第37話 黒銀の矜持、灰色の記憶
土煙を上げて迫るのは、黒い毛並みを持つ狼型の魔獣たち。
視界を埋め尽くすその数は、千を超えているかもしれない。
一匹一匹が、以前村を襲った飢餓状態の黒狼よりも一回り以上大きく、何より目が血走っている。死兵のような異様な雰囲気が、荒野を支配していた。
『敵勢力、接近。先頭集団まで距離五百メートル』
ナビ子の警告と同時に、村人たちの間に動揺が走る。
彼らはもうすぐ白銀級に至ろうかという実力者たちだ。しかも、ダンジョン外でもシステム補正の減衰が少ないため、通常の探索者よりも数倍強い。
だが、それでも彼らの本能が警鐘を鳴らす。「これは勝てない」と。
「……チッ、数が多いな」
舌打ちし、右手を前に突き出す。
本来、ダンジョンの外ではシステムの補助が弱まり、探索者は魔法の行使が難しくなる。イメージの構築や魔力の制御が、システムのサポートなしでは困難だからだ。
だが、俺には関係ない。
最初からシステムに頼らず、己の感覚のみで魔力を練り上げ、形にしてきた「完全手動」の探索者だからだ。
とはいえ、まだ俺一人の力で完璧な魔法を行使できるわけではない。
魔力操作の技量は足りていても、現象を具現化するための精密な「設計図」が不足している。
そこを補うのが、相棒の役目だ。
『マスター、イメージ転送します。座標固定、範囲設定……広域焼夷弾です』
「了解」
脳内に流れ込んでくる鮮明な破壊のイメージ。
それを自身の膨大な魔力でトレースし、現実世界へと具現化する。
「総員、伏せろぉぉぉッ!!」
咆哮が戦場に轟く。
次の瞬間。
「火魔法――『広域焼夷』!!」
手のひらから膨大な魔力が解き放たれる。
直後、世界が白く染まった。
放たれたのは、炎弾などという生易しい表現で収まるものではなかった。
着弾と同時に、巨大な火柱が天を衝く。
数百メートルの範囲を一瞬で焼き尽くす、高熱と爆風の奔流。
先頭集団を走っていた数百の黒狼たちが、悲鳴を上げる間もなく炭化し、消し飛んだ。
熱波が衝撃波となって周囲を薙ぎ払い、後続の群れをも吹き飛ばしていく。
「……え?」
村人の誰かが、間の抜けた声を上げた。
土煙と熱気が晴れた後に残っていたのは、ガラス状に溶解した地面と、炭化した黒い残骸の山だけ。
数百体いたはずの前衛部隊の大部分は、たった一撃で消滅していた。
湊は知らない。
通常、これほどの規模の魔獣災害を抑えるには、数百人の探索者による防衛線が必須とされることを。
あるいは、秘銀級や赫金級に至る英雄的個人の武力がなければ、単独での殲滅など不可能であることを。
だが、その無知ゆえの暴虐は、見る者の魂に決定的な楔を打ち込んだ。
村人たちの眼差しが、畏敬で塗り替えられていく。
やはりこの御方は、我々とは次元が違う。
神の如き力を持つ、絶対者なのだと。
そんな周囲の評価など知る由もなく、眼前に広がる惨状に俺は絶句していた。
(……マジかよ。人間が出していい火力じゃねえな)
想像以上の破壊力に背中を冷たい汗が伝うが、表面上は努めて平然と構え続ける。
だが、安堵する暇はなかった。
燃え盛る炎の向こうから、堂々と歩み出てくる影。
他の狼たちよりも二回りは巨大な体躯。
月光を弾く、流麗な黒銀の毛並み。
あの業火を回避したのか、傷一つ負っていないその姿は、まさに王の貫禄を放っていた。
『マスター!『黒銀の狼』を確認しました。対処に当たってください』
ナビ子の警告音が脳内に響く。
「グルルルル……」
黒銀の狼が、低く唸った。
その双眸は、明確な殺意を宿しているようで、どこか俺以外の「何か」を見ているようにも見える。
生き残った周囲の狼たちが、畏怖するように道を空けた。
(……ようやくお出ましだな、大将首)
唇を舐め、魔力を練り直す。
ここからが本番だ。
一瞬の静寂の後、黒銀の巨体が弾かれたように地を蹴る。
風を纏い、疾風の如き速度で肉薄してくる。
並の探索者なら、反応すらできずに喉笛を喰いちぎられていただろう。
「……ま、悪くない速さだ」
しかし、俺の動体視力は、その軌道を完全に捉えていた。
愛用のバールを無造作に引き抜き、右斜め前方に突き出す。
迫る鋭利な爪と、バールが激突し、火花を散らす。
直後、耳をつんざくような金属音が響いた。
「っと」
腕を振り抜き、奴を弾き飛ばす。
黒銀の狼は空中で器用に身を捻ると、音もなく着地した。
その足元から、鎌鼬のような旋風が巻き起こる。
咆哮と共に、不可視の風の刃が放たれる。
軽く地面を隆起させ、土の壁を作ってそれを防ぐ。
土壁が無数の切り傷を刻まれ、砂となって崩れ落ちる。
その隙間から、再び黒い影が迫っていた。
「魔法も使えるのか。ホント、芸達者だな」
舌打ちしながら、後方へ飛び退く。
速さと風魔法。典型的なヒット&アウェイ戦法だ。
まともに追いかけっこをすれば、こちらが不利になる。
だが、違和感があった。
洗練された動き。無駄のない所作。
間違いなく強者だ。
なのに、その攻撃には決定的な「殺気」が欠けている。
「何だお前、俺より弱いのにそんな覚悟でいいのか?」
言葉が通じたのか、黒銀の狼の動きが一瞬だけ鈍る。
その瞳に宿る、深い悲哀の色。
奴は、俺を通して別の誰かを見ている。そんな気がした。
◆
黒銀の狼……かつて群れの長であった彼は、目の前の強大な力を持つ人間に飛びかかりながら、過去の記憶を反芻していた。
『灰』。
それは名前というよりは、群れにおける蔑称に近い識別名だった。
黒狼の群れに生まれながら、薄汚れた灰色の毛並みを持つ異端児。
あいつは自分のことを「弱い」と信じ込んでいたようだが、実際は違う。
知恵と素早さを活かせば、他の狼にも勝てたはずだ。
けれど、その異質な賢さと毛色を恐れた同胞たちが、手を組んで彼を虐げ、群れの最下層へと追いやったにすぎない。
長である自分が静観を決め込まず、ただ一言「やり返せ」と言っていれば違ったのだろうか。
ある日、あいつは帰ってきた。
圧倒的な強者として。
同胞たちは、藍黒の毛並みを携えたアイツの正体に気づかず、ただ力の前にひれ伏した。
だが、俺は違った。一目で分かってしまった。
「……お前、あの穴に入ったのか?」
「何が悪い」
嘲笑うように吐き捨てた。
その姿が、ふと、遠い日の記憶と重なる。
まだ幼い頃。群れの大人たちに囲まれ、泥まみれになりながらも、決して目を逸らさなかった小さな灰色の毛玉。
『俺は弱くない』
震える足で立ち上がり、精一杯の虚勢を張っていた、あの頃のあいつ。
だが、今は虚勢ではなくなっていた。
体から漂う、鼻が曲がるような腐臭と、肌を焼くような不吉な熱気。
それは、峡谷の南にある「臭い穴」――父祖の時代から、決して入ってはならないと言い伝えられてきた、禁忌の場所の空気そのものだった。
無事に生きて帰ってこれて良かった。
そう安堵する一方で、喉の奥に骨片が刺さったような、微かな不安も覚えていた。
そして、その不安は的中してしまった。
あいつは帰ってきたが、あいつの魂は、もうここにはなかったのだ。
帰還したあいつは変わってしまった。
同胞を虐げ、食料を独占し、暴力で群れを支配するようになった。
だが、決定的な出来事が起きたのは、ある満月の夜。
あいつは、同族の首をへし折り、殺してしまったのだ。
長として、これ以上静観していることはできなかった。
俺は、あいつに決闘を挑んだ。
結論から言うと、俺は勝利した。
しかし、 あいつは間違いなく手加減をしていた。
喉を晒し、殺せ、と言わんばかりに。
今になって考えると、藍黒は俺の手で止めてほしかったのかもしれない。
だが、気づけなかったバカな俺には追放しか出来なかった。
「二度と群れの前に姿を見せるな」
それが間違いだった。
数年後、再会したあいつは……『絶望の捕食者』へと変わり果てていた。
手が付けられないほどの暴虐。
あれはもう、俺の知るあいつではない。
だからこそ、この村に近づいた時、俺は歓喜したのだ。
天を焦がすような、圧倒的な熱量を感じて。
この人間なら。
もしかしたら、あいつを止めてくれるかもしれない、と。
(……頼む)
そうして俺は、致命的な隙を晒した。
かつて、あいつが、あの決闘の時にそうしたように。
力を抜き、死を受け入れる体勢で。
◆
一瞬の弛緩。
戦いの中でそれを晒すことが何を意味するか、このレベルの魔獣が理解していないはずがない。
つまり、これは意図的なものだ。
「……介錯を頼むってか」
短く吐き捨て、踏み込んだ。
慈悲はない。だが、敬意はある。
全力の魔力を、右手のバールに込める。
鈍い音が響き、黒銀の頭蓋が砕ける感触が手に伝わった。
巨体が吹き飛び、地面を転がる。
ピクリとも動かない。即死だ。
「……あばよ」
バールを振って血糊を払い、視線を転じる。
大将が倒れれば、群れは崩れる。
だが、残りの数はまだ多い。村の方へ抜けた個体もいるはずだ。
「おい、大丈夫か――」
村人たちの安否を確認しようとした俺は、言葉を失った。
そこにあったのは、一方的な蹂躙の痕。
村人たちが蹂躙されているのではない。
その逆だ。
一匹の黒狼が、ガルに飛びかかる。
だが、ガルは避ける素振りすら見せない。
衝突の瞬間、盾を斜めに構えて衝撃を「受け流し」た。
体勢を崩した狼の首が、次の瞬間には宙を舞っている。
ガルの手には、いつの間にか抜かれた剣が握られていた。
死角から別の狼が迫る。
だが、その眉間に一本の矢が突き立った。
後方の櫓の上。ピピだ。
彼女は表情一つ変えず、次々と矢を放ち、確実に急所を射抜いていく。
「右翼、三体! 一番隊、回せ!」
「了解。スイッチ!」
「囲め! 突け!」
飛び交う怒号。
だが、そこに悲鳴や恐怖の色はない。
まるで事務作業のように、あるいはライン工場の流れ作業のように、淡々と、冷徹に、命を刈り取っていく。
「湊様の手を煩わせるな! 雑魚は俺たちが全部喰うぞ!!」
ガルの咆哮に、村人たちが呼応する。
彼らの瞳にあるのは、生存への渇望ではない。
絶対者への忠誠と、その資産を損なわせまいとする狂信的な使命感だ。
「……へぇ、言うようになったじゃねえか」
俺は口元を歪め、ニヤリと笑った。
守られるだけの存在は、もう卒業らしい。
数分後。
戦場には静寂が戻っていた。
数百いた黒狼の群れは、一匹残らず屍を晒している。
「報告します!」
返り血でまみれたガルが、俺の前に駆け寄って跪く。
その体には無数の切り傷があるが、致命傷ではない。
「敵勢力、殲滅完了! 味方の死者ゼロ、重傷者ゼロ! 軽傷者は多数ですが、直ちに回復魔法で処置可能です!」
ガルが誇らしげに顔を上げる。
「湊様の資産は、何ひとつ失われておりません!!」
「……ああ、上出来だ」
俺が頷くと、村人たちの間から「おおぉ……!」と歓声が上がった。
同時に、ファンファーレのような音が脳内に響く。
システムログが流れた。
『経験値取得。レベルが上昇しました』
『Lv.388 → Lv.390』
どうやら、俺も節目を迎えたらしい。
心地よい達成感と、勝利の余韻。
だが、それは唐突に破られた。
ゾゾリ、と。
背筋を冷たい指で撫でられたような感覚。
その悪寒は、俺が倒したばかりの「黒銀の狼」の死骸から発せられていた。
「……おい、なんだこれ」
黒銀の死骸から、異様な気配が漂う。
動くはずのない死体が、泥のように溶け始めていた。
いや、溶けているのではない。
影だ。
死体の影が、あり得ない質量を持って膨れ上がり、空間を侵食しているのだ。
『警告! 警告! 測定不能のエラー個体です!』
脳内で、ナビ子の悲鳴に近い警告音が鳴り響く。
こんな切羽詰まった声を聞くのは初めてだ。
『桁外れのエネルギー反応! これまでの敵とは次元が違います! 巨大な何かが、顕現します!!』
「……おいおい、マジかよ」
次の瞬間。
影が弾けた。
黒銀の残骸を食い破り、その中から現れたのは、藍黒の毛並みとオーラを纏った巨大な狼だった。
そこに「黒銀」の面影はない。
毛並みは濡れたように黒く、全身から禍々しい瘴気を噴き上げている。
そして何より、その双眸。
知性も、理性も、悲哀すらもない。
そこにあるのは、世界すべてを喰らい尽くさんとする、底なしの飢餓だけだった。
「グルルルルルルァアアアアアッ!!!」
咆哮。
ただそれだけで、大気が震え、俺の張った土壁に亀裂が走った。
「……マジかよ」
バールを握る手に、じっとりと嫌な汗が滲む。
本能が警鐘を鳴らしていた。
こいつは、ヤバい。
原生生物だとか、ダンジョン外だとか、そういう理屈を超えた「異物」。
「勝てないかもしれない」という想像が否が応でも頭をよぎり、奥歯を噛み締めた。
次回、フルマニュアルおじさん vs 天然モノのイレギュラー。
そろそろストックが切れそうですが、なんとか毎日更新を続けていきます!
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