表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/34

18 過去の痛み


 その日、結衣は仕事を休んだ。

 数日前に信長から連絡が来たから。『会いに行く』という言葉だけ。

 覚悟を決めた。だから、華は保育園に預けた。誰にも邪魔されたくなかった。




 信長はひとりで結衣の家にやってきた。森本の案内もなく。

 この現代社会に織田信長がなじむという、奇妙な違和感を覚える。それさえも、どこか遠い感覚で。


「お待ちしていました」

「うむ」


 信長は神妙な面持ちだった。華がいないことに、少しだけ残念そうにしながら。

 それでも何も言わず、信長は椅子に座った。そんな彼の前に、結衣は緑茶を置いて。そして、向かいの席に座った。


「お聞きしたいことがあります」

 前置きもせず、さっそく本題に入る。

「信長様のこの4年間のお話を、聞きたいです」


 その瞬間、信長の顔がわずかに歪んだ。


 それは、不快か、それとも恐怖か。まるで、思い出したくない記憶を思い出すかのように。


「……結衣に話すものでもない」

「それでも、わたしが聞きたいのです」


 信長の退路を断つように。結衣は真っ直ぐ彼を見た。

「では」

 信長が、そっと手を伸ばす。


「儂の手を、握ってくれ」


 どういう意味だろう。そう思いながら、結衣は彼の手を取る。わずかに震えていた。


「あの日のこと、儂はずっと後悔しておった」

 そして、信長は語り出した。


「結衣に、出自を聞いた。どこから来たのかと」

「はい。未来から、と答えました」


 戦国時代で過ごした最後の夜。暗闇の中、身を寄せあって、そんな話をした。


 3年間、信長が一度も聞かなかったこと。気になっていただろうに。

 ようやく来た、と結衣は隠さずに話した記憶がある。


「結衣がいなくなったのは、そのせいだと思った」

「……!」


 信長が手を繋ぐことを求めた理由がわかった。


「時の理に触れたせいだと」


 これから聞くのは、信長の過去。それもまた、時の理に触れるもの。

 こわいのだ。また離れ離れになってしまうことが。


 信長の不安が伝わって、彼の手を握る結衣の手にも力がこもる。


「聞かなければよかったと思った。出自など、どうでもよい。知らずともよいことだ」

「……はい」


 突然離れ離れになったのは、彼も同じ。そして、彼もまた、不安になったのだろう。


「それから一度たりとも、結衣を忘れたことはない。本能寺で死を実感した時、ようやく結衣に会えると思ったくらいだ」


 死が目の前に迫った時、彼はそんなことを考えていたのか。

「……だが、会えなかった」

 信長の声に悲しみが混ざる。


「寺で目が覚め、蘭がここは本能寺だと言った。そして、今は令和だと」


 結衣が、信長に伝えた言葉。『わたしは未来から、令和の時代から来た人間です』と。その言葉を、信長は覚えていたのだ。


「結衣を探したかった。だが、令和という言葉以外、手がかりはない。蘭に聞いても、結衣という名前だけでは探せないと言われた」


 信長が現代に来てから出会った森本が、ずっとそばにいてくれたから。信長は、現実を受け止めることができたのだろう。


「……探したのですか?」

「当たり前であろう。結衣が消えた時から、探さなかったことはない。安土でも、本能寺でも。戦国の世でも、令和の世でも、ずっと探しておったわ」


 信長の言葉で「探していた」と聞けた。それが、嬉しかった。


「だから、会社を立てた。会社が有名になれば、結衣が気づいてくれると思ったからだ」

「……遠回り、ですね」

「急がば回れと言うであろう。多少遠回りであった方が、結衣に早く会えると思ったのだ」


 離れていた4年間。お互いに、お互いのことを思っていた。

 いや、信長は、きっと結衣以上に、結衣のことを考えていたに違いない。


 なぜなら、結衣には華がいたから。華が、信長への想いを、寂しい気持ちを、和らげてくれることもあったから。


 結衣が華の世話に追われて寂しさを紛らわしている時も、信長は誰に癒されるでもなく、ただ結衣と会うために探し続けた。


 それを思うと、心が苦しくなった。


「結衣」

 信長の声に、ハッとする。視界が歪んでいた。その原因を、拭うことはできなかった。信長とつながっていたから。


「そなたは、儂とおると、よく泣くな」


 歪んだ視界の先で、信長が寂しそうに笑っていた。

「考えたのだ」

 信長が、そっと続ける。


「儂がおることで、結衣が泣くのなら、結衣が苦しい思いもするのなら、儂は戦国に帰ってもよいと思う」

「……っ」


 嫌だ、と叫びそうになった。それでも、空いていた手で口を押さえ、かろうじて声を殺す。


「そう、思いたいのだがな」

 信長の声が、やや歪んだ。


「結衣のそばにいたいと思ってしまう。結衣のそばで、華を見守っていたいと。儂のわがままだ」

 わがままなんかじゃない。それは、わがままじゃないと、伝えたかった。


「……っ」

 それでも、口から出るのは、声にならない息だけ。


「結衣、これだけは覚えておけ」

 結衣の手を握る信長の手に、力がこもる。


「儂は、戦国には帰らん。だが、結衣のそばから消えることはできる」

 思わず、ひゅっと喉が鳴った。


「儂がおらぬことで結衣と華が笑って暮らせるのなら、儂はこの先ずっと安土から出ないと約束する」


 嫌だ。嫌だ。心の中で、感情が暴れ出す。


「……いや、です……っ」

 ようやく、言葉になった。


「結衣」


「わたしだって、信長様と一緒にいたいです!」


 暴れ出した感情は、止めようがなくて。


「でも……っ、怖い……っ!」

 呼吸が浅くなる。肩が上下する。 涙とともに流れ出す感情たちを、一気に吐き出す。


「あなた様が……いつか、いなくなってしまうのではないかと……っ。消えてしまうのではないかと、怖いのです……!」


 過去の偉人と、現代を生きる平凡な人間。交わるはずのなかった2人の未来は、あまりにも不確定だった。


「儂はここにおる」

「わたしだって、戦国に生きていました!」


 信長の言葉を否定するつもりはないのに。勢いに任せた声は、強すぎて。


「でも、勝手に現代に戻された! またいつそれが起きるか、わからないではありませんか!」


 時の流れが、信長を奪ってしまう時が、来るかもしれない。


 別れの言葉さえ言えないあの瞬間、あの喪失感を、忘れることはできない。もしもう一度あれを経験したら。そう思うだけで、心の底から怖くなる。


「結衣」

 その瞬間、信長がぐいっと結衣の手を引いた。信長の腕の中に包まれ、結衣はまた涙をあふれさせる。


「写真を撮ろう」

「……なんで……」


「結衣が戦国におった記録は残っておった。現代には、写真という便利なものがあるではないか。それで残しておこう。いつ離れてもいいように。また離れた時に、寂しくならないように」


 信長が、現代に生きていた証を。ともに生きた証を。写真として、残しておこう。信長はそう言った。

「……いなくならないって、言ってください」

 結衣は泣きながらそう言った。


「確証のないものは言えん」

「それでも!」


 彼の言葉を遮って。

「……言ってください」


 必死に、言葉を紡いで。

「それだけで、生きていけます……っ」


 ほしいのは、約束だった。


「儂は、どこにもいかん」


 結衣を抱きしめる力は、強くて。


「そなたがいろと言った場所に、いる」


 それは、きっと結衣のそばではなくても、という意味だ。


 この先を決められるのは、結衣だけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ