第41話 嵐の予兆
執務室に張り詰めた沈黙が流れる。
主であるバルガス男爵の狼狽ぶりを前に、側近たちは互いに顔を見合わせ、誰が口火を切るかを無言で押し付け合っていた。
だが、職務を放棄するわけにはいかない。
最悪の事態を回避するためには、どんなに絶望的な情報であっても、正確に伝えなければならないのだ。
「……魔力地震計の反応、及び現地の痕跡から推測するに、対象は赫金級の可能性すらあるとのことです」
恐る恐る告げられた報告に、男爵の顔から血の気が引いていく。
「……冗談だろう。なぜそんな化け物が、廃棄地域に」
呻き声と共に、男爵の太い指がデスクの引き出しを乱暴に開けた。
取り出した小瓶から錠剤を数粒、掌にぶちまける。
水も飲まずに喉の奥へ放り込むと、苦虫を噛み潰したような顔で、自身のこめかみを強く揉んだ。
秘銀級や赫金級。
それはもはや、人間という枠組みを超えた「戦略兵器」だ。
そんな規格外が、予告もなく自分の領地で極大魔法を行使した。
下手をすると領地が地図から消滅するかもしれない。
「閣下。ここは速やかに、寄親であるアルブレヒト辺境伯にご報告を」
「分かっている! ……だが、ただ報告すればいいというものではない」
男爵は血走った目で文官を睨みつけた。
その瞳には、恐怖と、生き残りをかけた計算の光が混在している。
「『正体不明の化け物が暴れました、私は無力でした』などと報告してみろ。評価が下がるだろう。我々に必要なのは、正確な情報と、事態をコントロールしているというポーズだ」
「は、はぁ……」
「まずは情報統制だ。箝口令を敷け。領民にパニックを起こさせるな」
的確な指示を飛ばしながらも、男爵の胃痛は増すばかりだった。
守らねばならない。
先代から受け継いだこの土地を。そして、愚かで無力な領民たちを。
「……それで? 現地の様子はどうだった?」
「は。一点だけ、不可解な報告が」
斥候部隊の隊長が、地図上の一点を指差す。
「現場近くのホルム村ですが……妙に活気づいておりました。人の気配が多く、煮炊きの煙も上がっていたとのことです」
「あそこは確か、死にかけの限界集落だったはずだが……」
男爵の太い指が、机をトントンと叩く。
リズムが刻まれる。思考を加速させるための、彼の癖だ。
「……妙だな。そこまでの魔力放出があった直後に、平然と日常を送っているだと?」
「はい。もしや、その村から件の探索者が現れたのでは?」
「馬鹿を言え」
男爵は鼻で笑った。だが、その目は笑っていない。
「もし仮に、あの掃き溜めから英雄が生まれたとしよう。ならば、なぜ奴は『ここ』に来ない?」
「……と、言いますと?」
「秘銀や赫金級だぞ? その力を示せば、陛下ですら謁見を許し、爵位だって与えられる。奴が村の出身なら、とっくの昔に廃棄地域一帯を自分の領土として認めさせているはずだろう」
「あ……。確かに。村を救いたいなら、そうするのが最も確実で手っ取り早い」
文官も納得したように頷く。
この世界の『常識』として、強大な力を持つ探索者は、貴族と同等かそれ以上の特権を与えられる。
それこそ、現国王陛下が良い例だ。
かつて政情不安に喘いでいたこの国に、突如として現れた天鋼級探索者。彼がその圧倒的な武力で内乱を鎮め、王位についたのは周知の事実である。
力ある者が支配する。それがこの世界の真理なのだ。
ゆえに、そんな規格外が貧しい寒村で燻っている理由など、どこにもない。
――まさか、本人がその常識を知らない上に、村人からは『身分を偽って舞い降りた神』として崇められているせいで、誰もそれを指摘できないなどとは夢にも思うまい。
「そうだろう? だから、件の探索者はおそらく無関係。たまたま通りがかったーーいや、何らかの『影響』を与えた可能性は高いな」
「影響、ですか?」
「高濃度の魔力汚染か、あるいは……洗脳か」
男爵の脳裏に、最悪のシナリオがよぎる。
未知の探索者が、村人を手駒として利用している可能性。
放置すれば、領地全体を蝕む病になりかねない。
「確認が必要だな」
「では、調査隊を?」
「いや、大袈裟に動くな。相手を刺激する」
男爵はニヤリと、歪んだ笑みを浮かべた。
それは悪党の顔だったが、その裏には冷徹な計算があった。
「あそこの村からは数年間徴税をしていない。徴税官を送れ。名目は『滞納分の取り立て』だ。それなら自然に村を訪れ、内情を探れる」
「なるほど! 流石は閣下! では、すぐに向かわせます」
「待て」
踵を返そうとした部下を、男爵は鋭い声で呼び止める。
「その前に過去の徴発者リストを洗え。あの村の出身者がまだ軍や鉱山に残っているなら、その身内を特定しておけ」
「は、はい。それはまた、何故?」
「万が一、村人が暴発した時の『保険』だ。身内の命がかかっていれば、おいそれとは手を出せまい。使える駒は全て使え」
「おお……! どこまでも深慮遠謀!」
「ついでに、本当に金があるなら毟り取ってこい。……軍備増強の資金が必要になるかもしれんからな」
部下たちが退出した後、男爵は書類の山に視線を戻した。
書類の隙間から、家族の肖像画が少しだけ見えていた。
◆
バルガス男爵からの急報が、国境を守護する要衝・アルブレヒト辺境伯領に届いたのは、それから数刻後のことだった。
その主であるゲオルグ・フォン・アルブレヒトは、男爵からの書簡を読み終え、重苦しい溜息を吐いていた。
「秘銀……いや、それ以上か」
執務机に広げられた報告書には、男爵領で観測された異常な魔力反応の詳細が記されていた。
歴戦の武人でもある彼には分かる。
これが、単なる見間違いや誤検知ではないことが。
「流石に、私の手には余るな」
辺境伯は眉間を揉みほぐした。
彼自身、高位の探索者を何人も抱える武闘派貴族だが、赫金級となれば話は別だ。
それはもはや、一個人がどうこうできる存在ではない。
歩く天災。
国家の命運すら左右する、生きる戦略兵器。
彼らは時に貴族として振る舞い、時に王のように君臨し、そして時には――
「……災害のように、理不尽にすべてを奪い去る」
ポツリと漏れた言葉は、畏怖に震えていた。
神の如き力を持つ彼らの前では、地位も名誉も、軍隊さえも紙屑に等しい。
「他国の手の者でなければ良いが……」
最悪のケースを想定し、辺境伯の表情が険しくなる。
隣接するゼノビア帝国が、極秘裏に送り込んだ刺客の可能性もある。
いずれにせよ、放置はできない。
「陛下に報告し、指示を仰ぐしかないか」
重い溜息と共に、辺境伯は羽根ペンを手に取った。
羊皮紙の上を走るペンの音が、やけに大きく響く。それは王都への報告書であり、自身の無力さを認める降伏文書でもあった。
「探索からお戻りになられているといいのだが……」
独りごちた言葉は、インクの乾かぬ羊皮紙の上には落ちず、ただ虚空へと溶けて消えた。
窓の外を見れば、鉛色の雲が垂れ込めている。
嵐が来る。
そう予感させるには十分すぎるほど、風は重く、湿り気を帯びていた。
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