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第09話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、給料袋を開封する

 地上への帰り道。

 遭遇した数匹のワーカーアントとソルジャーアントは、文字通り「ついで」に処理した。

 舟木さんが放つ氷結の矢(アイス・アロー)が敵の足を止め、硬直した隙を俺のバールが砕く。

 MPポーションで多少回復したとはいえ、まだ本調子ではないはずだ。

 だが、驚くべきは彼女の適応力だ。

 最初はマニュアル操作特有の不規則な挙動に戸惑っていたようだが、数戦もしないうちに俺の呼吸を読み切り、少ない魔力で絶妙な援護を差し込んでくるようになった。

 さすがは黄金級(ゴールド)上位。

 伊達に修羅場をくぐってはいない。


「じゃあ、また明日。朝八時にゲート前で」


「はい。よろしくお願いします」


 地上へ戻り、夕闇の迫るゲート前で解散する。

 深々と頭を下げる彼女の背中からは、最初に出会った時のような悲壮感は消え失せ、明日の決戦に向けた静かな闘志が立ち昇っていた。


 ……さて、と。

 俺も明日に備えないとな。


          ◇


 上野駅からほど近い分譲マンション。

 ダンジョンが出現して以降、放置すれば魔獣災害(スタンピード)が起きると知れ渡った。

 それだけじゃない。地震みたいな大きな揺れで、ゲート周りが一気にきな臭くなることもある。

 そんな場所の物件が敬遠されるのは当然で、相場は分かりやすく落ちた。

 俺みたいな探索者にとっては、むしろ都合がいい。

 オートロックのガラス扉を抜け、部屋へと向かう。

 独身男には広すぎる3LDKだが、探索者の荷物置き場としては丁度いい。

 毎月、銀行口座に振り込まれる魔石の換金だけで、ローンの残高はとっくにゼロになっていた。


 熱いシャワーで、皮膚に張り付いたダンジョンの瘴気ごと汗を洗い流す。

 火照った体で冷蔵庫を開ければ、冷気と共に鎮座する銀色の缶が俺を招いていた。

 プルタブを起こす小気味よい金属音。

 喉を駆け落ちる黄金色の奔流が、乾いた内臓に沁み渡る。


「……ふぅ」


 あー、最高。

 昨日は自律進化(スタンドアロン)の審査やらでどたどたして、結局飲めなかったからな。

 今日一日の疲労が、炭酸の泡と共に弾け飛んでいくようだ。

 仕事上がりのビールはやはり旨い。休日出勤のあとだと考えるとひとしおだ。


『お疲れ様です、マスター! さっそく今日の収支報告といきましょうか!』


 俺の安らぎを切り裂くように、脳内でナビ子が声を張り上げる。

 ファンファーレのような効果音と共に、視界の端に青い半透明のウィンドウが展開された。


「その前に、明日のクイーンについて詳しい情報を聞いていいか?」


 俺は二口目を呷りながら尋ねる。

 やるからには、準備は怠らない。

 情報は武器だ。特にマニュアル操作においては、事前のシミュレーションが生死を分ける。


『すみません。原種はシステムの干渉をジャミングするため、スキル構成などを解析できないのです……』


「……使えないな」


『むっ、心外ですね。原種であっても、格下であればあるほど情報を覗き見れるのですが……。相手の(レベル)が高いと、システムの解析が弾かれちゃうんです』

『つまり、マスターがレベルを上げてないのが良くないんです』


 ナビ子が言い訳がましく続け、最後には責任転嫁までしてくる。


『ただし、地上に出てきてくれればエネルギーが激減するため、解析できるようになりますよ』


「……地上に出るって、魔獣災害(スタンピード)ってことか? 冗談でもそんなこと言うなよ」


 缶を運ぶ手が、空中で凍りついた。

 アルミの冷たさが指先から急速に体温を奪っていく。

 無意識に籠もった力が、空き缶を微かに歪ませた。


『? 事実を言ったまでですが。モンスターも探索者と同じで、ダンジョン外に出ると魔力供給が断たれて弱体化しますから』


「2011年の『東日本大魔災』……知らねぇわけじゃないんだろ?アカシックレコード?とかにアクセスできるんだし」


 脳裏に蘇る、灰色の記憶。

 砕けたビル群が墓標のように突き刺さり、黒煙が空を塗り潰していく。

 画面越しに響くサイレンと、人々の絶叫。

 日常があっけなく蹂躙され、食い破られていく光景。

 当時、俺はまだ小学生だった。

 安全なリビングで、ただ呆然と世界がひっくり返る様を眺めることしかできなかった無力感。


『……すみません。そういうつもりじゃなかったんですが』


 しゅん、と項垂れるような気配が伝わってくる。

 まるで叱られた子供だ。

 こういう妙に人間くさい反応をされると、ただのプログラムだとは割り切れなくなる。


「……まぁ、これから覚えていけよ」


『……はい』


 AIに倫理観を説いても始まらないか。

 俺はため息をつき、残りの酒を胃に流し込む。

 意識を切り替える。


「さて、気を取り直して給料袋の開封といくか」


『はい! 本日の戦利品はこちらになります!』


 ナビ子の声が弾む。

 目の前に、カジノのスロットマシンのような派手な演出と共に、リストが表示された。


 【ドロップ選択】

 対象:ワーカーアント ×5 / ソルジャーアント ×3


 1. ワーカーアントの甲殻(小):ノーマル×5 - 経験値0.1%消費

 2. 酸袋:ノーマル×5 / 粘液:ノーマル×5 - 経験値0.1%消費

 3. ソルジャーアントの顎:ノーマル×3 - 経験値0.1%消費

 4. 外骨格の破片:ノーマル×3 / 強酸袋:ノーマル×3 - 経験値0.1%消費

 5. 働き蟻の献身:エピック×1 - 経験値8%消費

 6. 兵蟻の闘志:レア×1 - 経験値3%消費

 7. 全吸収 - 経験値100%吸収


 確定ドロップは自動的に既にインベントリへ収納されている。

 選択ドロップはエネルギーに変換するか、実体化させるかを選べる仕組みだ。

 通常の探索者なら何百回潜っても手に入らないレア素材を、カタログギフトのように選べるこのシステム。

 背徳感すら覚える優越感が、胸の奥をくすぐる。


 詳細を確認する。


【働き蟻の献身:エピック】

分類:特殊素材 / 魔石

効果:所持者のスタミナ回復速度を微増させ、限界を超えた動きを可能にする。

説明:王のためなら、肉体が崩れようとも動き続ける狂気的な忠誠心の結晶。限界を超えた労働を可能にする。


【兵蟻の闘志:レア】

分類:特殊素材 / 魔石

効果:戦闘中の反応速度と判断力を一時的に向上させる。

説明:女王の命に従い、侵入者を排除するために戦い続けたソルジャーアントの闘争本能が結晶化したもの。装備に組み込むことで、戦闘時の集中力を高める効果がある。


「……働き蟻は社畜の鑑で、兵隊蟻は戦闘狂か。アリの世界も大変だな」


『ですねー。どちらも素材として使えそうです。明日の戦いに役立つかもしれませんよ』


 不穏な説明文だが、エピック等級とレア等級なら、それぞれそこそこの値段がつくだろう。明日の闘いに役立つ可能性も捨てきれない。

 俺は、5番と6番を選択。

 通常素材は経験値に変換し、レアアイテムだけを実体化させる。


 そして、本命。

 あの女王の近衛蟻(ロイヤル・ガード)からのドロップ品だ。


 舟木さんから押し付けられた……いや、譲り受けたアイテムがある。


【処刑人の顎刃:ノーマル】

分類:魔獣素材

効果:武器の切れ味を向上させる素材。

説明:ロイヤル・ガードの大顎。鋼鉄をも容易く切断する切れ味を持つ。加工すれば強力な武器になる。


「……これだけでも、結構な値段になりそうだ」


 俺は顎刃をインベントリに放り込む。


『マスター、ここからが本番ですよ! ロイヤル・ガードのドロップ抽選……オープン!!』


 ナビ子の掛け声と共に、ウィンドウが爆ぜるように光り輝く。

 まるでテレビの特賞発表のような過剰演出。

 だが、その中身は、演出負けしていなかった。


 【ドロップ選択】

 対象:ロイヤルガード ×1


 1. 処刑人の顎刃:ノーマル×1 - 経験値0.5%消費

 2. 近衛兵の外骨格:レア×1 - 経験値2%消費

 3. 闘争ホルモンの結晶:エピック×1 - 経験値8%消費

 4. 女王の近衛兵勲章:レジェンダリー×1 - 経験値15%消費

 5. 全吸収 - 経験値100%吸収


 リストの一番上、先ほど手に入れた顎刃の項目はグレーアウトしており、すでに選択不可となっている。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 俺の視線は、一点に釘付けになっていた。


『マ、マ、マ、マスター!! め、目が! 私の視覚センサーが!』


 ナビ子の声が、ノイズ混じりの金切り声に変わる。

 普段の落ち着いた口調はどこへやら、完全に処理落ちを起こしているようだ。


『見てくださいこれ! 文字色が……橙色に輝いてますぅぅぅ!!』


 リストの4番目。

 そこだけが、世界から切り取られたような異質な輝きを放っている。

 部屋の照明すら霞む、圧倒的な存在感。


 【女王の近衛兵勲章:レジェンダリー】


 その文字列が、俺の心臓を鷲掴みにした。

 見てはいけないものを見てしまった感覚。

 伝説級(レジェンダリー)

 探索者であれば誰もが夢見、そして一生手に入れることのない至高の領域。

 モノによっては、国家予算レベルの金が動くとも、一つ持てば国家の要人待遇を受けるとも言われる、現代の神話そのものだ。


「……マジか」


 口から漏れたのは、乾いた笑い声だけ。

 こんな、しがないおっさんの部屋にあっていい代物じゃない。

 本来、中層上部のモンスターが宿せるような概念じゃないはずだ。

 奴が、女王を守るためだけ(ロイヤル)に存在する特殊個体(・ガード)だったからこその奇跡。


「3と4の詳細を出してくれ。……ナビ子、生きてるか?」


『は、はいぃ……! 震えが止まりません……!』


【闘争ホルモンの結晶:エピック】

分類:消費アイテム

効果:一時的に全ステータスを上昇させる。副作用として効果終了後、一定時間はステータスが激減する。

説明:女王を守護するためなら、自らの肉体が崩壊することも厭わない決死のホルモン結晶。生命維持のリミッターすらも強制解除する危険な劇薬だが、その効果は絶大。


【女王の近衛兵勲章:レジェンダリー】

分類:装飾品アクセサリー

効果:『精神・感覚守護(Lv.Max)』を付与。精神干渉系のスキルを完全無効化する。

説明:女王のみを信奉し、その身の全てを奉じる覚悟の証。他国の調略や干渉を一切寄せ付けない絶対的な忠誠心を形にした、近衛兵のみが授かる至高の勲章。


『す、凄いです……! 精神系の完全無効化……! これがあれば、どんな精神攻撃も無意味です! 流石レジェンダリー!』


「……ふむ」


『ただまぁ……』


 ナビ子が、少し冷静さを取り戻して付け加える。


『モンスターの精神攻撃って、アバターシステム経由でかかることがほとんどなので、自律進化(スタンドアロン)のマスターにはあんまり意味がないんですよね……』


 その言葉が、熱狂に冷水を浴びせる。

 そう。

 市場に出せば、それこそ遊んで暮らせるだけの富が得られるだろう。

 名声も、地位も、思いのままだ。

 だが、今の俺に必要なのはなんだ?


 金か? 名誉か?

 違う。

 明日の命だ。


「なぁナビ子。このホルモンの結晶は使えそうだな」


『えっ? は、はい。副作用は怖いですけど、ステータス上昇量は凄まじいですから』


「こいつは貰う。だが、このレジェンダリーは……不要だ」


『え……?』


 一瞬、ナビ子の思考がフリーズする気配。


『ええええええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! レジェンダリーですよ!? 捨てるとか正気ですか!? 売れば東京の一等地が買えるほどの金額になるんですよ!?』


「金には困ってない。それに」


 俺は唇を歪め、ニヤリと笑った。

 目の前の橙色の輝きよりも、もっとドス黒く、熱いものが腹の底で渦巻いている。


「今は少しでもステータス(レベル)を上げて、物理で負けないようにする。明日の相手は格上だ。目先の大金より、一発の火力が欲しい」


 今は少しでもステータス(レベル)を上げて、物理で負けないようにする。

 明日の相手は格上だ。目先の大金や特殊能力より、一発の火力が欲しい。


「結晶は確保。だが、アクセサリーは俺には不要」


『あぁ〜……知りませんよ? レジェンダリーを経験値にするなんて、人類史上初の大馬鹿野郎として歴史に残りますよ!?』


「光栄だな」


 俺は躊躇なく「3. 闘争ホルモンの結晶」を選択し、続けてレジェンダリーを「経験値」へと変換した。

 瞬間。


 ドクンッ!!


 心臓が早鐘を打ち、肋骨を内側からきしませる。

 指先から、灼熱の奔流が流れ込んできた。

 レジェンダリーを構成していた複雑怪奇な概念コードが解け、膨大な純粋エネルギーとなって俺の中へ雪崩れ込む。

 血管の一本一本を無理やり拡張し、筋肉繊維をミシミシと音を立てて作り変えていく。


 熱い。

 焼けるように熱い。

 だが、不快ではない。

 力が満ちていく全能感が、脳髄を甘く痺れさせる。


『エネルギー充填、完了。レベル上昇を確認』


 ナビ子の声が震えている。

 まるで、見てはいけない怪物の誕生を目撃してしまったかのように。


『Lv.232 → Lv.252。一気に20レベルアップです!』


「ふぅー……」


 俺は長く息を吐き、拳を握りしめる。

 Lv.250の壁を越え、黄金級ゴールドの中位になったのか。

 軽い。

 体が羽のように軽い。

 それでいて、鋼鉄のような密度が指先に宿っている。


「よし」


 これなら、いけるだろ、知らんけど。

 俺は立ち上がり、窓の外を見上げた。

 星の見えない東京の夜空。

 その下で、今もダンジョンは口を開けている。


「……明日は休日出勤だ。さっさと寝て、蟻に人間様の偉大さを教えてやるか」


          ◇


 光の届かない深淵。

 腐臭と湿気が支配する、奈落の底。

 闇そのものが凝縮したかのような漆黒の影が、女王の玉座の近くで蠢く。


『イタイ。イタイ。傷ガ、マダ疼ク』


 影の深奥から、怨嗟の声が漏れ出る。

 癒えることのない傷。

 焼けるような痛みが、その身を苛み続けていた。


『食イ損ネた。モウ少シデ、平ラゲラレタノニ』


 脳裏に焼き付いているのは、あの時の味。

 恐怖と絶望に染まった、極上の獲物。

 あと一歩だった。

 あと少しで完全に喰らい、その力を我が物とできたはずだったのに。

 邪魔が入ったのだ。

 忌々しい、異物によって。


 憎悪が闇を揺らす。

 息を潜め、時を待ち、力を蓄えてきた。

 そして今、鼻腔をくすぐる匂いが漂ってくる。


『上カラ、アイツノ匂イガ、スル』


 忘れもしない。

 我が身を切り裂いた、憎き敵の魔力残滓。

 そして、その近くにいるであろう、食い損ねた獲物の縁者の匂い。


『チカクニ、良イ餌ガアル。』


 視線がギョロリと横を向く。

 女王の玉座のすぐ側。

 そこには、同胞でありながら強大な精神エネルギーを宿す、極上の糧がある。


『アレヲ齧って、力ヲ奪ウ。ソウシタラ、上ヘ行ク』


 同胞の力を喰らい、より確実に、より残虐に。

 復讐と捕食の時は近い。

 黒き絶望が、歪な顎門(あぎと)を開いて嗤った。


『待ッテロ。……必ズ、食ライ尽クシテヤル』


【読者の皆様へのお願い】


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