第42話 その男、災害級につき
その日、ホルム村の空は、目に痛いほど青く澄み渡っていた。
乾いた風が、昼下がりの気だるい空気を撫でていく。
俺は建物の影で膝を抱え、平和ボケしそうな頭を振って欠伸を一つ。
だが、その口が閉じきる前に、不快な音が鼓膜を叩いた。
「領主様の使いである! この村の責任者を出せ!」
金属が擦れる音と、複数の蹄の音。
俺は顔をしかめて立ち上がり、建物の角から広場を覗き見た。
砂煙を上げて乗り込んできたのは、十名ほどの騎馬隊だ。
磨き上げられた鎧の胸元に、「絡みつく茨」の紋章が光る。
先頭を行く二人の男は、一目でそれと分かる上等な軍服を纏っていた。
手綱を握る革手袋、腰に下げた宝飾剣、そして周囲を見下ろす傲慢な眼差し。
――白銀級相当。
ナビ子の解析を待つまでもなく、彼らの立ち居振る舞いが「暴力のプロ」であることを雄弁に語っている。
対する村人たちは、農具や手製の槍をもち、遠巻きに様子をうかがっている。
以前なら、領主軍というだけで平伏し、震えていただろう。
だが、今の彼らの背中に怯えはない。
日々の訓練と『子機化』による身体強化。
その手には、この程度の兵隊など数分でミンチにできるだけの「実力」が握られている。
「……あーあ。また面倒なのが湧いて出たなぁ」
俺は壁に背中を預けたまま、げんなりと呟いた。
『マスター、実況解説モードに入らないでください。見てください、あそこ』
彼女が示した先――村人たちの最前列で、トトが剣の柄に手をかけ、今にも飛びかかりそうなほど身を硬くしていた。
それを、リリとユルダ婆さんが左右から必死に体で抑え込んでいる。
「やれやれ。……行きますか」
俺は首の骨を鋭く鳴らし、わざと大きな足音を立てて姿を現した。
「……おやおや。随分と賑やかですね」
営業用の声を張り上げる。
村人たちの視線が、一斉に俺へと吸い寄せられた。
殺気立っていた彼らの瞳に、安堵の色が広がる。
「湊様!」
「おじちゃん!」
駆け寄ろうとするポポを手で制し、俺は兵士たちの前へと歩み出た。
鼻先まで近づいてきた馬が、俺を見て荒い鼻息を吐き出す。
「貴様が、この村の代表か?」
隊長らしき男が、鞍の上から俺を見下ろした。
値踏みするような視線が、俺の全身を舐めるように這う。
こちらの装備は、この世界には存在しないであろう作業用ツナギに、鉄の棒が一本。
戦士の鎧でもなければ、魔術師のローブでもない。
男の目から警戒の色が消え去り、代わりに得体の知れない虫を見るような、侮蔑の色が浮かび上がる。
「まあまあ、そういきり立たずに」
俺は唇の端を吊り上げ、愛想笑いを貼り付けながら、隣で硬直しているユルダに視線を流した。
「村長、お客様ですよ」
「えっ、い、いえ……! 湊様がいらっしゃるのに、私が前に出るなど……滅相もございません!」
ユルダ婆さんは顔面を蒼白にし、首がもげそうな勢いで横に振る。
いや、そこは前に出てくれないと困る。
俺はあくまで部外者という立ち位置でいたいのだ。
「ええい、どっちでもいい! 責任の所在など、後で決めれば済むことだ」
男が苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
村人たち全員が、「湊様にお任せします」というキラキラした視線を送ってくる。
……ああ、もう。胃が痛い。
「厳密には責任者ではありませんが、代理ということでお話を聞きましょう」
俺の言葉に、兵士たちが鼻を鳴らして笑った。
だが、リリやユルダは「代理などではない、貴方こそが我々の王だ」と言わんばかりの熱っぽい視線を俺の背中に焼き付けている。
やめてくれよ。
「ふん、まあいい。誰であろうと、我々の用件は変わらん。……滞納分の税を徴収しに来た」
男は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、これ見よがしに広げた。
そこには、インクの染みのような数字が羅列されている。
「ホルム村は、過去三年にわたり、領主様への納税義務を怠っている。その総額は……金貨十二枚に相当する」
「税金、ですか?」
俺は眉根を寄せた。
金貨十二枚。……ピンとこない。
この世界に来てからというもの、通貨というモノを見た記憶がない。そのため、貨幣価値がさっぱり分からないのだ。
(ナビ子、金貨十二枚っていくらくらいだ?)
『日本円換算で約120万円相当です。ちなみに、この村は自給自足経済ですので、彼らにとっては到底払えない負担額と言えます』
(なるほど。つまり、絶対に払えない額をふっかけてきたわけか)
手持ちのアイテムで代納できるなら、恐らく簡単に解決するだろう。
だが、ここで渡して解決するとは思えない。
『これは傷物だ』『出所が怪しい』と難癖をつけて二束三文で買い叩き、結局は「足りないから体で払え」と言われる可能性が高いだろう。
相手はこちらを、搾取されるだけの弱者と見下しているのだから。
(……なら、まずは分からせないとな。ナニを相手にしてるのかを)
俺は腹の底で方針を固め、努めて冷静な声を出し続ける。
「ここは廃棄地域のはずです。領主の庇護など一度も受けていないと聞いていますよ。魔物の討伐も、井戸の管理も、全部自分たちでやってきたそうじゃないですか」
脳裏に、この村に初めて足を踏み入れた日の光景が蘇る。
崩れかけた廃屋。家の前に無造作に突き刺さった、無数の慰霊杭。
干からびた大地と、泥水を啜り、渇きに喘いでいた子供たちの虚ろな瞳。
あそこまで追い詰められていた時、この連中はどこで何をしていた?
何の義務も果たしていない国が、税金だけはきっちり取ろうとする。
どこの世界でも、役人の思考回路は変わらないらしい。
かつてニュースで見た、ふんぞり返って居眠りする国会議員の脂ぎった顔が重なり、胃の奥が冷えるような嫌悪感がこみ上げた。
「黙れ下民。庇護の有無など関係ない。領主様の土地に住んでいる以上、税を払うのは当然の義務だ」
「で、払えないならどうするんですか?」
「決まっている。――『体』で払ってもらう」
男は唇を歪め、粘つくような視線を後ろへ投げた。
控えていた兵士たちが、重苦しい金属音と共に手錠と足枷を取り出す。
「若い男と女を差し出せ。鉱山での労働力として、あるいは兵士として、領主様のために働いてもらう。それが嫌なら、今すぐここに金貨を積め」
男は下卑た笑みを深め、村人たちの背後に隠れているポポたちに視線を這わせた。
「ああ、そこのガキ共も連れて行くか。狭い坑道に潜り込ませるには、小さな体が都合がいいからな」
村人たちの間に、さざ波のような動揺が広がる。
金などあるはずがない。
つまり、これは最初から「人攫い」を正当化するための茶番だったのだ。
「ふざけるな……ッ! これ以上、俺たちの家族を奪われてたまるか!」
トトが叫び、剣の柄に手をかけた。
だが、男は眉一つ動かさない。
むしろ、待っていたとばかりに羊皮紙の束をペラペラと振ってみせた。
「ほう、反抗するか。……いいのか? この村が反抗的な態度を取ったとなれば、以前徴発された者たちの扱いがどうなるか、保証できんぞ?」
その言葉に、トトの動きが凍りついた。
ガルが、ピピが、顔面から血の気を失い、幽霊のような顔で男を見つめる。
「……父さんたちは、まだ生きているのか!?」
「さあな。だが、男爵様も無駄に使い捨てたりはなさらん。運が良ければ、まだ息をしているかもしれんな」
男は楽しげに肩をすくめる。
卑劣だ。
物理的な暴力ではなく、「人質」という名の見えない鎖で心を縛り付けてきやがった。
これでは、どんなに強力な武器があっても引き金を引けない。
乾いた硬質な音が、静寂を唐突に殴りつけた。
一人の村人が、握っていた手製の槍を取り落とした音だった。
それが合図のように、戦意が瓦解していく。
「湊様……もう、いいです」
リリが、掠れた声で言った。
その瞳から、光が消えかけている。
「私たちが……行きます。だから、どうか……」
「リリ!?」
「仕方ないのよ! お父さんたちが生きているかもしれないなら……私たちは、逆らえない」
絶望が、伝染病のように広がっていく。
ユルダ婆さんも、苦渋の表情で目を伏せた。
自分たちが犠牲になれば、誰かが助かるかもしれない。
そんな、吐き気がするほど優しい自己犠牲。
「……はぁ」
俺は肺の中の空気をすべて吐き出し、乱暴に頭を掻きむしった。
胸糞が悪い。
こういう手合いが一番嫌いだ。
正論という名の凶器を振り回し、弱者の弱みにつけ込んで骨までしゃぶるハイエナども。
「リリさん。……勝手に諦めないでください」
「え……?」
「貴方たちは私の『資産』でしょう? 私の許可なく、つまらない進路を選ばないでほしいですね」
俺は一歩、前に出た。
脳内でナビ子に呼びかける。
(ナビ子。俺って、この世界の人間じゃないよな? こいつらの言う法律とか義務とか、俺に適用されるのか?)
『厳密には微妙なラインですね。居住実態があれば課税対象になる可能性はありますが……』
(ちっ、面倒くせぇな)
『ですがマスター。地球も、この世界も、法律というのは結局のところ――これに依存しています』
ナビ子が、ウィンドウに一つのアイコンを表示した。
剣と魔法。
つまり、「暴力」だ。
『法を作るのも、守らせるのも、結局は力です。執行力が伴わない法など、ただの紙切れ。逆に言えば――』
(……力さえあれば、法すらも捻じ曲げられる、か)
悪くない。
郷に入っては郷に従えというが、従うべき郷のルールが「弱肉強食」なら、喜んでそれに従おう。
「役人さん。……少し、よろしいですか。
勘違いされているようですが、私はこの村の人間じゃありません。
ですが、彼らには少々『貸し』がありましてね。それを回収するまでは、私の大事な『資産』なんですよ。
――勝手に傷をつけられると、私の利益が損なわれるんですが」
俺はスゥッと息を吸い込む。
普段は、村人たちや周辺の生態系を刺激しないよう、限界まで圧縮して腹の底に押し込めている「気配」。
それを、ほんの少しだけ――ボトルの栓を緩めるようにして、解放した。
「ッ!?」
音が、消えた。
風の音も、馬のいななきも、兵士たちの呼吸音さえも。
世界が軋むような圧力が、その場を支配する。
村人たちへの影響を抑えるため、指向性を持たせて放った「威圧」が、兵士たちだけを直撃していた。
Lv.414の質量を持った殺意。
ダンジョン外でも減衰しない暴力的なエネルギーが、一切の加減なく叩きつけられる。
徴税官たちにそれが「どの程度」強いかなんて、判断できなかっただろう。
重機を見上げるアリが、それが何なのか理解できないように。
しかし、「逆らえば死ぬ」という原初的な恐怖だけが、彼らの生存本能を塗りつぶしていた。
馬が白目を剥いて崩れ落ち、兵士たちが無様に尻餅をつく。
先頭にいた二人の男も、顔色を土気色に変えて後ずさった。
「ひゅ、ひゅぅ……ッ」
先ほどまで偉そうに喚いていた男は、喉から風切り音のような喘鳴を漏らしている。
あまりのプレッシャーに横隔膜が痙攣し、呼吸すら忘れているのだ。
だが、もう一人の男は辛うじて意識を保っていたようだ。
彼は全身の震えを抑えられず、その場に平伏し、額を地面に擦り付けながら声を絞り出した。
「あ、あの! し、失礼ですが……!」
男は顔を上げることすらできず、震える指だけで村の外れを指差した。
そこに見えるのは、焼け焦げ、ガラス化した大地。
俺が藍黒の狼と戦った痕跡だ。
「村のはずれにある、尋常ではない魔法痕を残されたのは……」
「ああ、あれのことですか?」
俺はバールを肩に担ぎ直し、解放していた「気配」をスゥッと内側に戻す。
途端に、死を想起させる不可視の万力が消失する。
溺れていた者が水面に顔を出したように、兵士たちの大きく息を継ぐ音が重なった。
「ええ、スタンピードが発生していたので、独断で駆除したんですよ。おや、もしかしてなにか罪になるのでしょうか?」
「い、いえ、そのーー」
「でも、許してほしいですねぇ。誰も助けに来る気配がないからやったまでなので」
男たちの表情が凍りついたまま、数秒間停止した。
俺の言葉の意味を、必死に咀嚼しようとしているのが見て取れる。
『駆除』。
その単語が脳に届いた瞬間、彼らの瞳孔が極限まで収縮した。
そこでようやく、彼らは理解したらしい。
自分たちの生殺与奪の権が、俺に握られていることを。
先ほどまであった、コチラを舐めたような気配は皆無。
隊長らしき男を除く全員が、主電源を落とされた機械のようにその場に崩れ落ち、額を地面に叩きつけた。
「ど、どうか、お慈悲を……ッ!!」
男たちは、震える手で腰の剣を鞘ごと外し、音を立てないように地面へ置いた。
それは、戦士にとって命よりも重い「武」の放棄。
続いて両膝を突き、額が泥に汚れるのも構わずに地面へと押し付け、両手を大きく広げて見せた。
『臣従の礼』――湊は知らぬことではあるが、王侯貴族に対してすら滅多に行わない、自らの急所を晒し、生殺与奪の全てを相手に委ねる、絶対的服従の姿勢だった。
「今回のスタンピード討伐に関するお礼などは! また、持ち帰ってご報告させていただきたく!」
「おや? 褒美を頂けるのですか? それは嬉しい」
俺はしゃがみ込み、男の顔を覗き込む。
「ええと、バルガス男爵でしたよね? しっかりと頭に入れておきました。税金についての話なども、詳しくお聞きしたいですねぇ。……で、今回はどういたしましょうか? 私が持っているアイテムで代納ということが出来ればよいのですが……」
「い、いえ! めっそうもございません! その件につきましても、持ち帰らせていただきます。あなた様が気にする必要は御座いません!」
「そうですか。それはよかった。……そんなに畏まらないでください。顔を上げてくださいよ」
俺は苦笑しながら、ポンと男の肩を叩いた。
男がビクリと跳ね上がり、恐る恐る視線を上げてくる。
その目は、猛獣の檻に放り込まれたウサギのように怯えきっていた。
「で、その報告はいつまで待っていればいいのでしょうか? もしよろしければ、貴方が領主様に報告して、準備が出来たら狼煙などで合図していただければ、私の方から向わせていただきますよ」
「えっ」
「うん、やっぱりそれが良いですよね! なんせ、この村遠いでしょう? ご足労をかけるのも申し訳ないので。それとも……他に何かいい方法があるでしょうか?」
有無を言わせぬ圧力。
俺はさらに、追い打ちをかける。
「あぁ、そうそう。私、目が良いのでよく見えるんです。男爵領、随分と立派な城壁をお持ちですね」
俺は遠く、霞んで見える男爵領の方角を指差した。
「でも、あれでは……白金級以上の原生生物に襲われたら、ひとたまりもない気がしますね。そういえば、この前のスタンピード、白金級上位のモンスターだったのです。……いやぁ、この村で止めれて良かった。あんなに立派な壁が壊れるところでしたから」
「い、いや、それはそのーー」
「いいですね? 合図、お待ちしております」
「は、はいぃぃっ!!」
男たちは弾かれたように馬にまたがると――いや、慌てすぎて二、三人が鞍から滑り落ち、泥だらけになりながら這い上がると、早送り映像のような猛スピードで駆け去っていった。
後には、砂煙だけが残された。
◆
「な、なに!? 件の高ランク探索者があの村にいただと!? そんなバカな!」
バルガス男爵の執務室に、素っ頓狂な声が響き渡った。
報告に戻った徴税官の話を聞き、男爵は椅子から転げ落ちんばかりに驚愕している。
「そ、それでですね、今回の件について話したいから領地にくると。準備が出来たら合図を空に放てと仰っていました」
「夜寝ているタイミングとかにすればなんとかならんか?」
「それが、『いつ上げられても感知できる』とのことで……」
「ばかな! 赫金級ともなると、そんなことが可能なのか!?」
男爵は頭を抱え、脂汗で額を濡らした。
実際には、湊はダンジョン外で減衰しない白金級探索者で、狼煙の感知にしても、魔法ですらない。
単にナビ子の索敵範囲をバルガス男爵領に絞り込み、合図らしきものを検知したらアラートを鳴らすだけの、極めて事務的な機能に過ぎないのだ。
だが、バルガス男爵らが、そんな「カラクリ」を知る由もない。
未知への恐怖が、勝手に彼らの中で湊の虚像を神話級の怪物へと肥大化させていく。
下手に裏をかこうとすれば、それこそ「城壁が壊れる」事態になりかねない、と。
「そして、言いにくいのですが……」
「なんだ! まだあるのか?」
「三日以上かかるようであれば、会いに来ると。何分、作法を知らぬもので、どこか壊してしまうと申し訳ないが、と……」
「おしまいじゃないかー!!!」
男爵の絶叫が屋敷中に木霊する。
呼べば来る。待たせても来る。来れば壊れる。
つまり、選択肢はない。
「仕方ない! 合図を放て! 先延ばしにして気分を損ねてはならん!」
「はっ!」
「おぬしらはすぐさま来賓を招き入れる準備を! 粗相のないように! 絶対に怒らせるなよ!?」
男爵は震える指で指示を飛ばした。
それは、領地を守るための、彼なりの必死の防衛戦だった。
数分後。
男爵領の空に、色鮮やかな魔法の狼煙が打ち上がった。




