幕間:藤野隆司の探索
2032年10月18日、14時15分。
富士山樹海ダンジョン前。
黄金級探索者――藤野 隆司(33)は、いつものように事前説明を行っていた。
「今回、28層までのアタックを行う。いつも通り、命を最優先に探索しよう」
「おう」
「了解」
「サクッといきましょう」
集まった三人の仲間が、それぞれの口調で応える。
彼らは俺が黄金級に昇格する前からの付き合いで、気心の知れた連中だ。
地元がこの近くだったこともあり、俺たちは十代の頃からダンジョンが身近にある生活を送ってきた。
高校卒業後、自然な流れで探索者になり、それなりに才能もあったのだろう。
七年目にしてレベル150を超え、黄金級に昇格した。
パーティメンバーの入れ替えは何度かあったが、核となるメンバーはずっと変わらない。
「今日終わったら、娘の誕生日プレゼント買いに行かないとなぁ」
デレデレした顔でスマホの待受画面を見せびらかしてくるのは、前衛の武田。
三年前に娘が生まれてからというもの、この親バカぶりだ。目に入れても痛くないとはこのことだろう。
「またかよ。俺は今夜、合コンだわ。黄金級って言うと食いつきが違うんだよなぁ」
ニヤニヤしながら装備の点検をしているのは、魔法職の佐藤。
独身貴族を謳歌している彼は、稼いだ金を湯水のように使って夜の街を遊び歩いている。
黄金級探索者の年収は、稼ぐ奴なら数億円に届く。
俺たちは安全第一で、リスクを避ける堅実なスタイルだが、それでも一般的なサラリーマンが一生かけて稼ぐ額を数年で稼ぎ出している。
俺にも妻がいて、地元でささやかながらも幸せに暮らしている。
このまま実力が落ちてきたら引退して、悠々自適な生活を送るのも悪くない。
そう思っていた。
この時までは。
「……ん? おい、あれ」
不意に、武田の表情が強張った。
彼が指差した先。ダンジョンの入り口から、不自然な霧が溢れ出しているのが見えた。
深オレンジ色の霧が、生き物のように蠢きながら広がっていく。
俺の背筋に、氷柱をねじ込まれたような悪寒が走った。
探索者として生き残るために、勉強だけは怠らなかった俺には、それが何を意味するか即座に理解できたからだ。
「スタンピードだ!」
俺の叫び声が、周囲の空気を引き裂いた。
一瞬の静寂。
その直後、スマホの緊急地震速報のような不快なアラーム音が、あちこちで鳴り響き始めた。
『緊急警報! 緊急警報! 樹海ダンジョンにて、スタンピードの前兆現象を確認! 付近の住民は直ちに避難を! 探索者は防衛ラインの構築に協力してください!』
「戦闘態勢! 急げ、時間が無いぞ!」
俺は叫びながら、愛用の大剣を引き抜く。
仲間たちも顔色を変えながら武器を構えた。
霧の中から、無数の影が飛び出してくる。
「落ち着け、第一波は個体数こそ多いが黒鉄から青銅だ! 慌てなければ対処できる!」
俺は声を張り上げ、仲間を鼓舞する。
所詮は雑魚だ。黄金級の俺たちなら、目を瞑っていても勝てる相手。
だが、数は暴力だ。油断すれば足を掬われる。
俺たちは円陣を組み、押し寄せる魔物の波を切り崩していった。
だが、状況が変わったのはそれから数分後。
「おい、強くなってきたぞ!?」
佐藤の悲鳴に近い報告。
白銀級のモンスターが混ざり始めた。
第二波だ。早すぎる。
「周りのパーティと協力して態勢を立て直せ! 孤立するな!」
俺は指示を飛ばしながら、目の前のオークを両断する。
その時、一際大きな咆哮が響いた。
霧の奥から現れたのは、黄金級下位に相当する『飢餓巨人』。
三メートル近い巨体だが、その体躯はガリガリに痩せ細っている。
だが、その口は耳まで裂け、手足は異様に長い。
その手には、喰いかけの魔物の死骸と、巨大な棍棒が握られていた。
「コイツが核かもしれない!」
誰かが叫んだ。
もしそうなら、コイツを倒せばスタンピードは止まる。
俺たちは一縷の望みをかけて、その巨体に殺到した。
「おおおおらぁっ!!」
武田の盾が棍棒の一撃を受け流し、佐藤の魔法が視界を奪い、俺の大剣が細長い首を刎ねる。
完璧な連携。
ハングリー・トロルは不気味な断末魔を上げて崩れ落ちた。
だが。
霧は晴れない。
「くそ、核じゃないか……」
「ってことは、最低でもG3クラスは確定かよ……」
佐藤が絶望的な声を漏らす。
スタンピードの法則として、核となる魔物が登場する前は、最高でも核の二等級下のモンスターしかポップしない。
つまり、ハングリー・トロルが前座ということは、今回の核は秘銀級以上。
俺たちの実力を遥かに超えている。
死を悟った。
だが、逃げるわけにはいかない。
ここは俺たちの地元だ。後ろには、家族がいる。
「命を賭して戦え! 俺らの一秒が、家族が逃げる一秒になる!」
「「おう!!」」
覚悟を決めた男たちの顔。
湧き出るモンスターの範囲は徐々に広がっていく。
黄金級下位のモンスターが、今度は複数体同時にポップした。
「おしまいだ……」
誰かがポツリと漏らした。
絶望的な戦力差。
だが、次の瞬間。
ドパンッ!
先頭を走っていたトロルの頭が、突然破裂した。
何が起きた?
困惑する俺たちの前で、次々と魔物が血の花を咲かせて倒れていく。
よく見れば、戦場を疾走する二つの影があった。
一人は男。もう一人は……信じられないほどの美人だ。
戦場には不釣り合いなほど煌びやかなドレスを纏い、月光を編み込んだような白銀の髪が風になびいている。
妻にぞっこんな俺ですら、戦場であることを忘れて見惚れてしまうほどの美貌。
「お前ら! 奇跡が起きたぞ!」
誰かが歓声を上げた。
正体不明の探索者たちが、ポップする魔物を片っ端から蹂躙していく。
随分と余裕ができた。
呆然としていると、男の方が声を張り上げた。
「おい、聞いてくれ! あと10分ほどでロードが出てくるはずだ! アンタらじゃ対応できない! 外縁部の雑魚狩りにシフトしてくれ! 中心部は俺の連れが引き受ける!」
「えっ、連れって……あの魔法使いのお嬢様ですか!?」
思わず聞き返すと、男は力強く頷いた。
「あぁ! 彼女なら一人でもなんとかなる!」
その言葉を信じて、俺たちは指示に従い後退を開始する。
怪我をしている者もいるため速度は出せないが、討ち漏らしたモンスターすらいないため、撤退はスムーズだった。
あの二人が、通り道の魔物を殲滅してくれたのだろうか。
だが、逃げている最中、突然全身が粟立った。
インフルエンザの高熱に浮かされたときのように、体が震えて思うように動かない。
本能が、「振り返るな」と警鐘を鳴らしている。
それでも、俺は後ろを見てしまった。
ズシン、ズシン。
地響きと共に現れたのは、全長五メートルを超える肉の山。
全身を覆うのは、沸騰した泥のような脂ぎった皮膚。
そこかしこに埋まっているのは、喰らった魔物の骨や武具。
それらが装甲のように、肉にめり込んでいる。
――死死死死死死死死死死。
目にした瞬間、強烈な吐き気に襲われた。
目の前に銃口を突きつけられることすら生温いと感じるほどの、圧倒的な死の気配。
「ブモォォォォォッ!!」
咆哮。
ただの音圧で、かなり距離が離れている俺たちまでもが揺さぶられる。
わずかに残っていた理性が弾け飛び、俺はその場に嘔吐した。
だが、ここで止まってはいけない。
足手まといになってはいけない。
俺は酸っぱい胃液を吐き出しながら、震える足に力を込める。
「おい、逃げるぞ……!」
へたり込んでいた若い探索者の腕を掴み、無理やり立たせる。
身体が思うように動かない。恐怖で膝が笑い、油断すればその場に崩れ落ちそうだ。
それでも、俺は歯を食いしばって前へ進む。
少しでも遠くへ。
一歩でも外へ。
ドゴォォォォッ!
背後で、雷が落ちたような轟音が響いた。
振り返ると、あの化け物がクレーターに沈んでいるのが見えた。
「やったか!?」
誰かが叫ぶ。
だが、化け物はゆらりと立ち上がり、再生を始めた。
絶望が、再び俺たちを覆う。
そこからは、よく覚えていない。
気づけば、あの化け物は三本の巨木で地面に縫い付けられていた。
そして、先ほど指示を出していた男の探索者がダンジョンから出てきたと思ったら、俺たちはいつの間にか一箇所に集められていた。
虹色の結界が展開される。
尋常じゃなく安心感のある光。
その中には、ボロボロになった女性探索者がいた。
「お嬢!」
俺のパーティメンバーで、随一の実力を持つスカウト、船橋 史郎が叫んだ。
彼は血相を変えて駆け寄ろうとするが、結界に阻まれる。
「知り合いなのか?」
「あぁ。世話になってる家のお嬢さんだよ……! くそっ、なんでこんなボロボロに……!」
史郎が悔しそうに拳を握りしめる。
そんな話をしているうちに、外の圧力が唐突に消滅した。
見れば、あの不死身に見えた化け物が、崩れ落ちている。
数秒後、光の粒子となって空に消える。
死んだのか。あの、死、そのもののような存在が?
偉業に驚く暇もなく、銀髪の美女を連れて男の探索者が戻ってきた。
そして、奇跡のような光景を目にする。
美女の掌から放たれた光が、瀕死の探索者を瞬く間に癒やしていったのだ。
俺たちは、ただ呆然とそれを見守ることしかできなかった。
圧倒的な力。神の御業のような回復魔法。
彼らは、俺たちとは住む世界が違う。
礼を言うと、彼らは淡白な反応を返して、いつの間にか光の粒子となって消えてしまった。
転移魔法だろうか。最後まで規格外だ。
「お嬢が……!」
史郎が消えた場所を見つめて叫んでいたが、俺は彼の肩を叩いた。
「知り合いみたいだったし、心配ないだろう。それより、俺たちも帰るぞ。家族が待ってる」
「……あぁ、そうだな」
この後、駆けつけた取材陣に彼らが新たな天鋼級探索者かもしれない、と告げられた。
だが、俺は驚かなかった。
むしろ、深く納得していた。
始まりから終わりまで、何一つ彼らの実力を理解できなかった。
地を這うアリが、頭上を通り過ぎる人間の全貌など到底理解できないように、俺たちと彼らの間には絶対的な断絶があったのだ。
神様ってのは、きっとそういうもんなんだろう。
俺はただ、生きて家族に会えることだけを、神に感謝した。
これで本当に三章終わりです。
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