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第05話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、ゴミ掃除をする

 先輩の家からの帰路、夜の帳が下りた上野の街。

 繁華街の喧騒から少し離れた路地を、俺はポケットに手を突っ込んだまま歩いていた。


『ねえマスター、ダンジョンに行きませんか? 上野ダンジョンはすぐそこですよ?』


 相変わらず元気でやかましいナビ子の声。

 俺は溜息をつきながら、ネオンにかき消された夜空を見上げる。


「行かないって言ってるだろ。今日はもうオフだ」


『えー、もったいないですよぉ。今のマスターなら、素材回収も経験値吸収の効率も最高なのに』


「休息も大事な仕事だ」


『むぅ……マスターのケチ。意気地なし。草食系おじさん』


「なんとでも言え」


 聞き流していると、不意にナビ子の声色が真剣なものに変わった。


『……マスター、右方向から魔力の乱れを検知。規模は極小ですが、敵意を含んでいます』


 ナビ子の警告に、俺は一瞬だけ足を止めるが、何もなかったように歩き始める。


「スルーだ、スルー。休日出勤はしない。俺はもう帰って寝る」


『でも、この反応……人間ですよ? しかも探索者(シーカー)です』


「だからどうした。探索者同士の揉め事なんて日常茶飯事だろ」


 ダンジョン発生から32年。

 世界は「力ある者」を中心に回り始めた。

 Lv.100を超えた探索者は、生身で特殊部隊員と互角以上の戦闘力を持つ。Lv.200にもなれば、小隊を単独で壊滅させることすら可能だ。

 そんな「歩く戦術兵器」が街を闊歩しているのだ。一般の警察官が太刀打ちできるわけがない。

 結果として、探索者絡みのトラブルは「聖域(アンタッチャブル)」として扱われ、警察も積極的には介入しない。

 探索者同士の揉め事は、探索者同士で解決する。

 それが、2000年以降作られた暗黙のルールだった。


『あ、女性の悲鳴らしき波形も検知しました』


「……」


 再び足が止まる。

 舌打ちが一つ、漏れた。


「はぁ……場所は?」


『右手の路地、突き当たりを左です』


 俺は進路を変える。

 正義感なんて立派なものじゃない。

 ただ、さっき見てきた翔太くんの笑顔と、先輩の言葉が脳裏をよぎっただけだ。


 ――古い考えだって言われるかもしれねぇが、女、子ども、そういった弱い奴は守んねぇといけねぇんだよ。分かるか?


          ◇


 背中に押し付けられたコンクリートの壁が、氷のように冷たい。

 鼻をつくのは、路地裏の腐った生ゴミの臭いと、男たちの熱気、そして安っぽいコロンの混じり合った不快な悪臭。

 空気が吸えている気がしない。ヒュッ、ヒュッ、と喉が鳴るたびに、肋骨がきしむ感覚が全身を駆け巡る。


「ねぇ、お姉さん。抵抗しない方が良いよ?」


 目の前に突きつけられたスマホの画面。

 そこには、原形を留めないほど顔を破壊された女性と、人形のように目を虚ろにした女性が映っていた。


「ほら見て。この子、最初は激しく抵抗したんだよねぇ。……だから、こうなったちゃった。顔、グチャグチャでしょ?」

「で、こっちの子は抵抗しなかったんだけど、積極的じゃなかったからなぁ……ね?」

「でも見てよ、この子。一番積極的だった子。この子は今も生きてるよ。呼べばいつでも来てくれる()()()()になったんだ」


 男たちの下卑た笑い声が、鼓膜を直接やすりで削るように響く。

 彼らが纏う空気は、明らかに一般人のそれではない。

 暴力に慣れ、人を傷つけることに何の躊躇いも持たない「怪物」の気配。

 探索者だ。今の警察ですら介入できない、力を持った特権階級。


「あとさ、ねぇ、知ってる? レベルが100を超えるとさ、収納機能(インベントリ)ってのが使えるようになってね」


 リーダー格の男が、ニヤニヤと粘りつくような視線を這わせながら、一歩距離を詰めてくる。


()()()()入んないんだけど、何かと便利なんだ」


 男はポンと自分の腰のあたりを叩く。

 そこには何もない。だが、男の眼光が雄弁に物語っていた。

 死体なら入る、と。

 ここで私を殺しても、証拠一つ残さず処理できるのだ、と。


「さて、お姉さんはどれになりたい? 賢い選択、できるよね?」


 助けは来ない。逃げ場もない。

 逆らえば死、従っても地獄。

 突きつけられた絶望的な二択に、限界を超えた心が悲鳴を上げるよりも早く、思考が真っ白に焼き切れた。


 現実感が剥離していく。

 あぁ、私はここで壊されるんだ。

 ゴミのように扱われ、最後はあの便利な機能に放り込まれて、誰にも知られずに消える。


 乾いた唇が、言葉にならない音を漏らす。

 男の脂ぎった手が、私の肩へと伸びてくる。

 拒絶する意志はとうに摩耗し尽くしていた。

 代わりに首をもたげたのは、死にたくないという生存本能。

 心が完全に壊れる前に、体が勝手に最適解を選ぼうとする。

 まるで糸の切れた操り人形のように、私の手は意思を伴わないまま、男へと媚びるように動きかけるーー


 その瞬間、世界から「音」が消えた。


          ◇


「……散れ、カス」


 俺は短く告げた。

 男たち(ゴミカス)の動きが止まる。

 一斉にこちらを振り向いた。


「あ? なんだおっさん。俺たちの邪魔すん――」


 リーダー格と思われる(クズ)が、凄みを利かせながら歩み寄ってくる。

 俺は一歩も動かない。ポケットから手を出すこともしない。

 ただ、少しだけ「圧」のバルブを開いた。


 キィィィィン、と。

 男たちの鼓膜が悲鳴を上げたのが分かった。

 路地裏のネズミが一斉に走り出し、壁を這っていたゴキブリがボトボトと地面に落ちる。


 物理的な衝撃ではない。

 純粋な魔力による、生存本能への直接干渉。

 俺の力は、ダンジョン外でも減衰しない。

 ダンジョン外の基準に換算すれば秘銀級(ミスリル)相当。

 国家を脅かす戦略級の力を、剥き出しにして叩きつける。

 生物としての格の違いを、DNAレベルで理解させる。


「ひっ……、あ……!?」


 男が悲鳴を上げ、尻餅をついた。

 心臓を素手で握られたような錯覚に陥っているはずだ。

 他の二人も、泡を食ったように後ずさる。

 何が起きたのか理解できていない。

 ただ、中途半端な雑魚(ゴミ)どもでも、本能は正常だったらしい。

 天敵を前にした小動物が擬死(ぎし)反射を起こすように、彼らは恐怖で凍りついていた。

 目の前の「何か」が、自分たちを捕食し得る絶対的な上位存在だということだけは悟ったようだ。


 もはや、動くことが出来ない男たち(ゴミカス)を見下ろしたまま、冷淡に言い放つ。


「どうする? こいつら殺しときます?」


 独り言ではない。

 震える女性に向けた問いかけだ。


「え……?」


 女性が目を見開く。


 高レベル探索者は、法による裁きを受けにくい。

 その力は国家の軍事力に匹敵し、警察機構では制御不能だからだ。

 もちろん、警察官もダンジョンでの訓練は行っている。対探索者用の特殊部隊など、一部には化け物じみた実力者もいるらしいが、絶対数が足りていない。

 大半の警察官は、ただの公務員だ。

 日常業務の合間を縫って、命懸けのレベル上げを強制することなどできない。

 結果、死線を超え続ける専業探索者との戦力差は開く一方となり、警察権の介入は事実上不可能となってしまった。

 ゆえに、探索者同士の私闘は黙認されがちで、殺害しても「ダンジョン事故」や「正当防衛」で処理されることが多い。


 男たち(ゴミカス)の顔色が蒼白になる。

 冗談ではないことが伝わったのだろう。

 俺の纏う空気が、殺気そのものだからだ。


「た、助けてください! もうしません! 二度としませんから!」

「許してください……!」


 男たち(ゴミカス)が、黒ずんだガム、酔客の吐瀉物が染みこみ、正体不明の汚水でベタつく路面に、躊躇なく額をこすりつける。

 先ほどまでの威勢はどこへやら。

 情けないものだ。


 女性は目を白黒させ、金魚のように口をパクパクとさせている。

 何が起きたのか、まだ理解できていないようだ。

 無理もない。地獄の底にいたのだ。思考が追いつくはずがない。


「あ、あの……え、と……」


 しばらくして、ようやく焦点が定まってきた瞳が、俺と土下座する男たちを行き来する。

 そして、さきほどの俺の言葉――『殺しときます?』の意味を、遅まきながら理解したらしい。

 殺す。目の前の男たちを。

 その提案に、女性の表情が凍りついた。


 だが、すぐにおずおずと首を横に振った。


「そ、それは……良いです」


「……そうですか」


 常識的な反応だ。たとえクズ相手でも、人が死ぬのを望む一般人はそう多くない。

 俺は男たち(ゴミカス)に視線を戻す。


「二度とすんなよ」


「ひぃ、あ、あぁぁ……!」


 男たち(ゴミカス)は、弾かれたように背を向けた。

 だが、恐怖で運動機能が麻痺しているのか、足がもつれて将棋倒しになる。

 それでも立つことすらできず、互いの体と薄汚い地面を蹴りつけ合いながら、芋虫のように這いずって闇の奥へと消えていく。

 置き土産は、鼻をつく排泄物の臭気だけ。


 俺は鼻を鳴らし、小さく吐き捨てた。

 本当に情けない。


 路地裏に静寂が戻る。

 俺は女性に向き直り、意識して一歩、後ろへ下がった。

 これ以上、男に近づかれたくはないだろう。

 なるべく威圧感を与えないよう、声を落として問いかける。


「……怪我などは、ないですか」


 女性は呆然と俺を見上げている。

 恐怖と安堵、そして驚愕がない交ぜになった表情。

 声が出ないようだ。


 まあ、無理もない。

 女性に向いていなかったとはいえ、先ほど漏れ出た殺気は、刺激が強かったのだろう。


「気をつけて帰ってください。……あと、これ」


 女性の体の周囲に、極薄の魔力皮膜(ヴェール)を展開する。

 気休め程度だが、低級モンスターやゴロツキ程度なら弾けるはずだ。


「お節介かもしれませんが、お守り代わりに魔力を纏わせておきました。家に着くまでは保つと思うんで」


 それだけ言い残し、俺は踵を返した。

 名乗るつもりはない。

 礼を言われたいわけでもない。ただ、家の周りのゴミを掃除しただけ。


 背後で、何か言おうとしていた気配がしたが、振り返らずに歩き出した。


          ◇


 その背中を、私はただ呆然と見つめていた。

 恐怖で震えが止まらなかった体が、別の震えに変わっていくのを感じる。

 路地裏の闇に消えていく、私より少し年上の男性。

 彼が何者なのか、私は知らない。

 けれど、彼が放った圧倒的な「力」の残滓だけが、肌に焼き付いて離れない。


 法も警察も頼りにならないこの世界で。

 あの男たちのような怪物が跋扈するこの場所で。

 あの人は、怪物たちを「カス」と呼び捨て、ゴミのように蹴散らした。


(……強くなりたい)


 気づけば、そう呟いていた。

 守られるだけの弱い自分ではなく。

 理不尽な暴力に怯えるだけの存在ではなく。

 彼のように、誰にも脅かされない「力」が欲しい。


          ◇


「はぁ、はぁ……! な、なんだったんだ、あいつ……!」


 男たちは、路地裏のさらに奥、廃ビルの陰に隠れるようにして肩で息をしていた。

 全身が汗と泥と汚物でまみれている。

 だが、そんなことを気にする余裕はなかった。


「ありえねぇ……なんだよ、あの圧……」


 (クズ)の一人が、ガタガタと震える手でタバコを取り出そうとして、地面に落とす。

 脳裏に焼き付いているのは、首筋に氷の刃を突きつけられたような感覚。

 生物としての本能が警鐘を鳴らしていた。

 ダンジョン内で遭遇したどのモンスターよりも重く、濃密な死の気配。


「……秘銀級(プラチナ)どころじゃねぇぞ。あれは……」


 一度だけ、遠目で見たことのある秘銀級(プラチナ)の探索者たち。ダンジョンの外で彼らが纏っていた空気すら、さっきの「得体の知れない男(おっさん)」に遠く及ばない。

 生物としての存在強度が、次元が、違う。

 あれは、人が触れていい領域の存在じゃなかった。


「……でも、助かった」


 誰かがポツリと呟いた。

 その言葉に、空気が緩む。


「あぁ、ビビらせやがって……。運が悪かっただけだ」

「そうだよな。たまたま、化け物に出くわしちまっただけだ」


 恐怖が去ると同時に、彼らの心に巣食う下劣な本性が、再び鎌首をもたげる。

 反省も、後悔もない。あるのは「運が悪かった」という自己正当化だけ。


「場所を変えようぜ。次はもっと上手くやろう」

「そうだな。今度はもっと人気のない場所で――」


 男たちが顔を見合わせ、卑俗な笑みを浮かべーー。


          ◇


 少し歩いたところで、俺は足を止めた。

 暗い路地の奥。

 誰の目にも触れない死角。


「なぁ、ナビ子。あいつらの再犯率って分かったりするのか?」


『更生可能性0.002%。今後、性犯罪を含む重大犯罪を犯す確率98.7%です。過去の行動履歴と精神パターンからの予測ですが』


「……だよなぁ」


 俺は虚空を見つめる。

 物語の主人公なら、ここで見逃してやるのが王道だろう。

 改心する可能性を信じて。

 だが、現実はそうじゃない。

 一度味を占めた獣は、必ずまた襲う。

 次はおそらく、もっと弱い相手を。もっとバレない場所で。


「俺はなぁ、主人公が見逃した悪い奴らがその後に被害を出す展開を見て、いっつも思ってたんだよ。『甘くね?』って」


 見逃した時点で、主人公も加害者と同じ穴の狢だろ、と。

 再犯を許したのは、自らの善性を証明するために手を止めた、その甘さなのだから。


 俺は指先を軽く弾いた。


 離れた場所で、小さな、本当に小さな魔力が炸裂する。

 誰にも聞こえない、風のような音。

 だが、ナビ子のセンサーには、生命反応が三つ、同時に消失したことが記録されたはずだ。

 ゴミがそこに在ったという事実すら残さない、完全な消滅。

 骨も、肉も、汚らわしい魂さえも。


『対象三名、活動停止。……でも意外でした。マスターがそこまでやるなんて』


「理性を失った探索者なんて、モンスターよりタチが悪いからな」


 俺は自分に言い聞かせるように呟く。

 急に力を得て、万能感に酔った成れの果て。

 それは、一歩間違えれば俺自身の姿かもしれない。

 力の魔力に溺れ、道を踏み外した、哀れな末路。


 胸の中に、冷たい鉛のような重みが沈殿していく。

 ゴミを掃除したことへの罪悪感ではない。

 あまりにも「軽すぎた」のだ。


 以前であれば、白銀級(シルバー)相手にここまで一方的にはできなかった。

 多少の「戦闘(やりとり)」があったはずだ。

 それが今はどうだ。

 指先一つ。それだけで、掃除が終わった。

 躊躇も、葛藤も、手応えすらもなく。

 ダンジョン外で得てしまった秘銀級(ミスリル)相当の力。それが俺の倫理観の(たが)まで外してしまいそうで、背筋が寒くなる。


『もう、これ実質休日出勤ですから、ダンジョンに行きましょうよ』


 いつものように明るいナビ子の声が鼓膜を揺らす。

 俺の心境を察して、空気を変えようとしているのかもしれない。


「は? 何言ってんだ。家の周りのゴミ掃除は仕事じゃねぇからノーカンだ。ボランティアだよ」


『でも、気になるんですよ。最近、上野 不忍池ダンジョンの中層で崩落が起きてるようなんで、もしかしたら原種がいるのかもーー』


 足が止まる。


「……そういえば、舟木さんも言ってたな。原種(アイツ)がいるかも知れないなら先に言えよ。話が違うだろ」


 崩落。

 確かに何かが、引っかかる。

 それに――今の俺には、この得体の知れない「モヤモヤ」を発散させる場所が必要だった。


「……行くぞ」


『え? どこへ?』


「決まってんだろ。上野ダンジョンだ」


『やった! 休日出勤ですね! マスター大好き!』


「うるさい。勘違いすんな、ちょっと様子を見に行くだけだ」


 俺は歩き出す。

 帰り道とは逆方向へ。

 夜の闇に聳え立つ、巨大な異界の入り口へ向かって。


 「休日出勤」が始まる。


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