第73話 女帝の帰還
リビングのソファに深く腰を沈めたまま、俺は天井の隅を見つめていた。
さっきナビ子から聞いたばかりの「原罪」の話が、頭の奥で生乾きのコンクリートのように重い。規模が大きすぎて、指先では輪郭すら掴めない。
『これでマスターは、地球上で唯一ダンジョンの真相を知っている人間になりました! おめでとうございます!』
右肩のすぐ横の空中で、半透明のナビ子が得意げに胸を張っている。
ローテーブルの向こう側で、アニメのエンディング曲が唐突に音量を落とされた。
画面の前に、床の絨毯で胡座をかいた女が座っている。エレオノーラだ。俺のジャージの袖をまくり上げ、ポテチの袋を膝の間に挟んだまま、彼女がこちらへ顔を向ける。
「あら。唯一じゃなくて、二人、の間違いでしょ?」
女帝は、悪戯っぽく目を細めた。
「なんだか、秘密の共有って昂るわね」
『あなたは地球人じゃないのでノーカウントです』
ナビ子が間髪入れずに切り捨てる。水晶の欠片を転がしたような、硬質な声だった。
「あら、厳しいのね」
エレオノーラが膝に挟んだポテチの袋をカサリと鳴らす。画面の中では、ちょうどやかましいコマーシャルに切り替わるところだった。彼女がリモコンでテレビの電源を消したタイミングで、ナビ子が再び口を開く。
『ところでマスター。そろそろ、ダンジョンに潜りたいんじゃないですか?』
「うーん」
未知の領域を踏み荒らしたいという探索者の本能に、「原罪」という壮大なスケールの話が火をつけたのは否定できない。腹の底が、じわりと熱を帯びている。
だが、それを素直に認めるのは恥ずかしくて癪だった。
そんな俺の内心などお見通しだと言わんばかりに、空中のナビ子が小さく息を吐く。
『隠しても無駄です。さっきから、指先でズボンの縫い目をなぞっています。無意識に武器のグリップを探す時の、マスターの癖ですよ』
「あら、そうなの? ダンジョンに行くならついて行ってもいい?」
絨毯から立ち上がりながら、エレオノーラが面白そうに口を挟んだ。
「いや、無理だ。エレンの髪と目の色は目立って仕方がない」
スタンピードを終息させた『謎の高ランク探索者』の話題は、数日経って多少の落ち着きを見せている。しかし、火種が完全に消えたわけではない。
この異常なまでに目を引く美女が横を歩いていれば、確実に注目を集める。ヘタをすれば、件の探索者と結びつける人間も出てくるはずだ。
そんなリスクは許容できない。
「認識阻害魔法くらい使えるわよ。ほら、これなら目立たないでしょ?」
エレオノーラが片目をつむって悪戯っぽく微笑んだ。
一瞬の魔力的な揺らぎのあと、彼女の外見が書き換わる。
流れるような白銀の髪は艶やかな黒髪へ、真紅の瞳は無難な焦げ茶色へと、見事に落ち着いたトーンへ塗り替えられた。
だが、元の顔の造形が完璧すぎるせいで、圧倒的な美貌までは隠せていない。美女のパーツが地味な色に変わっただけで、周囲の視線を吸い寄せる引力は健在だった。
「お前が目立ってたの、髪と目の色だけじゃなかったんだな」
「あら、そうなの。じゃあ、相貌ももう少し地味に変えたほうがいいわね」
エレオノーラが不満そうに口を尖らせ、指先でさらに術式を編もうとする。俺は慌ててその手を制した。
「ストップ。悪いが、今回は俺一人で行く。エレンには、向こうのダンジョンに潜っていてほしい」
「……えー」
「お前は天鋼級になる目標があるだろ。それに、村の様子も見てほしいんだ。ホルム村の連中が心配でな」
本当のところ、彼女と一緒に潜ること自体は嫌ではなかった。
だが、富士のスタンピードで派手に立ち回りすぎたせいで、今はただでさえ注目を集めやすい時期だ。少しでも俺たち自身に結びつけられるリスクは減らしておきたかった。
「ナビ子を通じて連絡のやり取りはできる。こっちに来たい時は、事前に言ってくれれば許可するからさ」
妥協案を提示すると、エレオノーラは視線を泳がせ、いかにも言い訳がましい口調で応じた。
「でも、私はダンジョンの中じゃないと元の世界には戻れないわ……。だから、せめてそこまでは一緒に――」
「ああ、お前は地上だと出力が縛られるからか。世界を跨ぐ転移なら、ここから俺が送るから心配しなくていいぞ」
「……そう」
同行する口実をあっさりと潰され、女帝はあからさまに残念そうに肩を落とす。
話がまとまりかけたその時、空中のナビ子が華奢な指をパチンと鳴らした。
淡い金色の瞳の奥に、細い文字列が流れている。
『そういえばマスター。エレオノーラが帰還される前に、未精算の処理を済ませておきませんか? スタンピードで出たモンスターの吸収がまだでしたよ』
言葉の端に、わずかなエコーが混じった。
「あー……そうだったな」
指摘されて、すっかり後回しになっていたことを思い出した。あの直後は舟木さんの救護やエレオノーラの合流でバタバタしていたし、その後はずっと部屋で酒を飲んでぐうたらしていたからな。
『核の魔物である暴食の具現以外は、良いアイテムも出ませんし、一括吸収で問題ないと思います。ただ、核の魔物は赫金級相当でしたので、ドロップを選択した方が良いと思います』
俺は空中にステータス画面を開く。
ログが遅れて確定し、討伐対象の名前とともに見慣れたウィンドウが展開された。
【ドロップ選択】
対象:暴食の具現 ×1
1. 暴食の貪欲脈管:レア×1 - 経験値15%消費
2. 暴食王の大凶骨:エピック×1 - 経験値80%消費
3. 蹂躙の重魔腕:エピック×1 - 経験値100%消費
4. 暴食王の覇冠:レジェンダリー×1 - 選択不可(経験値150%消費)
5. 暴食大罪の残響:レジェンダリー×1 - 選択不可(経験値180%消費)
6. 原初の飢渇:ミシカル×1 - 選択不可(経験値280%消費)
7. 全吸収 - 経験値100%吸収
ドロップ選択画面の後半を見た瞬間、俺は眉をひそめた。
「……なんだこれ。選べねぇし詳細も開けねぇアイテムがある」
『ダンジョン外での撃破で、生成に必要なエネルギーが足りないのでしょう』
淡々とした説明なのに、声色だけが機械的な残響を帯びる。音程が、定規で引いたみたいに正確だった。
「あぁ、そうか。エネルギー供給が減少してる状態だったからか。経験値も減るんだな」
俺は舌打ちを飲み込み、とりあえずエピック以下の候補をタップして詳細を確認する。
【暴食の貪欲脈管:レア】
分類:魔獣素材
効果:接触面への絶対的な吸着と、運動エネルギーの完全伝導。及び、反動衝撃の吸収。
説明:王が喰らいついた獲物を逃がさず、エネルギーを吸い尽くすための赤黒い脈管。武器の柄に巻き付ければ使用者の手に完璧に馴染み、凄まじい反動を喰らい尽くしながら、込められた力の全てをロスなく先端へと送り届ける。
【暴食王の大凶骨:エピック】
分類:魔獣素材 / 希少部位
効果:圧倒的な質量による物理的重圧。
説明:終わりのない飢餓を抱え、巨体を支え続けた王の支柱。尋常な加工技術では表面に傷一つ付けることすら叶わない。
【蹂躙の重魔腕:エピック】
分類:魔獣素材 / 武器素材
効果:打撃時、運動エネルギーを爆発的な衝撃波に変換・増幅する。
説明:地を揺らし、あらゆる障害を粉砕してきた暴食の王の剛腕。内包された暴虐の意志は、振り下ろされる瞬間に周囲の空間ごと圧壊させる。
説明文に妙なクセがある脈管の束。
説眼だけで耐久力が伝わる大凶骨と、純粋な破壊力に特化した重魔腕。
エピックの二つはどちらも魅力的だが、同時に選ぼうとすればエネルギー上限の100%をオーバーしてしまう。蹂躙の重魔腕に関しては、万象掌握を使えば似たような現象は起こせるか。
「……とりあえず、脈管と大凶骨にしておくか。残りの5%は経験値吸収で」
空中のウィンドウで確定を押した直後だった。
空間が歪み、リビングの絨毯の上に異物がドスンと重い音を立てて落ちた。
大人の男の胴回りほどもある赤黒い骨。
そして、その傍らには消防ホースほども太く、不気味な脈動を打つ赤黒い血管の束が転がっている。
あまりの質量と異様な存在感に、リビングの空間が一気に圧迫されたように感じる。
これまで数え切れないほどのドロップ品を見てきた俺だが、こいつらが放つ禍々しい覇気と魔力の残滓は次元が違った。ただそこにあるだけで周囲の空気が重く淀み、肌がじりじりと粟立つようなプレッシャーを放っている。
そういえば、と俺は自身のステータス画面をちらりと確認する。
赫金級相当のバケモノを吸収したというのに、レベルの表記は「500」からピタリと止まったままだ。
「……なぁナビ子。レベルが上がってないんだが」
「これまでのレベルアップ速度が異常だっただけですよ。ダンジョン外環境での討伐により、得られる経験値が本来の一割以下に減少。その上で、先ほどそのなけなしの経験値の九十五パーセントをアイテム化に消費したばかりですから」
空中の小妖精は、どこか呆れたような顔でため息を吐いた。
「そうか……そんな簡単じゃねぇんだな」
「そういう仕様ですので、諦めて地道に働きましょう。レベル500の壁を越えた際の『種族進化』、そしてレベル1000で到達する『半神化』──その過程で寿命が飛躍的に延びるのには、それだけ膨大な年月と労力が必要だという意味でもあるのです」
ピシャリと言い放たれ、俺は肩をすくめるしかなかった。まぁ、自律進化を付与されるまでの十年間を思えば、レベルなどという数字に執着する方がおかしいのかもしれない。
なんてことを考えていると、胡座をかいていたエレオノーラが身を乗り出し、骨に目を奪われていることに気づく。
「……これ、私が貰っていい?」
「あ? 何に使うんだよ」
「ちょっと、考えがあるの」
彼女はしゃがみ込み、大凶骨の表面を撫でながら、何かを確かめるように目を閉じた。
「……まあ、スタンピードでは大分活躍してもらったからな。いいぞ、持ってけ」
「ありがとう」
俺は床に落ちたもう一つの品、脈管の束を拾い上げる。手のひらに乗せた途端、それはまるで生き物のように皮膚へ吸い付いてきた。軽く握り込むだけで、腕の筋肉の動きがロスなく指先まで伝わるような、奇妙な一体感がある。
……とはいえ、これをそのまま何かに巻き付けるのも不気味だし、今のところパッとした使い道も思い浮かばない。とりあえず、収納機能へと放り込んだ。
エレオノーラも巨骨を自身の収納空間へしまい込み、着ていたジャージの襟元を直した。
「じゃあ、送って。……この服、貰ってもいい? 暖かいわ」
「ん? あぁ、別にいいよ。ポテチの油が染みついただろうからな」
適当な理由をつけたが、本音を言えば別の理由もある。
あんな絶世の美女が数日間ずっと着込んでいた服を、おっさんの俺が再び袖を通すのは、さすがに色々と気まずいし照れ臭い。
さて、そろそろ頃合いだ。
ナビ子のサポートのもと、次元転移シークエンスを起動する。
視線でリビングの中央に立つエレオノーラを捉え、システムに接続。座標を異世界の拠点へと固定した。
『準備完了です。マスター、承認を』
俺が頷くと、エレオノーラの足元から光の粒子が舞い上がり、彼女の輪郭を白く染め上げていく。
「湊」
光の粒に溶けかけた女帝が、最後に呟いた。
「またね」
「ああ、また」
光が弾けて散る。
視界から完全に消え去った空間を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
出会いこそ最悪だったが、今回のスタンピードでは随分と助けられた。何より、舟木さんの命を救ってくれた恩がある。少し前まで抱いていた彼女への忌避感は、いつの間にか綺麗に消え去っていた。
リビングに残ったのは、テーブルの上の空になったポテチの袋だけだった。
静かすぎる。
ナビ子が来る前の、独り暮らしの夜を思い出す。あの頃は、これが日常だったはずなのに。
『……寂しいですか、マスター』
右肩の高さに浮かぶナビ子が、じっとこちらを見上げてきた。
「いや? お前がいるからな」
『……そうですか』
ナビ子は短く応じると、ふいっと顔を逸らした。
照れてんな、コイツ。ちょろい。
ちょろい(どの口が言ってるのか)
大変時間が空きましたが、更新頻度を高めていこうと思います。
(本格更新は予定通り四月からにさせていただきます)
是非とも、ブックマーク、★評価がまだの方はお願いします。




