11 公園
「華、公園に行こうか」
「や!」
華がしがみついて離れない。気分転換にと外遊びに誘うも、結衣の膝から離れようとしなかった。理由はわかっている。拗ねているのだ。
あの日、旅行から帰った結衣は、すぐに佐伯家へ向かった。
予定の時間を少し過ぎていて。佐伯には連絡していたが、華は前日の夜からぐずっていたらしく、少し遅くなるという連絡を聞いて混乱した。
結衣がついた時には、涙と鼻水で顔をべたべたにして。
それから数日、登園拒否にまでつながっていた。たった一晩。そう思って離れたが、3歳児にとって一晩は長い。母親がそばにいないと、不安にもなるだろう。
やっぱり、自分は母親でいなければいけない。そう痛感した。
「ママも一緒に行くから。ママ、ブランコに乗りたいな」
「……ほんと?」
「本当だよ。一緒に行ってくれる?」
「……いーよ」
少し不満げながら、なんとか連れ出すことに成功した。
いつもなら大興奮でかわいい洋服を選ぶのに、今日は元気がなくて。おかげで外遊びに適した服を着せやすくはあるが、やっぱり元気がないのは心配だ。
準備をしていると、スマホがメッセージの着信を知らせた。
『大丈夫?』
それは、岡崎からだった。
『どうかしましたか?』
仕事で何かあっただろうか。今日は平日だ。慌てて返事をする。
『ずっと休んでるから。体調崩したかなって思って』
確かに、旅行からだから、1週間くらいにはなるか。心配してくれたのだろう。
『ご心配をおかけしてすみません。公園で遊べるくらいには元気です』
『それならよかった。今、公園にいるの?』
『今から向かうところです。近くにあるので』
「華、帽子かぶって」
メッセージでやり取りしながら準備を済ませるのは、慣れていた。
「ぼーし、これぇ?」
「うん、かわいいね」
娘の頭を撫でてあげる。
『それ、僕も行ってもいいかな?』
岡崎からそんなメッセージが来ていた。平日なのに、岡崎も休んでいるのだろうか。
『大丈夫です』
『ありがとう』
「華、行こうか」
「うん」
スマホをバッグに突っ込んで、結衣は娘の手を取った。
「滑り台があるね。華、好きでしょ? 行ってみる?」
「んーん。ママといっしょ」
いつもなら駆け寄っていく滑り台も、華は結衣の手を握って離さない。
「じゃあ、お砂遊びしようか」
娘を不安にさせた代償だ。落ち着くまではそばにいてあげるしかない。
「お山つくる?」
「んー……」
持ってきておいた小さなバケツに、スコップで砂を入れていく。その間も、片手は結衣の服を掴んでいて。よっぽど不安だったのだろう。
結衣はバケツを支えながら、娘を見守った。
そばにいてあげたい。それは、確かに結衣が感じている感情で。
あの時、どうして忘れてしまったのだろう。自責の念で押しつぶされそうになる。
「ねぇ、華」
小さな声で語りかける。
「ごめんね」
「んー?」
華はよくわからないと首を傾げた。そんな娘の頭を撫でて。
少しは伝わったのだろうか。それとも、ただ好奇心に負けただけか。 華が結衣の裾を離して、バケツを両手で持つ。くるっとひっくり返すと、小さな山ができあがった。
「ママ、できた」
その笑顔は、少しだけ前に戻っていて。
「ほんとだ。上手にできたね」
そう褒めてあげると、嬉しそうに笑う。
「もういっこ」
「うん、もう一個作ろうか」
今度は、片手でバケツを持ち、片手に持ったスコップで砂をつめていく。
「これね、ママのぷりんよ」
「プリンなの?」
「うん。こっち、はなの。こっちがね、ママの」
「そっか。ママのプリンを作ってくれてるんだね。ありがとう」
そんな何気ない会話をしながら。一生懸命になっている娘の横顔を見つめる。
どんなに好きでも、諦めなきゃいけないことがある。それが、娘のためになるのなら。
「できた」
2つ目の山は、少し大きくて。
「さくらんぼ、さがしてくる」
華がたっと駆けだしていった。ごく自然に。少し安心してくれたのだろうか。
やっぱり、連れ出してよかった。 家の中という閉鎖的な空間では、息もつまるだろうから。
「結衣さん」
岡崎の声に、ハッと顔をあげる。
「あ……」
彼は、スーツ姿だった。明らかに仕事だったのだとわかる姿で。
「仕事、大丈夫なんですか?」
「ちゃんと終わらせてきたから、大丈夫。有給も余ってたし」
結衣に気を使わせないように、だろうか。それでも、仕事を休んでまで来てくれた。
「すみません」
「大丈夫だよ。華ちゃんは?」
結衣が視線を向けた先で、華は花を摘んでいた。
「よかった。元気そうだね」
「はい。元気はすごく。有り余ってるみたいです」
「あはは。元気が一番だから」
そう言いながら、彼はスーツが汚れるのも気にせず、砂場の縁に座った。
「汚れますよ」
「別にいいよ。そんな大層なものでもないし」
華の姿を見ながら並んで座るその姿は、まるで夫婦のようで。
「華が、登園拒否してるんです」
「うわぁ……大変そうだね」
「……わたしのせいですから」
ぽつりこぼした言葉を、
「どうして?」
彼は、優しく拾い上げる。
「華を、ひとりにしてしまったんです」
「ひとり?」
「ママ友の家に預けたんですけど、迎えに行くのがちょっと遅れてしまって。ただでさえお泊まりって初めてだったから不安になってたのが、一気に爆発してしまったみたいで」
「……そっか」
母親失格だと言われるだろうか。厳しい言葉は、いくらでも受ける。それで、許されるなら。
「僕は、詳しいことはわからないけど」
彼はそう続けた。
「母親だって、ひとりになりたい時はあるよね」
「……ぇ」
「ずっと母親でいるなんて、難しいと思う。姉もね、たまに両親に子どもたち預けて、ひとりで外出したりしてるんだ。だから、ごく当たり前のことなんじゃないかな」
それは、予想外だった。娘を置いてひとりで出歩くことを、認めてくれるなんて。
「華ちゃんにとっては、いい経験になったと思うよ。華ちゃんが生きていくために、いつか自立する時のために、必要な経験だったんだ」
目の奥がじわりと熱を持つ。
その言葉を求めていたのかもしれない。そんな言葉を伝えてくれたのが、嬉しくて。
「ありがとうございます」
だから、お礼を言った。
「ママ!」
そこに、華が戻ってきた。
「あれぇ? おじちゃん、なんでいるの?」
すぐに隣に座る岡崎を見つけて、不思議そうに首をかしげる。
「華ちゃんと遊びに来たんだよ」
「ふぅん。ちょっとまってね」
持ってきた葉っぱや花で2つの山を飾り付けて。
「できた!」
満足そうに声を上げた。
「お、いいね。なんのおやま?」
岡崎が聞くと、
「ぷりんだよ! はなのと、ままの」
「へぇえ。上手にできてるね」
「んふふ」
褒められれば、得意げで。それは、いつもの華だった。
「華ちゃん、おじちゃん、ブランコしたいな」
「えー」
「ダメかな?」
「いーよ。いっしょにいってあげる」
そして、華は岡崎に手を引いて離れていった。
「ちょっと休んでて」
岡崎はそう言い残して、華に引っ張られていく。
ありがたかった。誰かの助けられながら、華を育てていく。それが、ごく自然な形のようで。
「おじちゃん、じゅんばんだよ!」
少し並んでいたブランコ待機列の最後尾で、華がちょこんと立つ。
「順番だね。華ちゃんはいい子に順番待てるかな」
「できるよ! ほいくえんでね、はな、『おさきにどうぞ』ってするの!」
「お先にどうぞってできるんだ。すごいね」
岡崎の態度は、子どもに対する自然なもので。
きっと、信長ならこうはいかない。順番なんてもの、彼は知らないだろう。
きっと、岡崎なら、いい父親になってくれる。そう思う。わかっているのに。
心の中では、信長のことが離れなくて。
「ママ! みてぇ!」
ブランコに揺られながら、華が叫ぶ。
「華ちゃん、危ないから手、離さないでね」
「うん!」
華の背中を押してあげながら、岡崎が慌てて声をかける。
「ママ!」
「見てるよ」
結衣は笑顔を作った。
いい父親になりそうな人と、好きな人。華のためを思うなら、前者が正解。でも、心が揺れる。
母親になりきれない自分が、嫌いだった。




