表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/34

13 日常


「あ、おかえりなさーい!」

 保育園にいくと、元気な声が飛んできた。


「華ちゃん、お迎えです!」

 玄関に立っていた保育士が、中で子どもたちを見ている人に声をかける。その元気なやり取りには、いつも元気をもらっていた。


「華ちゃんママ、今日はお絵かきをしました。上手に描けているので、見てあげてくださいね」


 たった一言でも、保育園での娘の様子を教えてくれるのは、嬉しい。最初は連絡帳に詳しく書いてあるだけで満足していたのに、欲張りになったものだ。


「わかりました」

 そう返事をすると、

「ママぁ!」

 部屋の奥から華が走ってきた。


「華、走っちゃダメだよ。危ないからね」

「ごめんなさぁい」


 少ししゅんとなりながら、

「あのね、あのね」

 次には一気に興奮を爆発させて。簡単には収まらないだろうが、


「落ち着いて、華。お靴はどこかな」

 お迎えでごったがえすロビーで時間は取れない。


「こっちだよ!」


 華は靴箱から靴を取り出し、室内履きを入れる。ここで手伝うと、嫌がって時間を取ってしまう。少し時間はかかるが、華に任せてしまう方がスムーズだ。

「できた!」

 ようやく靴を履き終えた華が立ち上がる。


「ありがとうございました」

「せんせー、さよーなら!」

 保育園を後にした。


「あのね、きょうね、ほいくえんでね」

 帰り道、華は大はしゃぎでいろいろ報告してくれる。


 友達と遊んだこと。友達の喧嘩を仲裁したこと。お絵かきをしたことに、外で遊んだことも。

 「楽しかったんだね」とか「頑張ったね」とか。そんな言葉で相槌を打ちながら、娘の話を聞いた。


 途中でスーパーに寄り、食材を買っていく。

「おかし!」

 最後にお菓子コーナーに寄ると、華は嬉しそうに飛び出した。


「1個だけだからね」

 そう言い聞かせておいたのに、持ってくるのは2つだったりする。


「ママぁ……」

 決められなかった2つを両手に、上目遣いで聞いてくる。


 自分がかわいいとわかってやっているのだろうか、とたまに思う。でも、ここで折れてはいけない。

「どっちにするか決まった?」

 できるだけ毅然とした態度で。


「じゃあ……こっち、またこんどね」

 少し時間を置けば、ちゃんと整理できる子。


「偉いね、華。ちゃんとお約束守れたね」

「はな、いいこよ」

「本当だ。いい子だね」


 褒めてあげると、嬉しそうに満面の笑みをこぼして。頭を撫でて、会計を済ませた。


「ママ、おかしたべてもいい?」

「いいよ」


 帰り道は少し長い。お腹が空いている中歩かせたくはないため、スーパーの前の公園で休憩がてらお菓子タイム。


「ちゃんと座ってからだよ」

「うん!」

 ベンチに座らせて、結衣も隣に座る。


「ママ、あけて」

 お菓子の封を開けてあげると、華は嬉しそうにかぶりついた。


「おいしいねぇ」

「そうだね」

 ひとときの、静かな時間。お菓子を食べる間だけ訪れるこの時間に、結衣はそっと息をつく。


 いつも元気で騒がしい華が、この時だけは静かになる。お菓子をゆっくりと味わう姿は、まるでグルメ評論家のようで。

「たべた!」

 やがて、元気な声が戻ってくる。


「じゃあ、もう少し頑張って歩ける?」

「うん! がんばるよぉ!」

「いい子。頑張ろうか」


 片手に買い物袋。もう片方で娘の手を取り。日が沈みかける道を、並んで歩いた。




「華、ご飯できたよ。お片付けして」

「もうちょっと!」


 この言葉だけでは動かない。それでも、結衣は知っている。


 コツ、コツ、と秒針が鳴る。そして、19時ぴったり。華がハッと手を止める。小さなお腹の音が聞こえた。

「ごはん!」

 体内時計がしっかりしすぎていて、おもしろい。


「お片付けしてからだよ」

 そう声をかけて、ようやくテーブルに並べ始める。すると、ちょうど並べ終わった頃に、片付けを終えた華が、駆け寄ってきた。


「おてて、洗った?」

「きれぇ!」

「嘘はダメだよ。洗っておいで」


 おもちゃ箱から直行してきたのだから、洗っているはずがない。華は楽しそうに手を洗いに行く。


「ママ! きれぇ、なった!」

「おかえり」


 両手を掲げて走ってきた娘を、椅子に座らせる。


「いただき、ます!」

「はい、どうぞ」


 食前の言葉は保育園で覚えたのだと、自慢されたことがある。『ママ、いただきますってね、だいじなんだよ』と。


 家庭で教えられないことを保育園で教えてくれるのは嬉しい。結衣ひとりでは、どうしても気づかないところもあるから。

 結衣も椅子に座り、箸を持つ。でも、落ち着いて食事ができるわけではない。


「華、こぼしてるよ。ゆっくり食べてね」

 食べることが大好きらしい華は、勢い余ってぼろぼろこぼす。


「野菜だけ避けちゃダメだよ。ちゃんと食べてね」


 それに、好き嫌いも出てきた。子どもは苦味が苦手だというから、苦味が出ない食材や調理方法を心がけているのだが、それでも充分じゃないらしい。


「これ、やぁだ」

「じゃあ1個だけ。あとはママが食べるから。1個だけ我慢して食べられる?」

「んー……」


 確か育児本では、無理して食べさせない方がいいと書かれていた。無理に食べるということで、食事が嫌いになってしまうから。

 初めての育児。不安なことも多い。だから、育児本の通りに心がけた。


「ん!」

「あ、食べられたね。偉いね」

 お茶で流し込みながら、華は得意げに笑う。


「おちゃ、おかわり、ください」

「はい」

 落ち着いて食べられなくても、娘との時間はかけがえのないものだ。この時間を、大切にしたかった。




「きょうはね、これ!」

 寝る前に、華が絵本を持ってくる。


「はい。じゃあ横になってください」

「はぁい!」


 寝る前だというのに、相変わらず元気で。まだまだ眠気なんて感じられない様子にやや不安になりながら、絵本をひらく。


「むかし、むかし」

 落ち着いた声で読み聞かせを始めると、


「ねぇ、ママぁ?」

 華が声を上げた。


「どうしたの?」

 いつもは黙って聞いているのに。


「はなね……」

「うん」

「おじちゃんと、あそびたい」


 それは、子どもらしい願いだった。


「そっか。じゃあ今度、遊ぼうって言っておくね」

「うん!」


 そうしてまた読み聞かせを続ける。やがて、あんなに元気だったのが嘘のように、静かな寝息をたてはじめる。


「おやすみ、華」

 そっと声をかけ、結衣は布団から出た。


 これからは、ひとりの落ち着いた時間。でも、することはある。


 まずは、と華の保育園バッグから連絡帳を取り出す。保育士からの連絡事項や、華の保育園での様子を見て、返事を書かなければいけない。


『お外遊びでは滑り台で何度も遊んでいました。順番も守れていました』


 そんな文章にはホッとして。


『お友達がお父さんの話をしているのを見て、寂しくなったみたいでした。スタッフが抱っこしていたら、落ち着きました』


 その言葉に、ハッとした。


『おじちゃんと、あそびたい』


 寝る前、大好きな絵本を途中で止めてまで、言いたかった言葉。


 あれは、母に言うかどうか悩んで、ようやく口に出したものだったのだろうか。岡崎と、会ったこともない父親を重ねているのだろうか。


 父親のいない子。そう言われないように。華が寂しくないように。結衣は一生懸命気を配ってきたのに。

 そう簡単にはいかない現実に、もどかしくなる。


 スマホを開けば、満面の笑みの娘の写真。フォルダには、岡崎と遊ぶ写真も入っていた。


 いっそ、このまま、岡崎を父親だと思わせておいた方がいいのか。混乱はしないかもしれない。


 でも、いつか実の父親じゃないとわかった時に、傷つくだろうか。


 そして、信長は、どう思うだろうか。実の娘に父親と名乗ることもできず、結衣の一存で会わせないようにすることさえもできてしまう。


 それはイヤだ、と思った。

 せめて、一度だけでも。

 娘と歩く彼の姿を見てみたい。それは、結衣のわがままか。


「……華」

 口からこぼれたのは、娘の名前。

 そう、全ては華のためなのだ。


 華のために、どちらがいいか。そんなの、わかっている。わかっているのに、言うことを聞いてくれない。


 メッセージアプリを開く。トン、とタップしたのは、ある人とのチャット欄だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ