第40話 狼君は仲良くしたい
巻き上がった土煙が風に流され、荒野に本来の静寂が戻ってくる。
俺は深く息を吐き出し、バールをインベントリに収めた。
張り詰めていた糸が切れた途端、全身の筋肉が熱を持った鈍痛を訴え始める。だが、肺を満たす乾いた空気は、不思議と美味かった。
「……にしても、色々訳が分からん敵だったな」
視線を足元に落とす。
藍黒の狼は既にインベントリに収納され、ドロップ選択の待機状態にある。
「原生生物なのに、異常個体って」
『……今回の件は、極めて稀なケースです』
脳内に直接響くナビ子の声。
そこにいつもの軽薄な響きはなく、どこか神妙な重さが混じっていた。
『地球の動物でも、強いストレスや環境変化で凶暴化することがありますよね? あれと同じ現象が、ダンジョンを通して極端な形で発現した……そう考えてください』
「え、そんなことになってんのか。怖えな異世界」
俺は思わず肩をすくめた。背筋に冷たいものが走る。
ダンジョン内のモンスターだけでなく、その辺の野生動物まであんな化け物に変貌する可能性があるとは。
『誤解しないでください。異世界だから、ではありません』
「あ?」
『ダンジョンシステムは、あくまで人間のために作られたものです。ですが、過剰な魔力や負の感情は、時としてシステムの想定外の反応を引き起こす。それは、地球だろうと異世界だろうと変わりません』
ナビ子の言葉に、俺は眉をひそめた。
システムの想定外。
その言葉が、妙に引っかかる。
「そういえば、そこら辺の情報について詳しく聞いてなかったな。白金級にあがったときに管理者権限のアップデートとかなんとか言ってたよな。言えることが増えてるんだろ? 教えてくれよ」
『うーん……実は今回のアップデート、私の「処理能力」や「スキャン範囲」といった実用機能の強化にリソースが全振りされていまして』
「あ?」
『「ダンジョンの謎」に関わるような機密情報の開示権限は、まだロックされたままなんです。秘銀級に到達すれば、もっと深いお話ができるようになるんですけどねー』
案の定、はぐらかされた。
視界の端に現れたナビ子は、「チラッ」なんて効果音をわざわざ口にしながら、上目遣いでこちらを覗き込んでくる。
光の加減で虹色のノイズが混じる、美しい銀色のショートボブ。
悪戯っぽく細められた淡い金色の瞳には、人間臭い期待の色が宿っていた。
「はいはい。優秀なサポート様は、そうやって過労させようとするわけだな」
俺は苦笑して、乱れた髪をガシガシと掻いた。
「まぁ、いいよ別に。地球に戻るために、どっちみちレベル上げが必要なんだし」
知らないことが多いのは今に始まったことじゃない。
俺にできるのは、目の前の脅威を排除し、泥臭く生き延びることだけだ。
「そういえば、こいつらってドロップ品とかあるのか?」
ふと気になって尋ねる。
ダンジョンモンスターなら必ずドロップ品があるが、こいつはあくまで外から来た「原生生物」だ。
『いえ。モンスターではありますが、ダンジョンシステムとは直接関係ないので、基本的には発生しません』
「そうか。……でも、この前、黒狼が襲ってきたときはドロップ品で毛皮とか出さなかったか?」
最初の襲撃の時を思い出す。
あの時は、確かに素材アイテムを手に入れたはずだ。
『ふふん。それはですね、優秀なサポートユニットであるこのナビ子ちゃんの力なのです!』
視界の中央で、半透明のナビ子が華奢な胸をこれ見よがしに反らしてみせた。
シンプルなワンピースの裾がふわりと揺れ、金色の瞳が得意げに輝いている。
「えっへん」という効果音が聞こえてきそうなドヤ顔だ。
『私が解析した生体データを元に、擬似的なドロッププロセスを構築し、死骸から有用なリソースを抽出・再構成しているのです。本来なら朽ちて終わるだけの命を、マスターの糧に変える。これぞ、完璧なリサイクル!』
相変わらず、抜け目がないというか、高性能というか。
『褒めてくれてもいいんですよ?』
「はいはい、流石ナビ子さん、さすナビ、さすナビ」
軽口を叩き合いながら、俺は中空に表示されたウィンドウを操作する。
そこには、戦利品のリストが並んでいた。
【ドロップ選択】
対象:絶望の変異個体・藍黒の狼 ×1
1. 【双狼の円環】:ユニーク×1 - 経験値 24%消費
2. 藍黒狼の強靭な筋繊維:ノーマル×1 - 経験値 0.5%消費
3. 藍黒狼の剛毛皮:ノーマル×1 - 経験値 0.5%消費
4. 阻害の呪牙:エピック×1 - 経験値 6%消費
5. 拒絶の皮:エピック×1 - 経験値 10%消費
6. 全吸収 - 経験値100%吸収
リストの中に、一つだけ異彩を放つ項目があった。
網膜を焼くような、鮮烈なショッキングピンクの文字色。
これは、見覚えがある。
あのクソ虫を倒した時に手に入れた、『ユニークアイテム』の輝きだ。
「……マジか。人生二度目のユニークアイテム」
肋骨の奥で、心臓が大きく跳ねた。
喉が渇くのを感じながら、詳細を確認する。この目に痛い蛍光色の輝きは、何度見ても異質だ。
『おめでとうございます! ユニーク等級は、システムの規定テーブルに存在しない、世界にたった一つのアイテムです』
ナビ子が興奮気味に解説を入れてくる。
『通常、アイテムの性能は等級で決まりますが、ユニークだけは別です。その性能は、生成時に消費されるエネルギー……つまり「経験値の総量」に比例して決定される特注品なんですよ!』
「消費量が多ければ多いほど、ヤバイのができるってことか?」
『その通りです。そして今回の消費リソース、見てください』
ナビ子が、ウィンドウの一点をビシッと指し示す。
そこには、驚くべき数字が表示されていた。
『消費率、驚異の24%……! これは等級で言えば『神話級』の中位に相当するエネルギー量です!』
「マジか……。レジェンダリーの上じゃねえか」
俺は息を呑み、震える指で詳細項目をタップした。
【双狼の円環:ユニーク】
分類:装飾品
効果:神速の理(極) / 双魂並列思考
説明:生前、互いに思い合っていた二つの魂が宿ったブローチ。
王への尊敬と、友への追慕。
相反する感情は円環の中で溶け合い、決して砕けない絆となる。
「次は、仲良くやろうぜ」
『どうやら、群れを率いていた黒銀の狼を吸収する形で、変異個体の藍黒の狼が顕現したため、二つの個体の魂が宿ったアイテムのようですね。魂が宿ったアイテムというだけで途轍もなく希少なのに、更に他の効果まで!』
ナビ子が何やら興奮しているようだが、正直なところイマイチ乗り切れなかった。
というのもーー
「効果がさっぱりわからんな。神速の理に、双魂並列思考……?」
『解析完了。『神速の理』は物理法則を無視した超加速。簡単に言うと初動なしでトップスピードになれる。『双魂並列思考』は、二つの魂による並列演算……つまり、戦闘中に別の視点からアドバイスをくれたり、死角をカバーしてくれたりする機能です』
「なるほど、どっちも使えそうだな」
『とはいえ、変異個体で神話級クラスの経験値消費ならもっと凄いことができそうなもんですが。ま、世界で唯一のアイテム。マスターが拒否しても私が勝手にドロップさせちゃいますからね!』
「んな勿体ないことするわけねぇだろ」
『え? でも以前、ロイヤルガードアントの『女王の近衛兵勲章』を経験値に変えて、その後の戦いで精神攻撃でーー』
「あーっ! 分かった! 俺が悪かった!」
俺はナビ子の言葉を遮るように、慌てて叫んだ。
嫌な汗が噴き出る。
あの時は、目先のレベルアップに目が眩んで、貴重な『精神耐性(完全無効)』装備を捨ててしまったのだ。そのせいで、どれだけ苦労したことか。触れられたくない黒歴史である。
「よし、全部ドロップ! 残りは経験値吸収! この話はおしまい!」
俺が子供のように喚くと、ナビ子は目を丸くし、それから口元を手で隠して吹き出した。
『ふふっ。……了解です、マスター』
半透明の銀髪が揺れる。
悪戯っぽく細められた淡い金色の瞳には、どこか年下の弟を見るような、慈しむような色が浮かんでいた。
まったく、優秀で性格の悪いサポート様だ。
『はい! 生成プロセス、完了しました。ブローチ以外はインベントリに収納しておきます』
ナビ子がそう告げると、光の粒子が集束し、俺の手のひらに一つの物体が実体化する。
それは、掌サイズのブローチだった。
意匠が凝っている。
黒銀色の狼と、藍黒色の狼。
二匹の狼が互いの尻尾を追いかけるようにして円環を描いている。
そして、その中央には、透き通った灰色の宝石が埋め込まれていた。
「……綺麗だな」
武骨な俺の感性でも、そう思わずにはいられない美しさがあった。
手のひらに、微かな温もりを感じる。
金属の冷たさとは違う、命の残滓のような温かさ。それは、ただのデータ上の温度ではないような気がした。
『一応、他のアイテムの詳細も確認しておいてくださいね』
「あぁ、そうだな。せっかくだし見ておくか」
俺はウィンドウを操作し、残りのドロップ品に目を通した。
【阻害の呪牙:エピック】
分類:魔獣素材 / 武器素材
効果:回復阻害(中)付与 / 傷口壊死(小)
説明:噛みついた対象の再生能力を著しく低下させる呪いの牙。
この牙でつけられた傷は、治癒魔法の効果を半減させ、自然治癒を拒絶する。
「癒えぬ傷」を刻む、悪辣な武器の素材となる。
【拒絶の皮:エピック】
分類:魔獣素材 / 防具素材
効果:物理・魔法耐性(中) / 精神干渉遮断(小)
説明:世界を拒絶し、己の殻に閉じこもるための防壁。
物理的な衝撃だけでなく、外部からの魔力や精神干渉をも弾く性質を持つ。
加工は困難だが、完成すれば着用者の「個」を強固に守る鎧となる。
【藍黒狼の強靭な筋繊維:ノーマル】
分類:魔獣素材
効果:耐久度補正(中) / 伸縮性(小)
説明:異常な再生と崩壊に耐え抜いた、鋼のような筋繊維。
極めて切れにくく、弓の弦や拘束具の素材として重宝される。
【藍黒狼の剛毛皮:ノーマル】
分類:魔獣素材
効果:闇属性耐性(微) / 防寒(中)
説明:藍黒色の剛毛に覆われた毛皮。
禍々しい色合いだが、手触りは意外と悪くない。下級の防具や衣料品の素材。
『マスター。このブローチなんですが、私に使い道を任せてもらっていいですか?』
アイテムの詳細を確認していると、ナビ子が申し訳なさそうに切り出した。
装備品を要求してくるなんて、初めてのことだ。
「あぁ、いいよ」
『えっ、いいんですか? 理由も聞かずに』
「というか、基本的に、お前が俺のためになると思ったことなら遠慮なくやっといてくれていいぞ」
俺は肩をすくめて笑った。
大量に働かされることにはなったが、仇も討てたし、ここまで生き延びてこられたのは、こいつのおかげだ。
既に、心の中では偶に、本当に偶にだが相棒と呼んでいるくらいには心を許している。
『……! はい、ありがとうございます! それでは、大切に使わせていただきますね!』
ナビ子の声が、嬉しそうに弾んだ。
直後、ファンファーレが脳内に鳴り響く。
エネルギーの吸収が済んだらしい。レベルアップの通知だ。
本来なら桁違いの経験値が入るはずだったが、ユニークアイテムの生成に大半を使ったため、上昇幅は控えめだ。
それでも、レベルは390から414に到達していた。
「よし、これでまた一つ強くなったな」
拳を握りしめ、充実感を噛み締める。
疲労感が薄れ、代わりに力の奔流が体の芯から湧き上がってくるのを感じた。
と、遠くからポポたちの声が聞こえてきた。
「おじちゃーん!!」
避難していた村人たちが、歓声を上げながら駆け寄ってくる。
その先頭で、ポポが小さな手を大きく振っていた。
俺は彼らに向かって、もう一度、高く手を振り返した。
◆
「秘銀……だと!?」
豪奢だが、どこか古びた調度品が並ぶ執務室。
そこに漂う空気は、荒野の爽快感とは対極にある、粘りつくような重苦しさに満ちていた。
主であるバルガス男爵は、報告書を持つ手をわななかせ、眉間に深い皺を刻んでいる。
脂ぎった額に滲む冷や汗。
それは、新たな波乱の幕開けを告げる、不吉な雫だった。
二章も終盤に差し掛かってきました。
是非、★評価で執筆の応援をお願いします(切実)。




