第63話 おじさん、男爵と話し合い
目的地は、ホルム村から南東に位置する男爵領。
前回は空を飛んだが、今回は練習も兼ねて『万象掌握』を試すことにした。
本来、転移魔法は高度な空間演算と魔力制御を要する大魔法だ。ナビ子のサポートがなければ発動すら叶わない。
だが、万象掌握を展開した俺の目には、世界が違って見えている。
網膜に映る「空間」は、物理的な質量と厚みを持った「壁」そのものだ。
俺は、前回訪れた男爵領へ繋がる座標――その結節点に、指先を沈めた。
ズブ、と分厚いゴムに指を突っ込むような抵抗感が返ってくる。
「……くっ、重いな」
指の関節がミシミシと悲鳴を上げる。
世界そのものが持つ復元力だろうか。その抵抗は、まるで深海で水圧に逆らいながら、錆びついた鉄扉を押し開けているようだ。
いくら『万象掌握』があっても、物理法則をねじ曲げるには相応の労力が伴うらしい。
構わず力を込める。
メリメリッ、と世界が悲鳴を上げるような感触と共に、空間が断裂した。
裂け目の向こう側へ、身体を滑り込ませる。
着地したのは、ナビ子が指定した屋敷近くの路地裏だ。
額に滲んだ脂汗を手の甲で拭い、乱れた呼吸を整える。
背後で空間が修復される気配を確認してから、俺はバルガス男爵の邸宅へと歩き出した。
堅牢な正門の前には、直立する門番の姿がある。
俺は彼らの前で足を止めた。
「新しく廃棄指定地域の管理者になった湊だ。突然ですまないが、バルガス男爵に取り次いでもらえるか?」
何気ない俺の一言に、門番の持つ槍の穂先が僅かに震えた。
切っ先の小刻みな揺れが、主の動揺を何よりも雄弁に物語っている。
アポイントメントも取っていないし、門前払いされる可能性も考慮していた。
しかし、そんな懸念は完全に杞憂だったらしい。
「は、はい! 直ちにお取次ぎいたします! どうぞ、応接室へ!」
まだ昼時にもなっていない時間帯だ。本来なら槍を突きつけ、不審者を追い返すのが彼らの仕事のはずだ。
だが、その指先は白く変色するほど柄を握りしめ、視線は俺の足元を彷徨っている。
どうやら俺の特徴と名前は、恐怖と共に周知徹底されているようだ。「絶対に機嫌を損ねるな」とでも厳命されているのだろう。
門番の一人が弾かれたように走り出し、もう一人が震える手で門を開け放った。
先ぶれも出さずに貴族の家を訪問するなど、本来なら不敬もいいところだ。ナビ子からも「マナー違反ですよ」と釘を刺されていた。
だが、今回はあえてそうした。
前回別れる際、バルガスは「何かありましたらいつでもお越しください」と言っていた。その社交辞令を、言葉通りに受け取ってやることにしたのだ。
それに、わざわざ村人を使って手紙を出し、返事を待って……などというまどろっこしい手順を踏んでいれば、それだけ地球への帰還が遠のいてしまう。
通されたのは、一階の応接室だ。
メイドが紅茶を運んでくる。
その湯気がまだ立っているうちに、重厚な扉が勢いよく開かれた。
「み、ミナト様! ようこそおいでくださいました!」
飛び込んできたのは、バルガス男爵だ。
額には脂汗が玉となって浮かび、呼吸も荒い。どうやら、本当に執務室から走ってきたらしい。
漂ってくるのは、古紙とインクの乾いた匂い。そして、眠気覚ましの苦い薬草茶の香りだ。
「すまんな、急に押し掛けて。前に別れる時、いつでも来ていいって言ってくれたから」
「い、いえ……ミナト様ならいつでも歓迎でございます! 今日はどういったご用件で?」
男爵が揉み手をしながら引きつった笑みを浮かべる。
その右手中指には、長年の執務で硬化した分厚いペンダコがありありと刻まれていた。
俺はカップをソーサーに戻し、本題を切り出した。
「実は、ホルム村との交易について男爵に相談したいことがあってね」
提案の内容に、男爵の目が丸くなる。
「交易、ですか……。しかし、ご存知の通り、あの村への街道はスタンピードで狩り切れなかったモンスターが徘徊しており、商隊を出すには護衛のコストがかかりすぎますので……」
「あぁ、それなら心配いりません」
言い訳めいた言葉を遮る。
「街道周辺のモンスターなら、来る前にあらかた駆除しておきましたから」
ここに来る直前、ナビ子の索敵データを元に、街道付近に巣食っていた魔物はすべて処理済みだ。
以前の俺なら苦戦したかもしれないが、今のステータスは秘銀級に達している。
加えて、エレオノーラという魔法の「生きた教本」を至近距離で観察できたおかげで、自由度が格段に向上していた。
俺の『気配察知』とナビ子の『広域スキャン』。二つをリンクさせることで、スタンピードから漏れ出たような雑魚魔物は、掃除機で吸うように効率よく駆除できている。
「それに、村人たちも強くなっています。彼らが定期的にダンジョンに潜って間引きを行っているので、今後スタンピードが起きる確率は極めて低いでしょう」
「な、なるほど……」
「村人たちがダンジョンから持ち帰った素材やドロップ品。これを男爵領で買い取り、代わりに村へは食料や生活必需品を届けてもらう。……どうです? 悪い話ではないと思いますが」
男爵はハンカチで額の汗を拭いながら、視線を宙に彷徨わせた。
瞳の奥から、一瞬だけ怯えの色が後退する。
しばらくして、彼は観念したように息を吐き出した。
「……承知いたしました。ミナト様からのご提案、合理的かつ魅力的です。商工会にも話を通し、早急に商隊を編成させましょう」
胸中で安堵の息をつく。
正直、ここで断られたら少し強引な手を使わざるを得ないと考えていたからだ。
「良かったです。……もし断られたら、前回のお話でなぁなぁになっていた『村人の強制徴発』の件を掘り返さないといけないかと思っていましたから」
「ヒッ……!」
独り言を装った呟きに、男爵の喉から押し潰されたような呼気が漏れる。
あれから考え直したが、領地のためとはいえ、村の男手だけを根こそぎ奪うのはやりすぎだ。
村人たちが「もういい」と言うから矛を収めていたが、協力を拒むなら、改めて責任の所在をハッキリさせるつもりだった。
『マスター。バルガス男爵、「断らなくてよかった……本当に危ないところだった……」と、心臓の鼓動が早鐘を打っています』
ナビ子が脳内で呑気な実況を入れてくる。
まぁ、脅しが効いたならそれでいい。
「それと、念のために伝えておきます。過剰にコチラを慮った取引をする必要はありませんが、あくまでも公平な取引をお願いしますね? 足元を見るような真似をすれば……分かりますよね?」
「は、はい! もちろんですとも! 公正明大! 適正価格での取引をお約束いたします!」
首がもげそうな勢いで頷く男爵。
これで、村の物流は確保できた。俺がいなくなっても、彼らは自分たちの力で稼ぎ、生活を回していけるはずだ。
用件は済んだ。
ソファから腰を上げ、帰り際に何気ない調子で付け加える。
「あ、そうそう。最近、赫金級の探索者と知己を得ることになりましてね」
「お、オリハルコン……!?」
「えぇ。村に何かあった時には、協力してくれるとのことでした。いやー、高ランクの探索者が近くにいると安心ですよね。……これからも、よろしくお願いしますよ? バルガス男爵」
ニッコリと、最大限の愛想笑いを浮かべる。
瞬間、男爵は椅子の上でひっくり返った。
座っている姿勢から、見えない手で突き飛ばされたかのような器用な転倒。
「は、はいぃぃっ! これからも何卒、何卒良い関係を築いていければと……!」
裏返った声が応接室に響く。
流石にこれだけ釘を刺しておけば、もうちょっかいを出してくる者はいないだろう。
◇
バルガス邸を後にし、再び空間の壁をこじ開けてホルム村へと帰還する。
広場に足がつくと同時に、村人たちが駆け寄ってきた。
だが、その様子がおかしい。
どこか浮足立った、切迫した空気が肌を刺す。
「湊様……!」
「どうした? そんなに慌てて」
交易が復活することを伝えようとした言葉を遮り、リリが悲鳴に近い声を上げた。
「お、お客様がいらっしゃって……! 湊様がご不在であることを伝えたら、『家で待たせてもらう』とおっしゃるものですから、案内してしまいました……!」
お客様?
エレオノーラのことなら、紹介したからそんな他人行儀な言い方はしないはずだ。それに、彼女が来た時よりも明らかに焦燥の色が濃い。
村人たちの視線の先。俺の家の方角から、途轍もないプレッシャーが漂ってきていた。
肌を焼くような重圧。だが、そのピリつく感覚には覚えがある。
「……俺の知り合いだと思う。気にしなくていい」
強張る村人たちを安心させ、自宅へと向かう。
扉を開ける。
「よう、湊。遅かったな」
そこにいたのは、我が物顔で椅子に座り、お茶を啜る男。
Tシャツにジーパンという地球の服を着ているが、その身から溢れ出る圧倒的な存在感までは隠せていない。
「……先輩? なんでここにいるんですか?」
そこにいたのは、昨日地球に帰ったはずの猪狩勝利――ヴィクター王その人だった。
「いやぁ、すまん! ちょっと事情があってな……」
バツが悪そうに頭を掻く先輩。
感動的な別れをした(少なくとも俺はそう思ってる)翌日に戻ってくるとか、どういうことですか。
男爵、お前ビビりながらも「交易復活させてもウチの領地大丈夫かな?」って計算したやろ。
狸め。
まぁ、とにかく村がいつまでも孤立してたら快適な生活ができないですからね(ベルクの知識を使えばなんとかなるかもしれませんが)。おじさんも気を使ってるってわけです。
ブックマークや☆☆☆☆☆評価で応援してくださるあなたへ。
本当にありがとうございます。
この作品が続けられているのはあなたのおかげです。
評価をしていない人は、お好きなタイミングで構いません。
少しでも面白ければ評価を頂けると嬉しいです。
★は五個まで増やせます。




