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第07話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、報酬を選ぶようです

 オークの死体が、消えてない。


 通常、モンスターを倒すと、数秒で死体は消滅し、ドロップ品だけが残る。

 システムが、死体を自動的に処理する仕組みだ。


 なのに、三体のオークの死体は、そのまま地面に横たわっている。

 血も、内臓も、全てが残されたまま。


「どうしてだ?」


 時間が経っても、光の粒子になって消える気配はない。

 まるで、システムの処理が止まっているかのように。


『マスター、これは正常な動作です』


 ナビ子の声が、静かに響く。


「正常? 豚の死体が転がりっぱなしなのが正常って、お前の美的センスはどうなってんだ」


自律進化(スタンドアローン)による仕様です。マスターはシステムから独立しているため、死体が残ります』


 そういえば、確かにそんなこと言ってた気がするな。


『通常の探索者は、モンスターを倒すとシステムが自動的に死体を処理します。その際、エネルギーの一部を「処理費用」として徴収し、一部をドロップ品や経験値に回しているのです。マスターはその運用手数料を払っていないため、システムが処理を実行しません』


「俺が処理しなきゃいけねぇってことか」


『その通りです。ただし、マスターは死体をそのままエネルギーとして吸収できます。通常の探索者より、はるかに効率的ですよ』


 なるほど。

 理屈は分かったが、絵面が最悪だ。

 路地裏のヘドロのような臭いが充満している。若者たちが戻ってきたら、不審に思われるどころの話じゃない。


「おいナビ子。これじゃ俺が『オークの死体に囲まれて興奮する変態』みたいだろ。通報される前に証拠隠滅できないか?」


『あら、マスターの性癖じゃなかったんですか? 残念』


「……冗談でも殴るぞ」


『ふふ、冗談です。可能です、燃えるゴミの日に出すより簡単に処理できますよ』


「いや、ただ消すだけじゃダメだ。確定ドロップだけは落として、死体は収納機能(インベントリ)に自動でしまう。そんで、表向きは『システムが処理しました』って風に、ダミーのエフェクトを出して誤魔化せないか?」


『おや、意外と慎重ですね』


「伊達に長く生きてないんでな。」


『なるほど! 偽装工作ですね! お任せください。これからは死体をインベントリに転送しつつ、ホログラムで光の粒子を演出するように設定しておきます』


 ナビ子が空中で指を走らせ、パチンとウインクする。


『設定完了。次回からは全自動でやりますね。……で、今回の獲物はどう処理します?』


 彼女が指を振ると、目の前に青いウィンドウが展開された。


 ―――


 【ドロップ選択】

 対象:暴食(グラトニー)変異個体(イレギュラー)・オーク ×3


 1. 暴食(グラトニー)オークの牙:ノーマル×3 - 経験値0.1%消費

 2. 瘴気染みの硬皮:ノーマル×3 - 経験値0.1%消費

 3. 暴食(グラトニー)の貪欲心臓:レア×3 - 経験値3%消費

 4. 全吸収 - 経験値100%吸収


 ―――


「……これって、その気になれば心臓を何個もドロップさせたりできるのか?」


『いえ、心臓のように生体構造上1つしかない部位は1つまでです。牙や爪のような複数ある部位なら、その数だけ生成可能です!マスターだけの、自律進化(スタンドアロン)の特権ですね!』


「なるほどな。錬金術みたいに無から有を生み出すわけじゃないってことか」


 システムは、死体の構造を解析して、そこから素材を「抽出」しているだけ。

 スーパーの精肉コーナーで、ロースにするかバラにするか選ぶようなもんだ。


『ちなみに、アイテム名を選択すると、詳細情報が見れますよ!』


 試しに「暴食(グラトニー)オークの牙」をタップする。


 ―――


暴食(グラトニー)オークの牙:ノーマル】

分類:魔獣素材

効果:MP回復アイテムの触媒

説明:暴食のイレギュラー化したオークの牙。通常の個体より大きく、先端が異常に尖っている。変異種特有の瘴気が染み込んでおり、エネルギー吸収系の武具やアイテムの素材として需要がある。


 ―――


「へぇ、面白い。他も見とくか」


 ―――


【瘴気染みの硬皮:ノーマル】

分類:魔獣素材

効果:防具の強度強化(軽量)

説明:暴食のイレギュラーが纏っていたオレンジ色の瘴気が、皮に深く染み込んだ素材。通常のオークの皮より数倍硬く、軽量ながら高い防御力を誇る。加工には特殊な技術が必要。


 ―――


「なるほど。防具向けね」


 続いて「暴食(グラトニー)の貪欲心臓」をタップする。


 ―――


暴食(グラトニー)の貪欲心臓:レア】

分類:魔獣素材 / 希少部位

効果:エネルギー吸収スキルの強化

説明:暴食のイレギュラーの核となる部位。異常に肥大化し、常にエネルギーを貪り食おうとする衝動が結晶化している。高級な魔力回復薬や、エネルギー吸収系スキルの強化アイテムの主材料として極めて高価。


 ―――


「お、これは!結構いい値がつきそうだな」


 スーパーの半額シールを見つけた主婦のような気分になる。

 生活費の足しにするなら、これ一択だ。


『はい。特に、長時間戦闘を必要とする探索者からは引く手あまたです』


「確定ドロップの牙と皮、レアドロップの心臓を選択して、あとは全部吸収だ」


『了解です! 残りの96.9%を全て経験値として吸収します!』


 ナビ子が指を振ると、三体のオークの死体が光となって分解されていく。

 血も、内臓も、骨も、全てが粒子となって消え去る。

 残されたのは、先ほど選択したドロップたちのみ。


 その瞬間、脳髄を直接浸すような熱が流れ込んできた。


「ぐ、ぅ……!?」


 膝をつきそうになるのを、堪える。

 ただの「温かい液体」じゃない。もっと強烈な、純度の高い麻薬のような快楽物質。

 血管の一本一本が拡張し、細胞が歓喜の声を上げているのが分かる。


『レベルアップしました。Lv.220 → Lv.225です』


 ナビ子の声が、どこか遠く、甘美に響く。


「……おい、今さらレベル150程度の敵を倒したくらいで、レベルアップするはずないんだが?」


 息が荒い。

 通常、Lv.220の俺がLv.150の敵を倒しても、経験値は微々たるものだ。

 ましてや、レベルアップなんて起こらない。

 これまで、実力に乖離がある中層のモンスターを倒しても、経験値バーは微動だにしなかった。


『マスター、忘れていませんか? 今回の敵は変異個体(イレギュラー)です。通常のモンスターとは、内包するエネルギー量が桁違いです。さらに、マスターはシステムへの"運用手数料"を払っていないため、経験値効率が約50倍。それに加えて、吸収エネルギー量の下限値も撤廃されてます。この条件が揃えば、レベルアップするのは当然です』


 ナビ子が、無邪気な笑顔で告げる。

 その笑顔が、一瞬だけ、人間を堕落させる悪魔の微笑みに見えた。


 限界がない。その言葉が背筋に冷たいものを走らせる。

 聞こえはいいが、力を求めればどこまでも潜れてしまうということだ。

 力の奔流に身を任せれば、俺はきっと「人間」であることをやめてしまう。


 そうか、俺にはもう、理性しか安全装置がないのか。


「……やばいな、これ」


『マスター? どうしました? もっと喜びましょうよ!』


「いや、何でもない」


 首を振り、まとわりつく熱を振り払う。

 今は、目の前のことを片付けよう。


          ◇


 崩落現場周辺へと向かう。

 中層エリア「腐食の回廊コロージョン・コリドー」の、さらに奥。


 壁面の酸性カビが、より濃厚に。

 空気も、より澱んでいる。

 吸った息がまずいのは、気のせいじゃないはずだ。


 不意に、カサカサという音が響く。


『マスター、前方。働きアリ(ワーカーアント)の群れを確認』


 視界の先に、大量のアントが這い回っている。

 体長は30センチほど。黒光りする外殻が、薄暗い通路で不気味に光る。


 群れへと歩み寄ると、アントが反応する。

 気持ちの悪い黒鉄色の集団が、こちらへと向き直る。

 外殻をカチカチと鳴らし、威嚇のポーズを取る。


 だが、レベル差がレベル差だ。

 Lv.225の俺にとって、レベル150程度に過ぎないアントは雑魚以下の存在だ。


 バールを振り下ろす。

 パァンッ! という乾いた音と共に、アントの頭部が弾け飛ぶ。

 硬い外殻も、黒鉄製のバールの前では梱包材(プチプチ)みたいなもんだ。


 次の一体。

 その次の一体。


 淡々と、処理していく。

 右へ一歩、スイング。左へ半歩、叩き潰す。

 リズムに乗ってくると、自分が生き物を殺しているのか、ただの作業をしているのか分からなくなってくる。


『経験値効率は悪くありませんよ!ジャンジャン狩っていきましょう!』


「こいつら、ブラック企業の社畜より働き者だな。休みなしで穴掘って、最後は俺に潰される」


『あら、同情ですか?』


「まさか。俺は見習わねぇぞって決意を新たにしてるだけだ」


 バールを振るう手が止まらない。

 単調なリズム。

 心地よい破壊音。

 それが、少しずつ俺の感覚を麻痺させていく。


 しばらくすると大量にいたワーカーアントを全て片付けた。


『通常種のレベル150台とはいえ、これだけ大量に狩るとレベルも上がりますねー。確認してみましょうか?』


「ああ、頼む」


 ナビ子が、青いウィンドウを展開する。


『現在のレベルは、Lv.232です。Lv.225から7レベル上がりましたね!』


「こんな雑魚たちで……」


 レベル150台のアントを大量に狩っただけで、7レベルも上がる。

 通常なら、こんなにレベル差のある敵を倒しても1レベルも上がらない。

 それなのに、Lv.225からLv.232へ。

 自律進化って、こんなにもヤバいのか。


 首を振る。考えても仕方ない。

 今は、目の前のことを片付けよう。


「ーーさて、崩落現場はどこだ?」


『前方50メートルです。……マスター、周囲の壁面を確認してください』


 ナビ子が指差す方向を見る。

 壁面には、無数の小さな穴が開いている。

 アントが、壁を掘り進んだ痕跡だ。

 だが、それにしては断面が乱雑すぎる。


「……これ、あいつらが掘ったのか? 随分と下手くそだな」


『はい。働きアリ(ワーカーアント)は、地中を掘り進む習性があります。この数なら、中層の構造を不安定にした可能性が高いです。今回の崩落は、アントが原因のようですね』


「なんだよ、ワームじゃねぇのかよ」


『私、崩落が起きていて原種が原因かもしれないって言っただけで、境界を蝕む魔蟲きょうかいをむしばむまむしがいるとは言ってませんよ』


「は?」


『反応的に「原種」がいるのは恐らく事実ですし』


「屁理屈を……そういえば、お前がちょくちょく口にするその『原種』ってのは、結局なんなんだ? 普通の魔物と何が違う?」


『ああ、説明がまだでしたね。……いい機会です、解説しましょう』


 ナビ子が、空中に図形を描く。

 モンスターのシルエットが、二つ並んで表示される。


 一方のシルエットが、青く光る。


『通常のモンスターは、システムによって調整され、弱体化しています。アバターシステムとの互換性を保つため、システム補正が効くように設計されているのです』


 もう一方のシルエットが、黒く染まる。

 その瞬間、ナビ子のホログラムに一瞬ノイズが走った。

 まるで、その単語を口にすること自体を、システムが拒絶しているかのように。


『しかし、「原種」は違います。権限の関係で詳細は伝えられませんが特殊な毒素を身にまとい、システムを拒絶し、干渉を受け付けない存在です。いわば、システムにとってのウイルスのようなもの。』


「ウイルス、か」


『そのため、接近するだけで探索者のシステム補正が無効化されます。エイム補正、回避補助、痛覚遮断、スキル発動、魔力操作など、アバターシステムにおける支援機能が停止します。先ほど遭遇した変異個体もシステムに異常を引き起こしますが、それとは比較にならない障害を引き起こします』


「……じゃあ、収納機能(インベントリ)とかも使えなくなるのか?」


『いえ、収納機能(インベントリ)はアバターシステムとは別の基盤で運用されています。原種の影響を受けませんので、ご安心ください』


「そうか。それは助かるな。そんで、先輩の敵のアイツは?」


『猪狩勝利を喰らった対象個体名「境界を蝕む魔蟲きょうかいをむしばむまむしは「ワームの原種」です。ワームは何でも喰らう種族ではありますが、次元を移動するほどの力は原種のみにあると考えられます』


「なんか、紛らわしいな」


 原種とワームは、別の概念。

 原種のワームもいれば、原種じゃないワームもいる、と。

 そんで、今回の崩落は原種のアントが起こした事故だってことだな。


「ま、なんにせよ、アイツが居るわけじゃないなら帰るか」


『え! まだ原種を討伐してないですよ!ほら!』


 ナビ子が、遠くを指差す。

 崩落現場の奥に、横穴が見える。

 おじさんには、それが元からあったものか、自然にできたものか、判別がつかないなー。


「あー、何も見えない。俺はもう帰るぞ。これ以上の休日出勤は御免だ」


 露骨に見ないふりをして、背を向ける。

 だが、足が止まる。


 横穴の奥から、何か気配がする。

 不穏な、危険な気配。


『マスター、穴の奥から探索者反応を検知。……高速で移動しています。何者かから逃げているようですね』


「逃げてる?」


『はい。非常に慌てた様子です。後ろから、何かが追っている可能性が高いです。このままだと死んじゃうかもしれませんね。でも、探索者は自己責任ですもんね……』


 深く、溜息をつく。

 本当は、まだちょっと帰りたい。


「まぁ?まだこの穴があのクソ虫と無関係って決まったわけじゃないし?一応、確認だけしとくか」


『いえ、今回の崩落は99%の確率でアントの原種が原因だと思いますよ』


 人間には言葉にできない機微ってやつがある。AIには、それが分からんのですよ。まったく。


「1%でも確率があるなら、指さし確認するんだよ。ヨシ!ってな。覚えとけよ」


 あの時。

 3年前のあの日。俺は0.1%の違和感を無視した。

 『なんか変だな』と思いながら、先輩の背中を見送った。

 その代償を、俺は一生払い続けなきゃならないんだ。


『失礼しました』


 人間の情緒を教育してやると、ナビ子が、悪戯っぽく笑う。……コイツ。


 何も言わず、横穴へと歩み寄る。

 奥は、真っ暗だ。

 吸い込まれそうな闇が、口を開けて待っている。


「うわー、暗いなぁ。深淵をのぞくとき、深淵を覗いているのだってやつだな」


『マスター、それは「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいている」ですよ。引用が間違ってます』


「分かってるよ。……こっちを覗き返してくるなら、目潰ししてやるだけだ」


 バールを握る手に力を込める。

 あー、面倒くさい。本当に面倒くさい。

 ボケの一つでも挟まなきゃ、やってらんないよ。


 ま、行かないと、後で気持ち悪い思いをするだけだからな。自分のため、だ。


【読者の皆様へのお願い】


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