第23話 おじさん、ツンデレを見つける
鼻孔をくすぐる脂の焦げる匂い。
焚き火の爆ぜる音。
そして、何よりも雄弁な、子供たちの咀嚼音。
ホルム村の中央広場には、ささやかながらも熱狂的な「宴」の空気が満ちていた。
俺が提供した――というか、インベントリの在庫処分とドロップ操作で捻出した――大量の肉や果物が、子供たちの胃袋へと消えていく。
「うめぇ! これ、めっちゃ甘い!」
「お肉……柔らかい……噛まなくても溶けるよぉ……」
「トト兄ちゃん、もっと焼いて!」
顔を脂でテラテラに輝かせ、一心不乱に肉を貪る子供たち。
その光景は、平和そのものに見えた。
そう、平和だったのだ。数分前までは。
「ガルが……ガルが、いないの……!」
リリの悲痛な声が、宴の喧騒に微かな亀裂を入れた。
俺は手に持っていた干し肉を置き、視線を彼女に向けた。
焚き火の明かりに照らされた横顔。短く切り揃えられた黒髪が、不安げに揺れている。
普段は意志の強さを宿している深い緑色の瞳が、今は助けを求めるように俺を捉えていた。
ボロボロの服を纏っていても損なわれない背筋の伸びた立ち姿が、かえってその痛々しさを際立たせている。
「落ち着け。いないって、便所とかじゃなくてか?」
「違う。……あいつの剣がないの。それに、一番状態のいい革鎧も持ち出してる」
「……武装して出て行ったってことか」
視線を巡らせる。
確かに、あの目つきの悪い、心根のやさしい少年の姿がない。
ボサボサの茶髪で、常に周囲を威嚇するような鋭い眼光をした少年。
痩せぎすだが筋肉質の体躯に、継ぎ接ぎだらけの服。
さっき俺が食料を出した時、彼はバツが悪そうにしながらも、安堵したような顔を見せていた。
だが同時に、どこか焦燥に駆られたような、暗い目をして俺を見ていた気もする。
「行き先に心当たりは?」
「……たぶん、北の渓谷。あそこには、トトたちが潜っていたダンジョンの入り口があるから」
あそこか。
確か、トトたちは3人パーティーでギリギリ攻略していたはずだ。
彼らの実力は、地球の基準で言えばLv.30にも満たない黒鉄級だったはず。
もし仮に、トトたちと同等の腕前なら、ソロで潜るには心許ない。
「あいつの腕前は? トトより強いのか?」
「……ううん。剣の腕はトトの方が上。ガルは……喧嘩っ早いけど、魔物との実戦経験は少ないの」
「……つまり、格下の実力で、ソロで挑もうとしてるわけか」
自殺志願者でもなけりゃ、ただの無謀だ。
だが、今の彼にはその「無謀」しか選べなかったのだろう。
俺の言葉に、リリが唇を噛む。
「あいつ、焦ってるの。……ミナトさんに水や薬を使うこと、最後まで反対してたから」
「……そうか。まあ、あの状況なら当然の判断だな」
「あいつはあいつなりに、村のみんなを守ろうとしてたの。貴重な水を、助かるか分からない余所者に使うべきじゃないって」
「……」
「なのに、その余所者が復活して、自分たちが逆立ちしても手に入らないような食料をもたらした。……惨めになったのよ、きっと。自分が切り捨てようとした相手に、逆に救われたことが」
なるほど。
自分の判断――リソース管理としての「正論」が、俺の圧倒的な「結果」の前に霞んでしまったわけか。
正しいか間違いかじゃない。
単に、力が足りていなかったという事実が、少年のプライドを傷つけた。
馬鹿な奴だ。
だが、嫌いじゃない。
「北の渓谷だな」
「え……? 待って、まさか……」
「連れ戻す。……せっかくの飯が不味くなるからな」
バールを腰に差し、短く息を吐く。
リリが何か言いかけるより早く、俺は地面を蹴った。
◇
夜の荒野は、冷たい静寂に包まれていた。
月明かりだけを頼りに、ゴツゴツとした岩場を駆ける。
『マスター。放っておけばいいのでは?』
脳内で、ナビ子が呆れたような声を出す。
『彼は、あなたの力を拒絶したようなものです。自尊心のために勝手な行動を取る人間に、リソースを割く必要性を感じませんが』
(うるせぇな。……投資だよ、投資)
『投資?』
(ああ。あいつのあの目、死んでなかっただろ。自分の無力さを噛み締めて、それでも足掻こうとしてる奴は伸びる。……ここで死なせたら、俺の先行投資が無駄になる)
屁理屈だ。
自分でも分かっている。
だが、かつての自分を見ているようで、放っておけない。
システムに頼らず、自分の足で立とうとする姿勢。
それは、この世界で俺が貫こうとしている「完全手動」の在り方に、どこか通じるものがある。
『……素直じゃありませんね』
(余計なお世話だ。索敵、頼むぞ)
『了解。……北北西、距離800メートル。生体反応、複数。……囲まれています』
ナビ子の報告に、俺はさらに速度を上げた。
◇
(……くそっ、なんだよ、この数は……!)
ガルは、荒い息を吐きながら剣を構え直した。
ボサボサの茶髪が、脂汗で額に張り付いている。
鋭い眼光は、いまや恐怖と焦燥で激しく揺らいでいた。
手にあるのは、錆びついた鉄の剣。刃こぼれだらけの、ただの鉄塊に近い武器。
それが今、彼がすがりつける唯一の命綱だった。
周囲を囲んでいるのは、十数匹の獣たち。
『腐肉喰らいのコヨーテ』。
浅層級の魔物だが、群れで狩りを行い、弱った獲物を執拗に狙う狡猾なハンターだ。
「ハァ……ハァ……ッ!」
腕が重い。
既に三匹を斬り伏せたが、代償として左腕と太腿を噛まれた。
傷口から熱い血が流れ出し、体温と体力を奪っていく。
(俺は……強くなりたかっただけだ……!)
脳裏に浮かぶのは、あの男――ミナトの姿だ。
トトによると、逃げるハイエナを、石ころ一つで絶命させたという異常な強さ。
魔法も、スキルも使った気配がないのに、魔物をゴミのように処理する圧倒的な「格」の違い。
悔しかった。
自分が命がけで守ろうとしてきた村の危機を、あいつは「ついで」のように救ってみせた。
感謝すべきだと分かっている。
だが、心の奥底で黒い感情が渦巻くのを止められなかった。
(俺だって……! 俺だって、これくらい……!)
焦りが、剣筋を雑にする。
大振りの一撃は空を切り、体勢が崩れた。
獣が低い唸り声を上げ、その隙を見逃さなかった。
三方向から同時に飛びかかってくる。
(――死ぬ)
死の予感が、冷たい刃となって背筋を走る。
妹や弟たちの顔が浮かんだ。
ごめん、守ってやれなくて。
あいつらに、もっと腹いっぱい食わせてやりたかった。
ガルは目を閉じ、来るはずの牙の感触を待った。
風を切る音。
肉と骨が砕ける、湿った破砕音。
鈍く、重い衝撃が空気を震わせた。
同時に、顔にかかる生温かい液体。
だが、痛みはない。
「……え?」
恐る恐る目を開ける。
そこには、頭部が弾け飛んだコヨーテの死骸が転がっていた。
そして、その向こう側。
月を背負って立つ、一人の男の姿。
「力が入りすぎだ。それじゃあ、動きだしが遅くなっちまうぞ」
よそ者だった。
地味な作業着のような服装に、手にはバール。
目の下に薄いクマがあり、どこにでもいそうな疲れた中年男の風体。
だが、その立ち姿だけが異様に安定していた。
今、この距離から、石を投げてコヨーテの頭を吹き飛ばしたのか?
「グルルッ……!」
仲間の死に、残りのコヨーテたちが殺気立つ。
標的をガルから、新たな乱入者へと変更する。
一斉に飛びかかる獣たち。
ガルは叫ぼうとした。
「危な――」
だが、その警告は喉の奥で消えた。
ミナトの動きが、あまりにも「自然」だったからだ。
彼は構えもしない。
ただ、散歩でもするかのように歩き出し――すれ違いざまに、手にしたバールを軽く振るった。
最小限の動き。
遠心力と、的確な急所への打撃。
無駄な力など一切入っていないように見えるのに、バールが触れた瞬間、コヨーテの骨が砕け、内臓が破裂する。
それは「戦い」ですらなかった。
ただの「作業」。
ゴミを片付けるように、淡々と、正確に。
「……なんだよ、それ……」
ガルの口から、乾いた声が漏れる。
自分が命を賭けて、それでも届かなかった相手。
それを、この男はあくび交じりに処理していく。
最後のコヨーテが、悲鳴を上げて逃げ出した。
ミナトはそれを追おうともせず、バールを肩に担ぎ直した。
「……怪我は?」
振り返ったミナトが、ぶっきらぼうに尋ねてくる。
ガルは、震える足でなんとか立ち上がった。
「……うるせぇ。……なんで、助けた」
感謝の言葉よりも先に、刺々しい言葉が出た。
自分の弱さが惨めで、情けなくて、どうしようもなかった。
「投資だ」
「は……?」
「俺は村に大量の食料を投資した。その見返りとして、村には寝床を提供してもらう契約だ。お前みたいな若手が死んで労働力が減ったら、俺が損をする」
ミナトは平然と言い放った。
まるで、ガルの命そのものには興味がないかのような口ぶり。
だが、ガルには分かった。
それが、ガルのプライドを守るための言葉であることを。
「助けられた」のではなく、「借りを返すために生かされた」という理屈を与えることで、ガルの立つ瀬を残してくれたのだ。
「……ふざけんな。誰が、てめぇのためなんかに……」
悪態をつく。
だが、その目からは、悔しさと安堵がないまぜになった涙が溢れていた。
「食わせた分の元は取らせてもらうぞ。死んで踏み倒そうなんて思うなよ」
「……ちっ、覚えてろよ。……必ず、返してやるからな」
袖で乱暴に顔を拭うと、ミナトに背を向けた。
その背中は、来る時よりも少しだけ小さく、けれど確かな熱を帯びているように見えた。
◇
帰り道。
俺たちは無言で並んで歩いていた。
ガルの足取りは重いが、自分の足でしっかりと歩いている。
肩を貸そうかと思ったが、今の彼には不要だろう。
『マスター。前方、生体反応。……人間です』
不意に、ナビ子の警告が脳裏に響く。
俺は足を止めずに、気配のする方角へ意識を向けた。
街道沿いの茂みの中。
複数の男たちが潜んでいる。
「……おい、見たか? 今のガキ」
「ああ。村の方から来たな。……それにしても、いい匂いがしやがる」
「肉、食ってるぞ。あの村、どっからか肉を手に入れやがったな」
下卑た話し声。
装備の擦れる音からして、武装している。
だが、正規兵のような規律正しさはない。
脱走兵か、食い詰めた傭兵崩れの盗賊といったところか。
「へっ、ちょうどいい。『徴税』のついでに、根こそぎ奪ってやるか」
「女もいるだろうしな。……もうすぐ『浄化』が始まる。どうせこの辺も終わりだ。好きにやってもバレやしねぇよ」
――浄化。
――徴税。
聞き捨てならない単語が耳に飛び込んでくる。
やはり、この地域の荒廃には、人為的な意図が絡んでいるらしい。
リリたちが恐れていた「何か」の正体。
(……人間の敵か)
俺の中で、スイッチが切り替わる音がした。
魔物相手の時とは違う、冷たく、重いスイッチだ。
「……ガル、先に行ってろ」
「あ? なんだよ急に」
「小便だよ。なんだ、連れションしたいのか?いいぞ」
「だ、誰が行くか!」
ガルを先に行かせると、茂みの方へと向き直る。
そして、わざと足音を立てて近づく。
「――ッ!? だ、誰だ!」
男たちが慌てて武器を構える。
三人組。薄汚れた革鎧に、手入れの行き届いていない剣。
俺は彼らの前に、無造作に姿を現した。
「夜分にすまないな。ちょっと道に迷ってね」
「あぁ!? なんだてめぇ、村の奴か?」
「いや、通りすがりの迷子だ」
バールを肩に担ぎ、笑みを浮かべる。
ただし、目は笑っていない自信がある。
「ところで、今『浄化』とか『徴税』とか聞こえたんだが……詳しく聞かせてもらえないか?」
「あぁん? 知るかよ。……おい、こいつ殺して身ぐるみ剥ぐぞ」
男の一人が、剣を振り上げて飛びかかってくる。
対話の余地なしか。
話が早くて助かる。
俺は一歩も動かず、振り下ろされた剣をバールで受け止めた。
甲高い金属音が響き、男の剣が半ばからへし折れる。
システム補正のない、純粋な物質強度と運動エネルギーの激突。
ダンジョン鋼製のバールが、粗悪な鉄剣に負ける道理はない。
「な、なんだッ!?」
男が目を見開く。
その鼻先に、バールの先端を突きつけた。
「お、バールで鼻の穴を拡張したらどうなるか気になってたんだよ。実験させてくれよ」
殺気などという生易しいものではない。
俺が放ったのは、生物としての位階による絶対的な暴力だ。
システムによる減衰を受けない白金級の出力は、減衰した『赫金級』――すなわち、軍隊を単騎で蹂躙できる最高戦力に匹敵する。
ただのアリが、誤って竜の逆鱗に触れてしまったような絶望。
彼らの生存本能は警報を鳴らすことすら諦め、ただ「死」を幻視して凍りついていた。
男が喉の奥で短い悲鳴を上げ、腰を抜かして後ずさる。
残りの二人も、完全に戦意を喪失していた。
格が違う。
生物としてのランクが違うことを、本能で理解したのだ。
さて、あとはこいつらが逃げ帰って情報を撒き散らすのを待つか。
恐怖は伝染する。こいつらの口から「ヤバい奴がいる」と広まれば、村への安易な干渉は減るかもしれない。
「消えろ。二度とこの村に近づくな」
「ひぃッ……! わ、分かった! もう二度と……!」
男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
だが、その去り際。
一人が歪んだ笑みを浮かべ、吐き捨てるように叫んだ。
「へっ、いい気になってろ! もうすぐ『浄化』が始まるんだ……この辺も終わりだぜ!」
転がるように闇の中へ消えていく背中。
俺はその捨て台詞を反芻し――そして、小さく嘆息した。
「……『浄化』、ね」
どうやら、ただの食料不足や魔物の被害だけじゃなさそうだ。
もっと根深い、人間の悪意が絡んでいる。
『マスター。追撃しなくてよろしいのですか? 情報の出処として泳がせる、という判断かと推測しますが』
ナビ子の問いに、俺は首を振った。
「いや、やっぱやめた」
足元の石ころを三つ拾い上げ、無造作に放り投げた。
石は闇を切り裂き、逃げていった男たちの方向へ吸い込まれていく。
遠くで、ほぼ同時に三つの破裂音が響いた。
先頭を走っていた男も、それに続こうとした二人も、等しく頭部を弾け飛ばされたのが分かった。
逃走する足音が、ピタリと止む。
残ったのは、荒野を吹き抜ける風の音だけ。
「なんか、組織に属してそうだし、変にリスクを背負う必要もないもんな。……モンスターに殺された哀れな人間として、静かに消えてくれ」
彼らが生きて戻れば、恐怖と共に「村に何かがある」という情報も持ち帰ることになる。
それはそれで、別のハイエナを呼び寄せる餌になりかねない。
なら、ここで因果を断ち切っておくのが最善手だろう。
それに、今はガルの帰還が優先だ。
バールを収め、ガルの後を追った。
村に戻ると、宴はまだ続いていた。
だが、その明るい炎の向こう側には、闇が迫っている気配を、俺だけが感じていた。
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