第76話 超越者、来日
帰宅。
俺は浴室へ直行し、熱めのシャワーで全身に染み付いた焼肉の匂いを洗い流した。
髪を適当に拭きながらキッチンへ向かい、冷蔵庫のポケットから冷えた缶ビールを引き抜く。
指先を引っかけ、プルタブを押し開ける。小気味よい金属音の直後、麦の香りが鼻腔をくすぐった。
一気に煽る。
……旨い。凛の手前、食事中にアルコールを頼むのは気が引けた。その反動のせいか、喉を滑り落ちる炭酸の冷たさが、いつもより異常に心地良かった。
リビングに戻り、ソファに深く腰を沈める。
茶卓に投げ出しておいたテレビのリモコンを拾い上げ、適当にチャンネルを回した。
――《騎士王》ジョージ・ウィンザー来日 空港で独占インタビュー
ニュース番組のテロップに、手が止まる。
画面の中央には、長身の金髪の男が立っていた。仕立ての良さそうなスーツ姿だが、背筋に通った一本の芯が、衣装など関係なく彼を「王」に見せている。
ジョージ・ウィンザー。英国で最も有名な探索者パーティ《円卓》の統率者にして、圧倒的な戦闘力と高潔さから《騎士王》の二つ名を冠する男。
――二つ名、か。
ふと、テロップの文字列を見て思う。高ランク探索者たちの二つ名は、いつの間にか世間に浸透して、当然のように呼ばれている。これまで考えたことがなかったが、もしかしたらシステムのランキング機能に表示されている登録名なのだろうか。
もしそうなら、俺に二つ名がつく場合、《原初人》になるのか?
缶ビールを持ったまま、動きが止まった。
……ダサくないか?
ダサいとかそういう問題じゃないか。
いや、やっぱダサいよな。
こんな名前で世界デビューは勘弁してほしい。
「なぁナビ子。ランキングの登録名って、変えられたりしないのか」
『変えられますよ』
お、と胸の奥に小さな希望が灯る。
『実名になら』
灯った火が一瞬で消えた。実名公開など論外だ。そんな個人情報を晒すくらいなら、原初人の方がまだマシだ。
「……他にないのか?」
『あとは、新しい称号が付与されれば自動的に更新されます。赫金級になるタイミングで変わる人もいますね』
「……Lv.800か」
赫金級。
種族進化をしてからというもの、レベルの上がり方は目に見えて鈍くなっている。そんな中でのLv.800到達。道のりは果てしなく遠い。
だが、やってやるか。
久しぶりに、明確な目標ができた気がする。称号の変更という、およそ英雄的とは言い難い動機だが、どんな理由であれ登る先があるのは悪くない。
『ただ、どんな名前になるかはシステム次第なので、改善される保証はありませんよ』
「もっと酷くなる可能性もあるのか」
『否定はしません』
なんだその仕様は。
自分で選べない。変えるなら実名を晒すか、途方のない壁を越えるまでひたすら耐えるか。しかも次の名前がマシになる保証すらない。このシステムを設計した存在は、利用者の気持ちというものを一切考えなかったのか。
ともかく、メディアに取り上げられるような目立ち方だけはしないでおこう。
ひっそり潜って、ひっそり強くなって、ひっそり称号を上書きする。
決意を新たにビールを一口含んだところで、テレビの画面が切り替わった。
空港内の記者会見場。フラッシュの瞬きを浴びながら、ジョージがインタビューに応じている映像に戻る。
……珍しいものを見ているな、と思う。
そもそも、高ランク探索者がカメラの前に立つこと自体が滅多にない。取材は本人が許可しない限り成立しないし、探索者協会からも「無許可取材は推奨しない」という強い通達が出ている。
推奨しない、という柔らかい言い回しの裏には、過去に強引な取材を試みた報道機関が丸ごと「消えた」という物騒な噂がぶら下がっていた。高ランク探索者がやったという証拠はない。確かめに行った者がいないからだ。
だから、顔すら公開されていない高ランク探索者も珍しくない。情報が少ないからこそ神秘化し、市民の畏怖が膨らむ。
他にも、高ランク探索者の恐ろしさを象徴する有名な事件がある。
俗にいう「シベリアの晴天」だ。
やったとされるのは《雷帝》ユーリ・オルロフ。ロシアが誇る――いや、ロシアが恐れる、と言うべきか――唯一の天鋼級探索者。
発端の詳細は諸説あり、誰も正確な経緯を知らない。ロシア政府が彼を「国家戦力」として管理しようとしたとか、縁者に手を出したとか、尾鰭のついた噂だけが無数に転がっている。
だが、出所不明のあやふやな噂と違って、その結果だけははっきりしている。
シベリアの軍事施設が一つ、地図から消え失せた。
公式には「落雷による火災」と処理された。だが、雲一つない晴天の日に、半径二キロの施設群を跡形もなく焼き尽くすほどの「落雷」が自然現象だと信じる人間は、世界のどこにもいなかった。
それ以降も、似たような事件は散発的に起きている。
家族を人質に取られた探索者が、報復として軍事拠点を潰した国。「将来の脅威」として先制攻撃を仕掛け、返り討ちにあった情報機関。弾圧を目撃した探索者が、文字通り政権を物理的にひっくり返した紛争地帯。
パターンは違えど、共通点は一つ。
火種を作った権力側の末路は、例外なく悲惨だった。
――だからこそ、今の「均衡」がある。
高ランク探索者には命令も脅迫もしない。「お願い」しかしない。縁者に手を出さない。余計なことを報じない。
その暗黙のルールを守る限り、神々は穏やかに微笑んでくれる。
もっとも、種族進化を経るような連中の大半は、地上の権力闘争になど興味がないらしい。
自分がその領域に足を踏み入れたからこそ、少しだけその感覚がわかる。自分以上の力を持つ探索者が邪魔をしない限り、その気になればいつでも地上を支配できてしまう。
大富豪がコンビニのおにぎりを心から欲しがることがないように、苦労せずに手に入るものに、価値は感じない。
それよりも、もっと面白い敵と戦うことや、まだ見ぬドロップアイテム、ダンジョンの底にある謎を解き明かすことの方が、比較にならないほど楽しい。
そもそも、そのくらいダンジョンに狂っている奴じゃなければ、種族進化の壁など越えられないのだろう。
理不尽な怒らせ方さえしなければ、基本的には無害な隣人でいてくれる。
画面の中のジョージは、その穏やかさの権化みたいな男だった。ノブレス・オブリージュを地で行き、分別ある取材を進んで受け入れる。民に顔を見せることも「騎士の義務」だと公言している、稀有な人格者だ。
『――今回の来日の目的をお聞かせください』
通訳を通さず、ジョージが流暢な日本語で応じた。
『先日の富士山スタンピードの事後調査と、日本協会との連携強化が主な目的です。……そして、あの災害を迅速に終結させた探索者への敬意を表すために来ました』
『その探索者というのは、いまだ正体不明の――』
『ええ。映像と各種データを精査しましたが、二名の高ランク探索者がスタンピードを終結に導いたことは間違いない』
ジョージが一瞬だけ目を細めた。穏やかな表情の奥に、獲物を見定めるような獰猛な光が覗く。
『ちなみに、前回のスタンピードはG3だと報じられていましたが』
騎士王は、やや声を落として続けた。
『私がテレビの映像で確認した魔物の中に、我々《円卓》ですら取り逃がしたモンスターが含まれていましてね。あの方々の実力は、相当なものだと見ています』
『では、あなたより強い、と?』
記者の不用意な一言で、会見場の空気が凍りついた。
テレビのスピーカー越しにすら、冷たい圧が伝わってくる。
ジョージの微笑が消えたわけではない。だが、その微笑の温度だけが、急激に数度下がった。
画面の中で、最前列の記者たちが申し合わせたように動きを止めている。メモを取る手が、シャッターを切る指が、呼吸すら忘れたように固まっていた。
『……誰より強いかなど些末なことです。彼らが『誰を救ったか』、ただその事実にのみ敬意を払うべきです』
騎士王はそれだけ言って、元の穏やかな微笑に戻した。
会見場に溜まっていた重い緊張が、ゆっくりと溶けていく。
俺は残っていたビールをあおり、空になった缶をテーブルに置いて独り言ちた。
「大変だな、有名人ってのは」
『マスター。他人事じゃなくなる可能性、考えておいた方がいいと思いますよ?』
「そうならないように、大人しくしてるんだろ。エレオノーラも帰したし、今さらバレる要素なんてないんだから」
なまじ自分の検索能力が常軌を逸しているせいで、ナビ子は「その気になればどんな秘密でも暴ける」と錯覚している節がある。だが、世界中の人間がお前のように、わずかな映像や通信記録の断片から一瞬で個人を特定してくるわけではないのだ。
まったく。
活動報告でも伝えさせていただきましたが
第11回オーバーラップWeb小説大賞の受賞が決定しました。
それに伴い、書籍化も決定しております。
この作品を育ててくださった、あなたのおかげです。
本当にありがとうございます!!
書籍に関してはWeb版を読んでいる人でも楽しめるように考えておりますので
是非とも発売の際はご購入ください。
面白くなければ印税から返金するくらいの気持ちで制作してまいります。
ブックマークや☆評価で背中を押してくださる、あなたのおかげです。
評価をしていない人は、お好きなタイミングで構いません。
少しでも面白ければ評価を頂けると嬉しいです。
★は五個まで増やせます。
よろしくお願いします。




