第68話 女帝、分からせる
闇が、ミナトの背中を飲み込んだ。
それを見届け、肺の奥から熱い息を吐き出す。
「さて」
踵を返す。
視界を埋め尽くすのは、絶望的な数を誇る魔物の群れと、戦意を折られた探索者たち。
彼らはミナトの言葉に従い後退を始めているが、その足取りは泥沼を行くように重い。疲労と恐怖が、魂まで蝕んでいる。
「……悪いけれど、今は私の『庭』よ」
指先で、虚空を弾く。
呼応するように、背後の空間が揺らいだ。
浮遊していた六基の『自律浮遊魔導兵装』が、扇状に展開する。
右手に『氷』、左手に『雷』。
阻害と殲滅の輝き。
「散りなさい」
呟きと同時、極光が網膜を焼いた。
雷禍が先陣を切るリザードの群れを炭化させ、氷葬が後続のオークたちの足を氷漬けにする。
爆音。悲鳴。肉の焦げる臭い。
だが、私の鼓膜は静寂を保っている。
結界魔術による遮音領域。戦場のノイズは、思考の純度を濁らせるだけだ。
退屈な作業だった。
湧き出る魔物は、所詮は烏合の衆。
私の自動防御を抜ける個体など皆無だし、こちらの攻撃を回避できる知能もない。ただ数が多いだけの、動く的。
(ミナトは大丈夫かしら)
次々と魔物を塵に変えながら、思考を巡らせる。
彼は強い。
システム外の力。理外の魔力操作。
今はまだ、私たちが壁として存在できている。けれど、あの異常な成長速度を見るに、彼が誰にも追いつけない高みへ至る日はそう遠くない。
その時、彼は『人間』のままでいられるのだろうか。
……胸の奥が、ざらりと粟立つ。
それは、かつての私自身が辿った道だから。
強さだけを持ち、百年以上の時を孤独に彷徨い、半ば人であることを辞めていた私だからこそ、分かる。
絶対的な力は、人を世界から切り離すのだと。
だからこそ、私が支えなくてはならない。
彼の帰る場所を、守らなくてはならない。
「……ん?」
不意に、肌が粟立つ。
気配が変わった。
まとわりつく泥水のような魔力が、重苦しい水銀へと変質する。
直後、足裏に振動が伝わった。
ズシン、ズシン。
樹海の奥から、地響きが近づいてくる。
「来たわね」
探索者たちが悲鳴を上げて、足を止める。
無理もない。
現れたのは、核の魔物。
これを倒せば、新たなモンスターの湧きはなくなる。
ズシン、ズシン。
地響きと共に現れたのは、全長五メートルを超える肉の山だ。
全身を覆うのは、沸騰した泥のような脂ぎった皮膚。
そこかしこに埋まっているのは、喰らった魔物の骨や武具。
それらが装甲のように、肉にめり込んでいる。
醜悪極まりない、二足歩行の豚の化け物。
だが、最も異様なのはその「腹」だ。
太鼓のように膨れ上がった腹部が、縦に裂けている。
そこには、鮫のような牙がびっしりと並んだ、第二の「口」が存在していた。
ギチ、ギチ、グチャ……。
腹の口が、絶えず何かを咀嚼する音を奏でている。
胃の腑が、鉛を飲み込んだように重くなる。
『暴食の具現』。
赫金級くらいはありそうね。
「ブモォォォォォッ!!」
「ギャアアアアッ!」
豚王の腹の口が咆哮した。
ただの音波ではない。腐った肉と汚泥を煮詰めたような悪臭を伴う衝撃波だ。
周囲の木々が腐り落ち、逃げ遅れた探索者が嘔吐して膝をつく。
「きゃあぁぁっ!?」
「うわあぁぁぁ!」
悲鳴が上がる。
豚王の視線が動く。射抜いた先は、逃げ遅れた若い女性ヒーラーだ。
巨腕が唸り、身の丈ほどもある肉切り包丁――竜種の骨斧が振り上げられる。
「あ、あぁ……」
女性が腰を抜かす。絶望に顔が歪む。
死が確定した、その刹那。
「――身の程を知りなさい」
凛とした声が、戦場を切り裂いた。
ガギィィィンッ!
硬質な金属音が炸裂した。
振り下ろされた骨斧が、空中で静止している。
刃と少女の間には、七枚の光輪が咲いていた。
『聖なる円盾』。
「ギチ……?」
腹の口が不快そうに歯を鳴らす。
私は空中に浮遊したまま、冷ややかな視線で見下ろした。
赤い瞳の奥で、黄金の円環が静かに回り始める。
「ミナトの命令は『被害を出さないように』だったわね。全く、簡単に言ってくれるわ」
パラパラと、砕けた光の盾が粒子となって消えていく。
豚王の膂力は凄まじい。七枚中二枚が割られた。
やるじゃない。
(……理性が薄い代償に、ステータスが極限まで底上げされているタイプね)
「ブモッ、ゲプゥ」
豚王の腹の口が、砕けた盾の魔力を咀嚼し、げっぷを吐いた。
なるほど、腹の口が食べたものを糧にする能力ね。
「……汚らしい食事ね」
挑発に応じるように、豚王が私を睨む。
その瞳には、知性のかけらもない。あるのは純粋な殺意と、食欲だけ。
「ブシャアアアアッ!」
豚王の巨体が消える。
跳躍だ。
巨体に似合わぬ敏捷性で間合いを詰め、骨斧が横薙ぎに迫る。
速い。
けれど、私の『黄金の支配眼』には、その軌道が赤い線として視えていた。
未来は、数秒前から決まっている。
「遅いわよ」
転移による短距離跳躍。
斧の軌道を紙一重で躱し、豚王の頭上へ移動する。
背後のビットが円環を描き、王冠の棘のように展開する。
「『雷霆』」
掌を、豚王の頭上へ向ける。
照準固定。
極太の雷撃が、脳天を垂直に貫いた。
ドゴォォォォッ!
紫電が弾け、焦げ臭い匂いが充満する。
豚王の巨体が地面に叩きつけられ、クレーターを穿つ。
「やったか!?」
探索者の誰かが叫んだ。
そんなわけないじゃない。早く逃げなさいよ、とろいわね。
「ブモォ……ジュルリ」
煙の中から、豚王がゆらりと立ち上がる。
頭頂部の皮膚が焼け焦げているが、それだけだ。
腹の口が、まるで麺を啜るように、私の雷撃の残滓を吸い込んでいく。
吸い込まれた魔力が、傷口に集まる。
焼けた皮膚がボコボコと泡立ち、瞬く間に再生していく。
「やっぱり、そういうタイプね」
知性を代償にした高ステータスと『超再生』に加えて、『魔力捕食』スキル。
魔法攻撃を与えれば与えるほど、それを糧にして回復する厄介な性質。
完全に倒すには、捕食速度を上回る火力で消し飛ばすか、魔力を含まない純粋な物理攻撃で叩き潰すしかない。
(このタイプは搦め手で時間を稼いで広域殲滅魔法で一撃が定石なのだけど……)
チラリと、背後の探索者たちを見る。
ここで戦略級魔法を使えば、彼らごと消し飛ばしてしまう。
地形を変えるわけにもいかない。
(面倒ね。見捨ててしまおうかしら?)
冷徹な計算が、思考の隅で囁く。
彼らは足手纏いだ。
彼らがいなくなれば、私は全力を出せる。
『不可抗力だった』『守りきれなかった』と言えば、ミナトも私を責めはしないだろう。
(――いいえ、違うわ)
私は即座にその思考を振り払った。
ミナトは責めないかもしれない。けれど、間違いなく悲しむ。
そして何より。
この程度の状況で、保身に走るような女は――『彼』の隣に立つ資格がない。
(だったら、こうするまでよ)
指を振るい、豚王の腹の口の周囲に『四方結界』を展開する。
防御のためではない。
口を塞ぐ「猿轡」だ。
「グギ、ガ、ガガ……!?」
豚王が混乱する。
目の前に魔力という御馳走があるのに、透明な壁に阻まれて食べられない。
まるで、鼻先に人参をぶら下げられた馬のようだ。
「食い意地が張っているなら、せいぜい焦らされることね」
苛立ちで動きが止まった一瞬を、私は見逃さない。
周囲の巨木を念動力で引き抜き、先端を鋭利に加工する。
即席の杭。
「貫きなさい」
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
三本の巨木が、豚王の両足と尻尾を地面に縫い止める。
魔力を含まない物理質量による拘束。
これなら吸収も再生もできない。
「ブモオオオオオオッ!!」
豚王が絶叫し、暴れる。
だが、強化されている巨木はびくともしない。
「お分かり? 格が違うのよ」
(……それにしても、調子が良いわね)
ふと、自身の掌を見つめる。
通常、ダンジョン外でのステータスは十分の一以下まで減衰するのが常識だ。
その状態での魔法行使は、ダンジョン内と比較すると深海で踊るような重圧を伴う。
だが今は、違う。
いつもの倍以上の出力を維持できている。
魂の回廊を伝い、焼き尽くすようなミナトの熱が流れ込んでくるのを感じる。
彼と交わした契約がステータスを跳ね上げているのだ。
(ふふ、愛されているわね、私)
――けれど。
弱者たちのせいで全力が出せないことに変わりはない。
今の私ならこの程度の魔物、地形ごと消し飛ばせるのに。
魔法の余波にすら耐えられない「ガラス細工」が近くにあることが、最大の枷となっていた。
(どうしたものかしら……)
転移の予兆。
空間が歪み、光がねじれる。
この感覚――用事は終わったのかしら。
音もなくダンジョンの入り口付近に現れる影。
血にまみれたボロボロの女を片腕で抱えている、愛しい男。
主人公が異常すぎて忘れそうですが、女帝マジ強いんですよね。
センスも戦闘経験も豊富で、レベルも高い。
勝てない。
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