第28話 おじさん、神になる?
水がある。
たったそれだけのことが、劇的な変化をもたらしていた。
翌日、村の空気は一変していた。
広場の井戸からは、惜しげもなく清浄な水が汲み上げられ、各家庭へと運ばれていく。
これまで泥を拭うことさえままならなかった子供たちは、歓声を上げながら身体を洗い、煤けた顔を真っ白に輝かせていた。
あちこちの家から、温かいスープの湯気が立ち上り、美味しそうな匂いが漂ってくる。
具材は昨日獲ってきたストーンクラブ、燃料は朝一番に森からへし折ってきた枯れ木だ。
水と食料と燃料。人間らしい生活に必要な最低限のものが、ようやく揃った形だ。
死に体だった集落に、血が通い始めた。
そんな表現がしっくりくる光景だった。
「湊のおじちゃん! 見て見て!」
元気な声と共に、一人の少年が駆け寄ってきた。
ポポだ。
つい昨日まで、泥の上に踞り、胃液を吐いて苦しんでいた姿はどこにもない。
土気色だった頬は血色良く輝き、窪んでいた瞳には子供らしい生命力が宿っている。
「おー、ポポ。元気そうだな」
「うん! お水、すっごく美味しいよ! お腹ももう痛くない!本当にありがとうね!」
ポポが満面の笑みを向けてくる。
その小さな両手には、ストーンクラブの甲羅が抱えられていた。昨日俺が狩って、器代わりに渡したものだ。
なみなみと注がれた水を、彼はゴクゴクと喉を鳴らして飲み干す。
プハァ、と息を吐くその仕草は、どこかの銭湯上がりの親父のようだが、今はその健やかさが眩しい。
その後ろでは、他の子供たちも身体を洗ったり、水を掛け合って遊んでいる。
その笑顔には、もう以前のような陰りはない。
人間、清潔な環境と美味い飯があれば、それだけで前を向ける生き物らしい。
◆
その夜、俺は村の主要メンバーを小屋に集めた。
族長のユルダ、娘のリリ、そしてガル。さらに、以前ダンジョンで助けたトトたち三人も加わっている。
狭い小屋の中には、重苦しい沈黙が澱んでいた。
「……湊さん、話って?」
リリが不安げに切り出す。
囲炉裏の炎を見つめながら、インベントリから愛用のバールを取り出した。
手の中でクルクルと回す。その鈍い金属音が、静寂に冷たく響く。
「単刀直入に言おう。このままだと、お前らは詰む」
参加者の肩が、びくりと震えた。
「水に関しては解決したと考えてもらっていい。よっぽどのことがない限りはキレイな水が供給される。食料も、俺がいる間は何とかする。……だが、俺がいなくなったらどうする?」
バールの先端で、囲炉裏の灰を軽く崩す。
赤い火の粉が、ふわりと舞い上がった。
「俺がいなくなると、安定的に肉を供給できなくなる。備蓄の肉が尽きるのもそう遠くない。燃料を取りに行くには東の森に行く必要があるが、誰が行く?薬草だってそうだ。なにより、またモンスターが攻め込んできたらおしまいだ」
崩落が決まった廃ビルの図面を見ている気分だ。
残酷だが、それは限りなく確度が高い「予報」だ。
俺はいつまでもこの村にいられるわけじゃない。できる限りのことをやってやりたいが、調子が戻ったらレベルを上げて元の世界に帰らなければならない。俺が去れば、この村のライフラインは即座に断たれる。
そんな状況を放置しておくわけにはいかない。
「……分かっています」
リリの母親であり、この村の村長でもあるユルダが絞り出すように答える。
その顔には、諦観という名の深い皺が刻まれていた。
「ですが、私たちには力がありません。武器を買う金も、戦うための力も……すべて奪われてしまいましたから」
「奪われた、か」
言葉尻を捕まえる。
「具体的に、誰にだ?」
「……」
ユルダが口を閉ざす。
代わりに、リリが震える声で言った。
「領主と、彼が引き連れてきた私兵たちよ……」
リリは自身の二の腕を抱きしめ、視線を床に落とした。
日に焼けた健康的な肌が、今は不安で青ざめている。意志の強さを宿した深い緑色の瞳も、今は恐怖に揺れていた。
「戦える大人の男たちは全員、『浄化徴発』という名目で連れて行かれたわ。戻ってきた人は一人もいない。残っているのは、子供と老人、そして私たちのような女だけ。……武器を買うお金もない、戦う人もいない。都市に逃げようにも、関所を通るには身分証が必要だし、そこでもまた徴発されるだけ……」
リリの声が震える。
それは、どうしようもない「詰み」の確認だった。
戦力不足、資金不足、そして逃げ場もない。
この村は、ゆっくりと死を待つしかなかったのだ。
学習性無力感。
努力しても報われないどころか、努力するほどに不幸になる。
そんな理不尽な環境が、彼女たちの心を金属疲労みたいに脆くしていたのだ。
「でも……今は違う」
ガルが、拳を握りしめて顔を上げた。
その瞳の奥で、種火が爆ぜるような熱を感じた。
「あんたがくれた肉を食って、力がついた。綺麗な水だって、腹一杯飲めるようになった。……もう、あんな惨めな生活には戻りたくねぇ。ダンジョンにだって潜ってやる。強くなって、俺たちの力で守ってみせる!」
ガルの叫び。
それは、彼らの魂からの渇望だった。
与えられるだけでは満足できない。自分の足で立ちたいという、健全で、そして切実な欲求。
その言葉にうなずくトトをはじめとする若者たち。
内心で頷く。
頃合いか。
俺は、元々落としどころとして考えていた『村人育成プラン』を切り出すことにした。
ダンジョンに潜る際、彼らを同行させて実戦形式で鍛え直す。最初は荷物持ちから始めて、徐々に戦闘を経験させ、レベルを底上げしていく。
地道だが、それが一番確実な――。
『マスター』
思考を遮るように、ナビ子が声を上げた。
瞬間、世界がスローモーションのように停滞する。
俺の思考速度が極限まで加速され、ナビ子との高速思考対話モードへ移行したのだ。
視界の端に浮かぶ銀色のショートボブが、囲炉裏の炎を透かして虹色に輝いている。
いつものふざけた態度は鳴りを潜め、その金色の瞳はいつになく真剣だった。
『彼らの「自立したい」という意志は本物のようです。であれば、最適な方法があります』
(……なんだ?)
『「従属帰化」です。マスターを親機、彼らを子機として接続するアドオン機能。これにより、システム補正を持たない現地人でも、ダンジョン外での十全な戦闘能力および成長機能の行使が可能になります』
なるほど。
俺を親機にして、彼らを従属機としてぶら下げるわけか。
Bluetoothのペアリングに近いのか?
(いや……そんなのあるなら早く言えよ)
『言っても無理でしたよ。死にかけのパソコンに重いソフトを入れるようなものですから。マスター、ワーム戦でのオーバーヒートがどれだけ酷かったか自覚あります? 数日休んで、ようやっと実行可能レベルまで回復したんですからね』
(へいへい。悪かったよ)
責めるようなナビ子の視線から逃れるように、意識を逸らす。
ま、使えるようになったのなら文句はない。
だが、ナビ子は続けた。
『もちろんタダではありません。彼らが獲得する経験値の約10-20パーセントがマスターに還元されます。……そして何より、私の管理負荷が増大するため、マスターへのサポートが若干低下する可能性があります』
(……経験値が入るのは悪くないが、サポート低下は痛いな)
『ええ。ですから、本当に信頼できる相手にしか配れませんよ。あとはーー』
ナビ子が続けようとしていたが、俺の腹は決まった。
現実時間にしてコンマ数秒の思考交信を終え、意識を表層へと浮上させる。
深く息を吐き、バールを強く握りしめる。
「……おい、お前ら」
顔を上げた。
焚き火越しに、皆の視線が俺に集中する。
「もし、俺の力を少しだけ分けてやれるとしたら、どうする?」
「え……?」
リリが目を瞬かせる。
「簡単に言うと、ダンジョンの外でもある程度力が発揮できるようになる」
続けて、脅すような低い声で告げる。
「だが、いい話ばかりじゃないぞ。一度、この力を受け取ると、お前らの経験値などの一部は自動的に俺が徴収することになる。もちろん、普通に探索をしている分には大した額じゃない。全体の一、二割といったところだ。……それでも、この力が欲しいか?」
告げた瞬間、全員の動きがピタリと止まった。
リリも、ガルも、穏やかなユルダでさえも、彫像のように硬直している。
場の空気が、真空パックされたみたいに張り詰める。
肌が粟立つような、痛いほどの静寂。
「お力を、譲渡える……?」
ユルダが、引き攣った音を喉から漏らした。
常に気丈だった彼女の顔から、理知的な色が抜け落ちていく。飢えや渇きに苦しんでいた時でさえ保っていた仮面が、今は完全に剥がれ落ちていた。
俺がこの村に来て以来、初めて見る表情だった。
「や、やはり湊様は神紅鋼級以上の神様であられましたか……!」
「は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
神? 俺が?
いきなり何を言い出すんだ。ただの便利な機能の話をしていたはずなのに、なんでそんな話になる?
あまりの飛躍に、俺の思考は一瞬フリーズした。
再び、思考速度が極限まで加速される。
『あのー、マスター?』
呆気にとられる俺の脳内に、ナビ子の呆れ声が響いた。
『だから伝えようとしたんですけど、最後まで聞かないからですよ。地球ではまだそのレベルまで達している人はいませんが、本来、アドオン機能の提供というのはレベル1500、神紅鋼級を超えた探索者にのみ許される権能なのです』
は?なんだって?レベル1500?神紅鋼級?そんなランク、地球じゃ存在しないだろ。
『ええ。地球の最上位はLv.1000以上の天鋼級ですが、この世界にはさらに上のランク区分が存在します。それこそがLv.1500以上の神紅鋼級。システムへのアクセス権を持ち、世界の理を書き換えることができる探索者たちです。まぁ、探索者とは言いますが、寿命の軛からもほとんど解き放たれてますし、本当に神様みたいな存在ですよ』
いや、なんかもう色々訳が分からん。そうだ、ナビ子。お前、なんかアップデートしたのか? 俺に説明できる情報も増えたんじゃないか? 一旦全部説明してくれよ。
『もちろん構いませんよ。ただ、今は皆を落ち着けた方が良いんじゃないですか?』
ナビ子との高速思考対話モードを終えると、ユルダをはじめとするみんなが平伏するような姿勢をとろうとしていた。
「い、いや、ちょっと待て!誤解しているみたいだ。一旦、普通の姿勢に戻ってくれ」
慌てて否定する。
Lv.1500とか、桁が違いすぎる。俺はそこらの一般探索者よりちょっとレベルが高いだけのおじさんだ。
そんな神様みたいな力があるわけない。
「俺はしがない白金級の探索者だ。神紅鋼級なんて、レベルの探索者たちとは格が違い過ぎる」
「……あ、なるほど。そういうことですね」
必死の弁明を聞いて、ユルダはハッとしたように顔を上げた。
そして、何やら深く納得した様子で、何度も頷く。
「神が下界に降りる際、その身を隠すために人の姿を借りる……伝承にある通りです。……承知いたしました。ミナト様はあくまで『ただの白金級探索者』であらせられる、と」
「え、いや、違う。設定とかじゃなくてマジで」
「皆、聞いたかい! ミナト様はあくまで『人間』だ!正真正銘の人間としてお仕えするんだよ!」
「「「はいっ!!」」」
ユルダの号令に、全員が食い気味に返事をする。
その目は「絶対に神様の正体をバラすなよ(というフリですね)」という、強固な忠誠心と空回りの賢しさに満ちていた。
全然信じてない。
否定しようとするが、彼らの瞳には既に強烈なフィルターがかかっていた。
畏怖。崇拝。そして、縋るような期待。
それは「強い人」に向けるものではなく、「絶対的な信仰対象」に向ける眼差しだった。
『ふふっ。面倒なことになりましたね、マスター』
ナビ子が面白そうに笑う。
『システムへの干渉は神の領域ですから。そもそも、自律進化は希少性で考えると、神紅鋼級すらも及ばない機能ですし、間違ってませんよ』
頭を抱えたくなった。
ただの親切心だったのに、どうしてこうなった。
これじゃまるで、カルト教団の教祖様じゃないか。
だが、今更「力を与えることなんて出来ません」とは言えない空気だ。
それに、彼らに力を与えること自体は、村の生存に必要なことだ。
諦めて、覚悟を決めた。
誤解は解けないなら、利用するしかない。
それが、彼らを守るための「嘘」なら、喜んでついてやる。
「……まぁ、いい。細かいことは気にするな。準備が必要だから明日の朝から執り行う」
バールの石突きで、囲炉裏の縁石を軽く叩く。
キンッ、と鋭い音が、誓いのように響いた。
「とにかく、俺の力を貸してやる。ただし、覚悟しろよ。お前たちが自立できるようになるまで、ビシバシ鍛えていくからな」
俺が言うと、全員は顔を見合わせ、そして力強く頷いた。
「「「はいっ!!」」」
その返事は、今までで一番大きく、そして揃っていた。
彼らの瞳に宿る光は、もはや迷える子羊のものではなかった。
そして、このとき俺は気づいていなかった。
小屋の入り口の物陰から、小さな視線がこちらを覗いていることに。
もし1つだけお願いできるなら、ブックマークだけお願いします。続き、すぐ出します。
いったい誰が覗いていたんだ……。
ちなみに、地球でも異世界でもレベルアップに壁がある位置は地球と変わりません。




