第36話 おじさんは、縄張りを強化する
西日が、荒野を赤く染め始めていた。
額から垂れる汗を、手の甲で乱暴に拭う。
眼下に広がるのは、泥と土で作られた不格好な「防衛線」だ。
数日前まではただの平地だった場所に、今は深い「堀」と、掘り返した土を固めた「土塁」が築かれている。
俺の『土魔法』による突貫工事の成果だ。
村への進入経路を強引に限定し、敵を一か所に誘導するための即席の殺戮地帯。
これまでは「施設の拡充」や「農地整備」などに魔力を割いていたが、背に腹は代えられない。
北の山岳地帯から、数百体規模の魔物の群れが迫っている。
ナビ子の警報から数日。俺たちは急ピッチで迎撃準備を進めてきた。
『マスター、折り入って相談があるんですが』
脳内に、唐突に声が響く。
俺は、仕上げに投擲用の石弾を積み上げていた手を止めた。
視界の端で、光の粒子が収束する。
ふわりと浮かび上がったのは、白を基調としたワンピースを纏う、銀髪の少女のホログラムだ。
普段は無機質なその顔に、今は人間臭い「困り顔」が貼り付いている。
「なんだ、改まって」
『例の魔物の群れについてですが……敵性存在の脅威度判定を、子機……つまり村人の皆さんにどう表示すべきか悩んでいまして』
「どういうことだ? 別に、これまでみたいに推定レベルがいくつか教えりゃいいんじゃないのか?」
『今回の敵は、ダンジョンから溢れ出したモンスターではなく、この世界にもともと生息している原生生物なんです』
原生生物。
聞き慣れない単語に、俺は首を傾げた。
「原生生物……? あぁ、地球の熊みたいなもんってことか?」
『まぁ、ざっくりそうですね。ダンジョンによって生成されたモンスターではないので、彼らはダンジョン外においてもステータスの減衰が発生しないのです』
「……あー、なるほど」
ダンジョンの魔物は、外に出ると弱体化する。
母艦からの送電を絶たれた端末のように、急速にその出力を落としていくからだ。
それは探索者も例外ではない。地上ではシステムの補助が弱まるため、ダンジョン内ほどの身体能力やスキル効果を発揮できなくなる。
だが、ダンジョンの「外」で生まれ、過酷な自然環境の中で独自に進化を遂げた生物には、そんな枷は最初から存在しない。
本来の力が、そのまま牙となり爪となって襲い掛かってくる。いや、むしろ自らのテリトリーである地上でこそ、彼らは真価を発揮するのだ。
『これまでも原生生物との戦闘はありましたが、マスターにとっては相手にならないほど弱かったので、便宜上「ダンジョン基準」で通知していました』
「へぇ、優秀なサポートさんが手を抜いてたのか」
『最適化と言ってください』
ナビ子はすまし顔で返し、すぐに声を落とした。
『今回は規模が違います。子機の皆さんには私の複製体をサポートに付けて指揮を執るつもりですが、これまで通り、ダンジョンのレベル換算で伝えても、脅威度が正しく伝わるかどうか』
「そうだなぁ。あいつらはあいつらでダンジョン外でのエネルギー減衰が緩やかだしな。 通常の1.5倍から2倍、ガルみたいに子機適性が高い奴なら3倍近くの出力を保てるんだったか」
『はい、それもあって悩んでるんです。それに、原生生物は個体差が激しいですから……』
ナビ子の懸念はもっともだった。
村人たちは急速に力をつけているとはいえ、俺からしてみればまだ現場を知らない新入りだ。
マニュアル通りの数値だけを見て、目の前の「現場の空気」を見誤れば死ぬ。
「なら、数字なんて出すな。信号機でいい」
『信号機、ですか』
「『戦っちゃダメな奴』は赤。『苦戦する奴』は黄。『雑魚』は青。直感で動けるようにしてやれ。考える時間をゼロにしろ」
『……なるほど』
ホログラムの少女が、数回瞬きをする。
高速で演算処理を行っている合図だ。
『言われてみればそうですね。すみません、つい完璧な数値を弾き出そうとしてしまう優秀なサポートAIなもので』
「やかましいわ」
本当にすぐ調子に乗るよな、こいつは。
『では、敵対生物の頭上に脅威度に応じたカラーマーカーを表示する仕様に変更します。赤は即時撤退、黄色は警戒、青は討伐推奨……これなら直感的ですね』
ナビ子の声が弾む。
どうやら採用されたらしい。
『ちなみに、マスターはどうします?』
「あ?」
『相手の強さの表示ですよ。マスターの視界にもマーカーを表示しますか?』
俺は鼻を鳴らした。
「別に要らねぇよ。大体わかるだろ、そのへんの空気感で」
『……そうですか。そうですね』
呆れたような、あるいは諦めたようなため息。
『そういえばこの人、10年間システムの補正をなにも使わずにダンジョンで生き延びてきたド変態さんだって忘れてました』
「誰が変態だ」
『子機の皆さんにはマニュアルを一部、取り入れるのは良いですが、マスターみたいな「フルマニュアル」の変態領域に踏み込もうとしても死ぬだけだと、厳重に注意しておきますね』
「やかましい!」
軽口を叩き合いながらも、俺の意識はすでに北の空へと向いていた。
数百の群れ。
ただの野生動物の暴走にしては、統率が取れすぎている。
『……群れを率いているリーダー個体について、補足情報です』
ナビ子の声のトーンが、一段階落ちる。
『解析の結果、群れを率いているのは『黒銀の狼』。エネルギー量は、ダンジョン外で減衰した白金級から秘銀級相当と推測されます』
「……ミスリルだと?」
その単語は、物理的な質量を伴って俺の横隔膜を殴りつけた。
肺の空気が、一瞬だけ凍りつく。
地球における最高峰の探索者たちと同等、あるいはそれ以上の化け物。
俺は努めて軽く、口笛を吹く真似事をした。
「へぇ……大層な大物が釣れたもんだ。そんな化け物が、なんでこんな村を狙ってるんだか」
『言いませんでしたっけ? この世界、探索者ですら裸足で逃げ出すような化け物が、そこらへんにゴロゴロいますよ』
「そういうのちゃんと伝えとけよ。報連相って知ってるか?」
『言っても仕方ないじゃないですか……第一、彼らは基本的に、自分たちの縄張りから出てきません。人間ごときに興味はありませんから』
興味がない、か。
だとしたら、なぜそんな化け物が群れを率いて、わざわざ人間の集落を目指してくる?
単なる餌不足か、それとも――。
喉の奥に、小骨が刺さったような違和感を覚える。
いや、もっと悪い。施工ミスで傾いた床に立たされているような、平衡感覚のズレ。
風に乗って、微かに獣の臭いが届いたような気がした。
ま、気にしても仕方ない。
今は村の防備を整えよう。
「来るなら来い。ただし命がけでな。なんせ、この村は俺の縄張りだからな」
◆
日は完全に落ち、世界は夜闇に包まれていた。
村の中央広場。
焚き火の明かりに照らされたそこに、武装した村人たちが整列していた。
かつては鍬や鋤しか握ったことのなかった手には、ダンジョンから持ち帰った武器や手製の槍が握られている。
その表情は戦士のものだ。だが、瞳の奥には隠しきれない不安が揺らめいている。
無理もない。数百の魔物の群れだ。まともにぶつかれば、ひとたまりもないことは彼ら自身が一番よく分かっている。
「作業の手を止めろ、全員よく聞け!」
俺は即席の演台……という名の土魔法で作った小高い丘の上に立った。
ざわめきが止む。視線が、一斉に俺へと突き刺さる。
「敵は数百。まともにやり合えば、全壊まで半日も持たねぇだろう」
正直な現状分析に、村人たちの顔色が青ざめる。
だが、俺はニヤリと笑ってみせた。
「だから、まともにはやらねぇ」
俺は背後の山肌を親指で指し示した。
そこには、数日かけて構築した即席の要塞線が広がっている。
「俺が作った『堀』と『土塁』で、村への侵入経路はあの一点に限定させてある。他のルートは深い泥沼に変えておいた。奴らが空でも飛ばねぇ限り、回り込まれる心配はねぇ」
村人たちが頷く。
彼らは、俺が泥まみれになって土木工事をしている様を、神の御業か何かを見るような目で崇めながら見ていた。その強固さは誰よりも知っているはずだ。
「それに、一番面倒な『数減らし』は俺がやる」
俺は右手を軽く掲げた。
魔力を練り上げる。
腹の底に響くような重低音と共に、手元に巨大な岩塊が浮かび上がった。
圧倒的な質量。それが頭上に顕現したのを見て、村人たちが息を呑む。
「俺が先陣を切って、デカいのや危ないのを潰す。お前らの仕事は、俺が討ち漏らした雑魚や、手負いの奴らを確実に仕留めることだ」
そこまで言って、俺は言葉を切り、全員の顔を見渡した。
「いいか。無理はするな。英雄になろうとするな。ただ『生き残る』ことだけ考えろ。死んだら、美味い飯も食えねぇぞ」
静寂。
だが、それは先程までの怯えを含んだものではない。
村人の瞳が、熱狂的な光を帯びて俺を見上げている。
「「「御意!!」」」
地響きのような唱和が広場を震わせた。
村人たちが一斉に跪く。
強風に煽られた稲穂の群れのように、頭が一斉に垂れる。
緊張が解けた笑いなどない。あるのは、絶対者への帰依と、命令を遂行することへの法悦だけだ。
「おいおい、勝って酒を飲むぞーとか、そういうノリじゃねぇのかよ……」
俺の呟きは、彼らの熱気にかき消された。
悲壮感は消えたが、代わりに何か別の、もっと厄介なものが満ちてしまった気がする。
まあいい。戦意が高いに越したことはない。
「よし、配置につけ! 来るぞ!」
俺の号令と同時に、遠くの森から鳥たちが一斉に飛び立った。
地鳴りのような音が、徐々に近づいてくる。
さぁ、開戦だ。
ついに始まる魔物の群れとの戦闘。
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