第34話 おじさん、神になる
絶望は、色を失った世界としてそこにあった。
村の中心、血だまりの中に横たわる小さな体。それを囲む村人たちの嗚咽。
すべてが水底の出来事のように、くぐもって聞こえる。
「……俺のせいだ」
喉の奥から、錆びた鉄屑を飲み込んだような、ざらついた声が漏れる。
兆候はあった。以前のウルフ襲撃。ナビ子の警告。スタンピードの予兆。
分かっていたはずだ。なのに俺は、自分のリハビリを優先した。自分の力を取り戻すことに夢中で、この子たちの危機を見て見ぬふりをした。
握りしめた拳に爪が食い込む。
『マスター』
「…………」
『マスター、聞いてください』
「……すまん、今は、今だけは、静かにしてくれないか」
普段なら軽口で返すところだ。だが今は、その機械的な音声が神経を逆撫でする。
『いえ! 大事な話なんです! 個体名ポポの『故障』は治ります!』
「……あ?」
脳が理解を拒絶し、思考が白く塗りつぶされる。
故障? 何を言っている?
視線を落とすと、そこにはポポの亡骸がある。
心臓は止まり、体温は失われている。どう見ても死んでいる。
それを故障などと――。
腹の底で、ドロリとした鉛のような熱が沸き上がり、理性を焼き尽くそうとする。
ふざけるな。人の命を、子供の死を、なんだと思ってる。
喉元まで罵声が出かかって――寸前で飲み込んだ。
違う。
こいつは、空気は読めないが嘘はつかない。
意味のないことを言ったりはしない。
「……どういう、ことだ」
感情を無理やり押し殺し、低い声で問う。
村人たちが不安そうに顔を見合わせる中、ナビ子は淡々と続けた。
『とりあえず今は黙って言うことを聞いてくださいね。今すぐ《久遠の琥珀》の封入対象にポポを選択してください』
ナビ子の切迫した声に、体が反射的に動いた。
意味は分からない。だが、彼女が「黙って従え」と言うならその通りにしよう。
震える手でインベントリからアイテムを選択し、ポポに向ける。
「……こうか?」
琥珀色の光が、小さな体を優しく包み込んだ。
それはまるで、太古の樹液が小さな命を永遠に閉じ込めるように。
黄金色の結晶の中で、ポポの時間は凍りついた。
最期に浮かべた安らかな微笑みも、砕けた甲羅を握りしめた指先も、すべてが美しい化石のように保存される。
あまりに惨く、けれど息を呑むほどに幻想的な、死と生の狭間の光景。
それを見届けてから、ナビ子が早口で補足を加える。
『《久遠の琥珀》の効果は「システム判定の固定化」。これでポポの肉体は、システム上「生きている状態」で保存されました』
早鐘を打つ心臓が、肋骨をきしませるほどの圧力で膨張する。
もしかして、生き返るのか?
死者蘇生。それは生物として、あるいは世界としての理を犯す禁忌。
脳裏を、冷ややかな戦慄が走り抜ける。
自分は今、決して触れてはならない世界の理に、土足で踏み込もうとしているのではないか。
そんな、漠然とした予感があった。
だが、それがどうした。
この子が戻ってくるなら、神域だろうが悪魔の庭だろうが、土足で踏み荒らしてやる。
理屈が通るなら、可能性がゼロじゃないなら――世界の理ごと、ねじ伏せて従わせるまでだ。
「……必要なものは」
『《久遠の琥珀》による状態固定。そして、致死ダメージを物理的に修復するための大量のリソースです。ポーション換算で約20本。売ればひと財産が築けますが――』
最後まで聞くことなく、インベントリを開放した。
空間が歪み、中から大量のポーションが雪崩れ落ちる。
中層、深層で狩り集めた戦利品。
『比べるまでもなかったようですね』
ふと視界の隅に浮かんだホログラム。
銀色のショートボブが光の加減で虹色に揺らめく。
その淡い金色の瞳は、いつもの機械的な無機質さではなく、聖母のような慈愛を湛えて微笑んでいるように見えた。
「あるだけ全部使う。 足りなきゃまた狩ってくる!」
『結晶にポーションを掛けてください』
俺は封を切った上級ポーションを、琥珀の結晶へと注ぐ。
一滴たりともこぼさぬよう、瓶の口を結晶に押し付けるようにして。
しばらくポーションを吸わせていると、硬質な異音が響き始めた。
ベチ、ベチベチ、と。
濡れた粘土を床に叩きつけるような、不快な音が。
それは、聖なる癒やしの光景ではなかった。
琥珀の中で、切断された血管が赤黒い蛇のようにうねり、引きちぎられた筋肉繊維が生き物のように編み込まれていく。
砕けた骨が、見えない万力で締め上げられるように、無理やり元の位置へと戻っていく。
神聖さよりも、生物としての根源的な恐怖を呼び覚ますような、強制的な肉体の再構築。
逆再生される屠殺の現場を見ているようだ。
「あ……」
誰かの喉が、ヒュッと音を立てて引き絞られる。
だが、村人たちは目を逸らさない。
恐怖よりも強烈な、飢えたような渇望が彼らの瞳を支配していた。
千切れた絆が再び結ばれる奇跡。
失われたはずの未来が、圧倒的な力によってたぐり寄せられる瞬間。
その光景は、神々しいまでの希望として彼らの目に焼き付いていた。
しばらくして歪な修復音が止んだ。
静寂。
『琥珀結晶からポポを取り出してください』
ナビ子の指示に従い、俺は震える手で操作を行った。
琥珀色の光が霧散し、ポポの体がゆっくりと地面に横たえられる。
……動かない。
胸も上下していない。顔色も蒼白なままだ。
失敗したのか?
いや、そんなはずはない。肉体は完璧に修復されたはずだ。
嫌な汗が背中を伝う。静寂が、水深数百メートルの水圧のように俺の呼吸を奪っていく。
頼む。息をしてくれ。
神様でも悪魔でも何でもいい。こいつを連れて行かないでくれ。
永遠にも思える数秒の後。
トクン、トクン。
探索者として強化された俺の聴覚が、小さな心臓が再び力強く脈打ち始めた音を鮮明に捉えた。
「……ごほっ、ごほっ!」
眠っていたポポが咳き込む。
「あ……あぁ……」
ガルの口から、声にならない嗚咽が漏れた。
ピピが、リリが、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「……う、ん……? お兄、ちゃん……?」
ポポが重いまぶたを持ち上げ、ぼんやりと周囲を見回した。
生きてる。
直った。
理屈なんてどうでもいい。あの子が、また息をしている。
「ポポォォォォォッ!!」
爆発するような号泣と歓喜が、村を包み込んだ。
ガルがポポを抱きしめ、ピピが泣き叫びながらそれに続く。
死の淵から帰還した弟を、確かめるように、離さないように。
俺は大きく息を吐き出し、膝をつきそうになるのを堪えた。
全身の力が抜けそうだ。戦闘よりも遥かに疲れた。
『成功ですね。ただし、勘違いなさらぬよう』
ふと、脳内にナビ子の冷ややかな釘刺しが響いた。
『これはポポが「システム未登録」の一般人だったから成立した特例措置です。探索者としてアバターシステムが付与された人間は、魂がシステムに管理されるため、この手は使えません』
「……なんだと?」
『つまり、ガルやピピ、そしてマスター。あなたたちが死んだ場合、今の《久遠の琥珀》では蘇生不可能です』
冷水を浴びせられたような気分だった。
奇跡は、万能じゃない。
本来、死は不可逆なものだ。
(……だったら、釘を刺しておかねぇとな)
安易に「神様が何とかしてくれる」なんて思わせてはいけない。
命は、一度きりなんだ。
ピピが涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、俺の方へ駆け寄ろうとする。
感謝の言葉か、抱擁か。
だが、俺はそれを手で制した。
違う。
ここで「良い人」になってはいけない。
それでは、また同じことが繰り返される。
あんな思いは、二度とごめんだ。
俺は努めて冷酷な表情を作り、村人たちを睨みつけた。
「……勘違いするな」
低く、ドスの利いた声を出す。
歓喜の熱狂が、頭から氷塊を叩きつけられたように凍りつく。
「俺は、自分の持ち物が壊れるのが嫌いなだけだ」
ポポの頭を、乱暴に撫でる。
温かい。生きている。その事実に安堵しながらも、口にする言葉は鋭利な刃物のように研ぎ澄ます。
もう二度と、こんな奇跡は起きないのだから。
「いいか、よく聞け。お前らは俺がリソースを投じて強化した『資産』だ。俺の許可なく勝手に壊れることは許さん」
一歩、前に出る。
それだけで村人たちが畏怖に打たれ、道を空ける。
「死ぬ権利も、生きる権利も、俺が管理する。……分かったら、二度と誰かが死ぬなんてふざけたマネをするな」
傲慢で、理不尽で、独善的な言葉。
だが、村人たちの反応は俺の予想とは違っていた。
反発でも、恐怖でもない。
彼らの瞳に宿っていたのは、熱狂的な崇拝の色だった。
ガルが、涙を流したまま深く頭を下げる。
続いてピピが、リリが、村長が。
全員が地面に額を擦り付けるようにして、平伏した。
ただ一人、状況が飲み込めていないポポだけが、きょとんとして周囲を見回していた。
だが、兄や姉が平伏しているのを見て、慌ててぎこちなく真似をして頭を下げた。
「……はい!」
その声は、絶対的な忠誠の証。
『翻訳しますと、『もう二度とこんな悲しい思いはしたくないから、みんな生きてくれ』ですね。……なるほど、個体名ガルの適合率が高い理由がよく分かります』
「うるせえよ」
人の心が分からない相棒に、心の中で悪態をつきながら、俺はバツが悪そうにそっぽを向く。
ふと、ピピが俺の服の裾に触れようとして――、ビクリと手を止めたのが見えた。
指先が数センチの距離で空を迷い、やがて、恐れ多いものに触れるかのように、ゆっくりと引っ込められる。
その仕草が、すべてを物語っていた。
もはや「ただの強い人」ではない。超えてはいけない一線が、俺と彼らの間に引かれてしまったのだ。
もう『ただのおじさん』には戻れない。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
少なくとも、あんな冷たい骸を見るよりは、重たい信仰を背負う方が百倍マシだ。
一件落着。
そう思って息をつこうとした、その時だ。
『マスター』
ナビ子の声のトーンが、急速に冷えた。
『安心しているところ申し訳ありませんが、警告です』
「……なんだよ」
『今回のは、まだスタンピードではありません』
「……そうか」
以前なら、その事実に戦慄していただろう。
だが今は、不思議と恐怖はなかった。
『これらはあくまで、先遣隊あるいはただのはぐれ者です。本隊は、まだ来ていません』
「上等だ」
何千、何万来ようが関係ない。
次は、俺がいる。
一人の犠牲も出させない。俺の許可なく、誰一人として傷つくことは許さない。
視線を東の空に向ける。
そこには、不気味なほど静かな朝焼けが広がっていた。
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