第58話 おじさんは、分からせる
「前と同じ場所でいいですか?」
勝つ場所は決めてある。あとは、そこへ引きずり出すだけだ。
唇の内側が紙やすりみたいに乾く。啖呵は切った。だが、まともにやり合って勝てる相手じゃない。
ダンジョンや結界の内側――システムの加護が濃い領域じゃ、ステータスが結末を先に書く。数値の暴力に押し潰されて終わりだ。
勝ち筋があるなら、干渉の薄い「外」だけ。
俺の土俵へ運ぶには、前回と同じ荒野に立たせるしかない。
「あら、無理しなくていいのよ? あなたのことは、時間をかけてゆっくり分かっていくつもりだから――」
「うるせぇ。分からせてやるって言ってんだよ」
吐き捨てた言葉に、鮮血みたいな瞳が一瞬だけ丸くなる。次の拍で、愉しげに細まった。
腰を上げるというより、重力を置き去りにしてふわりと立つ。指がパチン、と鳴る。
瞬間、俺たちの周囲の景色が布みたいにたわむ。
腹の奥が遅れて追いつく。
転移魔法。
視界の残像が剥がれる。
足元は砂礫。数日前――彼女に負けた荒野だ。
「お望み通り、前回あなたが私に負けた場所よ。本当にやるの?」
エレオノーラは、鈴を転がすみたいに笑う。
相変わらず、「上」から押し付けてくる視線だ。
「あぁ、今回もアンタから攻撃を開始していいぜ」
インベントリから愛用のバールを取り出し、軽く振る。
乾いた風切り音が空気を切る。手首に、いつもの反動が返ってきた。
「ふふ、少しは楽しませてくれるのかしら?」
彼女の指先に赤黒い魔力が凝り、球体の輪郭を結んだ。
それだけで空気が焼け、地面の表皮が細かくひび割れていく。
規格外。
――なのに、俺の眼には「脅威」として映らない。
肌を刺す圧はある。だが、死の匂いがしない。
頭に浮かぶのは段取りだ。「少し重い荷物」を運ぶ前の、淡々とした手順。
『マスター、レジェンダリーアイテムを強奪した不届き者に、教育的指導を行いましょう!』
普段は冷静なナビ子の声が、やけに軽い。
視界の隅に、半透明のウィンドウが出た。
その中で、銀色のショートボブの少女が鼻息を荒くして、シャドーボクシングを連打している。
華奢な拳が、仮想の女帝をすでに何度も沈めた――そんな勢いだ。
こいつも相当、腹に据えかねてるみたいだ。
このサポート様がこの余裕なら、負け筋は限りなく薄い。
「行くわよ」
開戦の合図は唐突に落ちた。
エレオノーラの指先が払われる。
無数の火球が飛んだ。
一つ一つが戦術級に匹敵する威力。熱が先に皮膚を舐める。
以前なら、ここで身体が固まっていたかもしれない。
だが、今の俺には「見えている」。
「遅い」
膝の角度をわずかに変え、火球の隙間を縫って前へ出る。
熱波が頬の産毛を撫で、喉の奥が乾く。だが、直撃さえしなければどうということはない。
「ふふ、やっぱりこれくらいじゃ止まってくれないわよね」
彼女が指を握り込む。
瞬間、俺の周囲の空間が容赦なく縮む。
重力魔法。
前回、散々攻撃を躱された。それを踏まえた手だ。
点や線ではなく、空間そのものを潰す、逃げ場のない全方位からの圧力だ。
「無駄だ」
逆手のバールが、歪みゆく空間の中心を「叩く」。
硬質な音が空に跳ね、重力の檻がガラスみたいに砕け散った。
万象掌握。
魔法だろうが空間だろうが、質量として認識でき、干渉できる。
「は……?」
初めて、表情から余裕が剥がれた。赤い瞳の焦点が、俺のバールに噛みつく。
防がれる想定はあっても、まさか「叩き割られる」とは想定していなかったのだろう。
物理法則の埒外にある現象。
その一瞬の隙を、俺が見逃すはずがない。
地面を蹴る。
距離が爆発的に詰まる。
懐へ滑り込んだ。
踏み込み一つ。
反応が遅れた腹へ、バールの石突きが突き立つ――寸前で、手首が止まる。
「……ッ!!」
エレオノーラは反射的に防御障壁を咲かせ、ふわりと距離を取った。
こめかみに浮いた汗が、美しい頬を細い線になって滑り落ちる。
「あなた……今、何をしたの?」
「言ったろ、もう勝てないって」
俺はバールを肩に担ぎ、口の端だけをつり上げた。
「どうした? もっと本気で来いよ。でないと何もできずに終わるぞ?」
その言葉が、女帝のプライドに火をつけた。
瞳の奥が妖しく濃くなる。
周囲の魔素が渦を巻き、乾いた風向きがねじれ始めた。
エレオノーラの周囲で、空気が焦げるような放電音が弾ける。
白い肌に、赤い亀裂のような文様が浮かび上がった。
熱い鉄を押し当てた跡みたいに滲み、そこから血がにじむ。
白銀の髪も、豪奢で露出の少ないドレスアーマーも、熱に揺らがない。本人だけが重力から切り離されたみたいに、ふわりと浮いている。
だが、出力を引き上げた瞬間、背後にある六つの兵装が円環を成し、王冠の棘として起立した。
鮮血みたいな赤い瞳の奥で、金の輪が灯る。
ダンジョンの「外」という制限下で、無理やり出力を引き上げているのだ。
肉が追いつかず、皮膚が先に割れる。
それでも、彼女は止まらない。
「……いいわ。後悔させてあげる」
彼女の背後に、巨大な魔法陣が展開される。
本人はその場から一歩も動かない。指先ひとつで、世界の方を跪かせる。
それは、国一つを更地にできるのではないかと錯覚するほどの、極大魔法。
綺麗すぎる光が、胃の奥を冷やした。
「これは、ちいとばかし重そうだな」
「神祖の断罪!!」
彼女の叫びと共に、魔法陣がまばゆい光を放ち始める。
◇
そのころ、北の山岳地帯の麓から、二つ目の太陽が昇った。
一つは、いつもの暖かな陽光。
もう一つは、禍々しい赤黒い輝き。
ホルム村。
畑仕事をしていた村人たちが、いっせいに顔を上げる。
次の瞬間、手が止まった。鍬の柄が掌から滑り、土に鈍い音を立てる。
子供たちは状況が分かっていない。ポポが無邪気に指を差した。
「わぁ! 太陽が二つある! おじちゃんに教えてあげよう!」
「馬鹿野郎! あれは太陽じゃねぇ!」
ガルの顔色が抜け、ポポを抱え上げる。
「全員、避難壕へ急げ! 師匠が作った『あの場所』なら耐えられるはずだ!」
リリも青ざめたまま、村人を押し出すように避難誘導を始めた。
男爵領の城館。
兵士から緊急報告が飛び込む。
男爵の手が止まった。羽根ペンが紙の上で引っかかり、黒い染みを作る。
椅子を蹴って立ち上がり、バルコニーへ走り出た。
北の空を見上げた瞬間、喉の奥の空気が固まった。
「な、なんだあれは……! 空が……燃えている……!」
「閣下! あれは戦略級……いえ、国崩し級の魔力反応です! 直ちに避難を!」
青ざめる魔導師団長を、男爵は腹から声を絞り出して叱咤する。
「う、うろたえるな! 領民たちに不安を与えぬよう尽力せよ! 避難誘導と情報の統制を最優先だ!」
「は、はっ!」
部下たちが去った後、男爵はその場にへたり込み、肺の奥の空気をゆっくり吐いた。
「……また、廃棄地域か。あんな場所、手放して本当によかったぁ……。え、さすがにこっちまで被害は来ないよね?」
◇
「消えなさい」
放たれたのは、全てを無に帰す光の奔流。
回避は不可能。
防御も無意味。
「即死」という概念そのものが、質量を持って襲いかかる。
なら――。
「真正面から、ぶち壊す!」
俺はバールを両手で握り締め、意識を一点へ寄せる。
掌が熱で粘り、前腕の筋がきしんだ。魔力回路が焼けるように脈打つ。
「オオオオオオオオッ!!」
俺は光の奔流に向かって、全力でバールを振り抜いた。
万象掌握、最大出力。
俺の意思が、バールを介して世界に命令する。
『そこにあるのは、ただの光だ』と。
衝突の瞬間、白が視界を塗り潰した。
衝撃波が大地を削り、砂が肌を針みたいに叩く。
だが、退かない。
その光の奔流を「物体」として捉え、強引にねじ伏せ、粉砕する。
何かが砕ける音と共に、光の奔流は霧散した。
後に残ったのは、焼け焦げた荒野と、喉の奥が焼けるように息を吐く俺。
そして、焼けた地面から指一本ぶん浮いたまま、エレオノーラだけが取り残される。
「……あ、嘘……」
彼女は力なく膝をついた。
最強の魔法を、ただの鉄の棒で防がれた。
その事実が、彼女の背骨を一本ずつ折っていく。
「え、どうして……?」
掠れた声が漏れる。
当然だろう。ダンジョン外とはいえ、全力で放った魔法だ。
それを棒一本で叩き割られた。理解の枠が、音を立てて割れる。
譫言のように呟く彼女に、俺はゆっくりと歩み寄る。
俺はバールの切っ先を、へたり込んだエレオノーラの鼻先に突きつけた。
「俺の勝ちだな」
「……その、壊れそうな武器で?」
言われて手元を見ると、愛用のバールには無数の亀裂が入り、今にも崩れ落ちそうになっていた。
さすがに、今の無茶には耐えきれなかったか。
すまん、相棒。あとで直してやるからな。
「ま、素手でぶっ飛ばしてもいいんだが、さすがに気が引ける。引き分けってことでどうだ?」
「……ありえないわ」
エレオノーラは揺れる瞳で、俺を見上げた。
そこに宿っていたのは、確かに悔しさだ。
けれど、それは瞬き一つで沈み、別の色に塗り替わる。
――理解できないものを、理解したい。
あの瞳の奥で、確信めいた熱が灯った。
「私の……完敗よ」
予想よりもあっさりと負けを認めた。意外だった。
だが、その次の瞬間、さらに大きな驚愕が俺を襲う。
「やっぱり、あなたしかいないわ!」
「は?」
「これまでの人生で一度も見たことのない存在。貴方こそが鍵なのよ」
彼女は身を起こし、埃を払う素振りもなく、熱を孕んだ赤い瞳で俺を捉えた。
◇
その後、村に戻った。――のだが、エレオノーラは帰る気配を見せない。
どこからともなく椅子を取り出して腰掛け、気怠げに紅茶を飲み続ける。
放っていけば、このまま村のど真ん中で居座りかねない。
仕方なく、俺は自分の住んでいる小屋へ連れていった。
彼女は椅子に足を組み、湯気の立つカップを傾けている。
露出の少ないドレスアーマーが陽を返し、白銀の髪が風にほどけた。鮮血の瞳は退屈そうに、俺の手元だけを追っている。
「あの、手合わせも終わったし、帰ったらどうです?」
「いいじゃない、別に」
「ほら、国の事とかあるでしょ?」
「私がやるべきことなんてないわ」
さらりと言い切り、また一口紅茶を口に含む。
「それに、ヴィクターだって長期間探索していることくらいあるはずよ」
「いや――」
言い切る前に、砂利を鳴らす足音が聞こえた。
視線が入口へ流れ、そこにポポが現れる。
「ねぇ、おじちゃん見て! あ、きれいなお姉ちゃんだ。おじちゃんに会えたんだ、よかったね」
ポポだ。
背中を、氷水の筋が一本、すべった。
指が勝手に伸び、子どもの肩を引き寄せようとする。喉の粘膜がきゅっと縮む。
――大丈夫なのか。こんなのに、話しかけて。
だが、エレオノーラは眉一つ動かさない。
むしろ、機嫌がよさそうに口角を上げた。
「えぇ、そうね。よかったわ、とても、ね」
カップを置き、ポポの目線に合わせるように身を屈める。その所作がやけに丁寧で、逆に怖い。
なんなんだ、こいつ。本当に分からない。
弱い奴に優しくするとつけあがるとか言ってただろ。
ポポは俺の近くに来ると、両手をぱっと開いてみせた。
掌の上で、小さなトカゲが尻尾を打つ。捕まえた獲物を見せつけたかっただけらしい。
満足そうに頷くと、すぐに踵を返して走り去っていった。
「で、いつまで居るつもりです? 本当に」
「そうねぇ、満足するまで、かしら?」
帰ってくれねぇかな、マジで。
ようやっとあの時の屈辱を晴らせました(ダンジョン外とはいえ)。
雑に扱うのも気が引けるし、ほんと厄介すぎる……。
私事で申し訳ないですが、体調を崩してしまい毎日更新はストップとなりそうです。
エタる心配はありませんので、ぜひブックマークで更新を見逃さないようにしていただければと思います
ブックマークや☆☆☆☆☆評価で背中を押してくださるあなたへ。
本当にありがとうございます。
この作品が続けられているのはあなたのおかげです。
まだの方、いつでも構いませんので少しでも面白ければ評価を頂けると嬉しいです。
★は五個まで増やせます。




