
「するか」
その時、信長が言い出した。
「祝言、したいのだろう?」
「信長様」
「そなたの顔を見ればわかる」
ツン、と頬をつかれて。図星をつかれて、少しだけ恥ずかしかった。
「でも……今さらですよね。お金もかかるし」
「金ならどうとでもなる」
ずっと一緒にいた。戦国での3年間。現代に来てからは離れていたが、結婚式をするには年月が経ちすぎた。
「結衣」
信長が手を伸ばす。
「節約するのは良いことだが、吝嗇もすぎるとつまらないぞ」
信長のゴツゴツとした手が、頬に触れていて。
「祝言の費用くらい、儂が稼いでくる」
それは、力強い言葉だった。
「……わかりました」
その言葉に、元気をもらって。
「やりましょう、結婚式」
その言葉に、信長もふっと笑った。
「では、下調べといくか」
「何を調べるんですか?」
「知らん。だが、りさーちが大事だと、蘭がいつも言っておる」
「ふふ。森本さんらしいですね」
テレビに夢中な華のそばで、結衣は信長とそんな話をする。
「結衣、このふらっしゅもぶというやつはどうだ。なかなかおもしろいと思うが」
「サプライズでやるものですから、わたしが知ってしまうと意味がないかと」
「ふむ。では、結衣は何をしてほしい?」
何をしてほしいか。そう聞かれると、難しい。
「おひめさまがいい」
華が手を挙げた。
「はな、おひめさまがいい!」
「わかった、わかった。華は姫になるのだな」
そんな娘の頭を撫でて、信長は目を細める。幸せな日常が、そこにあった。




