第21話 おじさん、異世界へようこそ
現在、30話までの執筆が完了しております。
その間、毎日投稿していきます。
視線を上げる。
数メートル先で、助けた若者たちが身を寄せ合い、小刻みに震えていた。
無理もない。自分たちが手こずっていた魔獣を一撃粉砕した男が、突然、虚空に向かって「先に言えよ!」と絶叫したのだ。
不審者どころか、危険人物そのものだろう。
「あー……すまん、独り言だ。ちょっと考え事をさせてくれ」
努めて穏やかな声を出す。
彼らは一斉に頷き、さらに数歩、距離を取った。
……まあいい。今は情報の整理が先だ。
「異世界、異世界かー……」
呟きは、乾いた風にさらわれて虚空へ消えた。
都市伝説としては聞いたことがあった。
『ダンジョンの最深部は別世界に繋がっている』。
モンスターに魔法、レベルアップ。これだけファンタジーな要素が揃っていれば、「この奥には異世界がある」と考える人間がいてもおかしくはない。
だが、それはあくまで噂や陰謀論レベルの話だったはず。
32年間、世界中の探索者がどれだけ潜っても、誰もその証拠を見つけられなかったからだ。
現実は、小説よりもたちが悪い。
まさか自分が、巨大ミミズの消化器官を経由して、人類初の異世界到達者(推定)になるとは。
頭上には、月明かりのない毒々しい星空。
頬を撫でる風は、地球のそれよりもひどく乾燥していた。
『はい、異世界です。ただ、帰れないわけではありませんよ』
脳内で、ナビ子の声が響く。
鼓膜を震わせない直接的な音声信号。
片道切符だと思っていたが、往復可能なら話は別だ。
「そうか、じゃあさっさと帰ろう。舟木さんや沙織さんたちが心配しているかもしれない」
誰にも聞こえないよう、小声で呟く。
若者たちは少し離れた場所で、こちらの様子を窺っている。独り言を言っている危ない奴だと思われていなければいいが。
『今すぐ帰れる、というわけではありません。先ほど入手した『境界喰らいの歴史』。あれを完全に解析して、こちらの世界と地球の座標を特定できれば、理論上は帰還ゲートを開けます』
「理論上は、ってのが引っかかるな」
『先ほども言いましたが、空間や次元への干渉は、秘銀級以上の領域でないと不可能なのです』
「……つまり、俺が秘銀級以上に成長すれば良いってわけか」
『はい。そうすれば、私の権限も強化され、ゲートを開く演算が可能になります。……あ、言っておきますけど、本来は秘銀級でも次元移動なんて夢のまた夢なんですからね? 最低でも秘銀級というだけで、赫金級になって初めて使える探索者もいるくらいなんですから! 私が優秀なナビゲーターだから可能な偉業なんですよ?』
「はいはい、有能有能」
『むふー。分かればよろしいのです! もっと褒めてもいいんですよ?』
脳内で胸を張るナビ子をスルーし、思考を巡らせる。
秘銀級以上。
今のレベルが358だから、あと142。
ここ数日の激戦――暴食オークのイレギュラー三体との死闘、そして原種二体との連戦――を経て、レベルは220から一気に358まで跳ね上がった。
たった二日で138の上昇だ。
このペースなら、半年……いや、数ヶ月もあれば達成できるんじゃないか?
「意外と早く帰れるかもな」
『甘いですよ、マスター』
皮算用を見透かしたように、ナビ子が釘を刺してくる。
『レベルは上がるほど、次のレベルに必要な経験値が幾何級数的に跳ね上がります。それに、一定のレベル帯ごとに存在する「壁」の問題もあります。優秀な探索者でも、Lv.300台から400台に上げるだけで数年はかかりますし、一生かけても辿り着けないケースがほとんどです』
「……だろうな」
『ですが! マスターにはシステムによる「経験値徴収」も「最低吸収量の規定」もありません! 自律進化の特権で、倒した分だけダイレクトに強くなれます。理論上、壁なんてものは存在しません!』
「つまり、狩りまくればいいと?」
『その通りです! さあ、残業のお時間ですよ!』
コイツと出会ってからたった数日しか経ってないのに、労働量が激増してるんだが。全く大したアシスタントだよ。
ため息をつきながら、世知辛いこれからの労働を考えていると、恐る恐る声をかけられた。
「……あ、あの!」
声の主を見る。
さっき助けた若者たちが、困惑と畏怖の入り混じった表情でこちらを見上げていた。
怯えてはいる。だが、魔物の徘徊するダンジョン内で、強力な戦力から離れるのは得策ではないと判断したのだろう。
ボロボロの革鎧。頬はこけ、眼窩が落ちくぼんでいる。
装備の質は、日本の初心者よりも酷い。
「あぁ、すまん。もう大丈夫だ、なんだ?」
「助けていただきありがとうございます。貴方は……?」
異世界の言語のはずだが、意味が脳に直接染み渡ってくる。
ナビ子の翻訳機能が、日本語として認識させているのだ。
バールを肩に担ぎ直す。
冷たい鉄の感触が、現実感を繋ぎ止めるアンカーだった。
「通りすがりの迷子だ。……と言っても信じないだろうな」
こちらの姿は、消化液で溶けた作業着に、あちこち傷だらけの体。
どう見ても不審者か、死に損ないの亡霊だ。
それでも彼らは、魔獣を一撃で粉砕した光景を見ている。無下にはできないはずだ。
「とにかく、休める場所が欲しい。近くに村はあるか?」
言葉が伝わると、彼らは顔を見合わせ、一人の少年が前に出た。
「あ、あります! 俺たちの村が、すぐ近くに……! ですが、その、何のお構いもできませんが……」
「屋根と壁があればいい」
贅沢を言える立場じゃない。
それに、限界が近い。
「……ッ」
不意に、地平線がぐらりと傾いた。
心臓が早鐘を打ち、指先が勝手に痙攣する。
視界に赤いノイズが走り、無機質なシステムログが明滅した。
『警告:神経伝達回路の崩壊まで、推定戦闘許容時間――残り420秒』
……あと七分か。
『働き蟻の献身』『兵蟻の闘志』『闘争ホルモンの結晶』――あのワーム戦で全部乗せした劇薬のリバウンドだ。これ以上、派手な戦闘を続ければ廃人コースまっしぐらだな。
『警告:バイタル低下。自律神経系に重篤な負荷を確認。……マスター、直ちに休息を推奨します』
ナビ子はログの致命的な数値にはあえて触れず、ただ休息だけを促してきた。余計な不安を煽らないための配慮か、あるいは俺の性格を見越してのことか。
「分かってるよ……」
血管に泥が流れているような倦怠感を覚え、足を踏ん張る。ここで倒れたら、野垂れ死にだ。
若者たちがこちらの異変に気づき、慌てて駆け寄ろうとするが、手で制する。
「大丈夫だ。案内してくれ」
俺たちは、毒々しいほど眩い星空の下、荒野を歩き出した。
◇
どうやら、転移した場所はダンジョンの三層目だったらしい。
外へ向かう道すがら、襲ってくる魔物を秒殺しながら進むと、すぐに外に出ることができた。
だが、そこで言葉を失った。
視界に広がるのは、圧倒的な「死」の気配。
畑がない。生活の煙が上がっていない。
かつて街道だったであろう道は雑草に埋もれ、轍の跡すら消えかけている。
人間が生きている気配――「生活」の匂いが、絶望的なまでに希薄だった。
村への道中、若者たち――リーダー格の少年はトトというらしい――から少し話を聞いた。
ここら辺一帯は「廃棄地域」と呼ばれている場所らしい。
名前からして終わっている。
「どうしてこんな場所に住んでるんだ? 街に行けばいいだろう」
「街に住むには市民税が必要なんです。でも、冒険中やスタンピードで働き手が減ってしまって、払えなくなった人からこっちに流れてくるんです……」
トトは乾いた笑みを浮かべ、言葉を続けた。
行政が撤退したこの土地には、もうろくな仕事がない。
それでも領主は「道路確保」や「魔石納入」という名目で、最低限の上納金を要求してくるらしい。
逃げようにも、逃げる場所などない。
まさに、詰みだ。
「噂によると、数年前に即位された新しい王様は人格者で、都に行けば女、子どもを受け入れてくれるらしいです。でも、王都までは一ヶ月以上かかるし、ここみたいな辺境なんて見てないでしょうから……」
「まさに廃棄地域……行政サービス対象外ってことか」
『要するに、国に見捨てられたスラム街ですね。マップデータを作成中ですが……インフラ反応、ほぼゼロです』
しばらく歩くと、道端に石造りの台座のようなものが見えた。
かつては精緻な彫刻が施されていたであろうそれは、今は無惨にひび割れ、苔むしている。
周囲にはモンスターのものだろう、糞が散乱し、鼻を突くアンモニア臭が漂っていた。
「そこには近づかないでください。……昔は神様の加護があった場所らしいんですけど、今は魔物の巣になってますから」
トトが忌々しげに吐き捨てる。
「……昔は、ここが安全地帯だったわけか」
直感した。
かつては魔道具かなにかで、魔物を寄せ付けない結界か何かが張られていたのだろう。
それが、今は便所になっている。
「神様も逃げ出したってことか」
行政撤退の現実は、雄弁にこの土地の絶望を語っていた。
守る者がいない。維持する者がいない。
ここは、文明の墓場だ。
「……あっちか」
視線を向けた数秒後、トトが叫んで錆びた剣を構えた。
「……ッ、魔物だ!」
前方の茂みが揺れた。
飛び出してきたのは、ハイエナのような魔獣。
浅層級の雑魚だが、今の彼らには脅威なのだろう。若者たちが身を硬くし、肩を寄せ合う気配が背中に伝わる。
ハイエナが牙を剥き、こちらに飛びかかろうとして――
俺と目が合った。
「ギャッ……!?」
瞬間、獣の喉から悲鳴が漏れた。
攻撃態勢から一転、尻尾を巻いて逃げ出そうと身を翻す。
こちらから漂う、ダンジョン外でも減衰しないエネルギーを感じ取ったのか。野生の勘ってやつは、時に人間より賢い。
「逃げるなよ」
思考より先に、右手が動いていた。
足元の石を拾い上げ、腕を振る。
システム補正なしの、純粋な筋肉と骨格の連動。
石は風切り音すら置き去りにして、ハイエナの後頭部に吸い込まれるように直撃した。
頭蓋が砕ける、湿った音が響く。
ハイエナは悲鳴を上げる間もなく、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「……え?」
トカゲを倒した時もそうだったが、トトたちは状況が飲み込めていないようだ。
口を半開きにして、物言わぬ肉塊となった魔物と、それを背後から一撃で仕留めた俺を交互に見ている。
「……逃げる魔物を、一撃で?」
『マスター、容赦ないですね。それにしても……』
「ああ。なんでこんなにモンスターが、外にうろついてるんだ?」
浅層級とはいえ、ダンジョンの外に魔物が我が物顔で闊歩している状況は異常だ。
疑問に、トトが力なく答える。
「ここら辺は廃棄地域ですからね……。街の周辺以外は、間引きも追いついてないんです」
普通なら探索者が定期的に狩って数を減らすものだが、廃棄地域にはその手が回らない。
『ダンジョン外だとモンスターが弱体化する代わりに、取得経験値も大幅に減衰します。ドロップ率も渋いですね。普通の探索者なら赤字ですから、廃棄地域で狩りをするお人好しはいないのでしょう』
放置しておけば村が危ないが、狩っても旨味がない。
探索者に見捨てられるわけだ。
『ちなみに、マスターの場合はシステム手数料がないので、普通の探索者がダンジョン内で狩るより効率はいいんですよ!』
死体は既に光の粒子となって消滅し、あとにはドロップ品である肉の塊だけが残されていた。
「お、肉か。貴重なタンパク源だな」
痛む体を引きずり、獲物を回収しに向かう。
さっき倒した巨大トカゲの肉も回収済みだ。
インベントリに放り込みながら、呟く。
「……これ、食えるのか?」
『解析完了。食用可能です。魔物の肉は人体に有害な成分を含みません。ダンジョンは、人間が必要とする資源を産出するように設計されていますから』
「へぇ、意外と親切設計なんだな。……味はどうかしらんが」
作業を終えて戻ると、若者たちの視線が変わっていた。
最初は「怪しい余所者」を見る目だったのが、今は「理解不能な怪物」を見る目に変わっている。
まあ、逃げる魔物を背後から石で殺す怪我人なんて、どう見てもカタギじゃない。
「行くぞ。案内してくれるんだろ?」
「は、はい……!」
彼らの足取りが、少しだけ速くなった気がした。
◇
村が見えてきた。
村というより、砦に近い。
柵こそ粗末な廃材の寄せ集めだが、その内側には不釣り合いなほど立派な鐘塔と避難壕が見える。
防御よりも「逃走」に特化した構造だ。
そして何より――。
「……本当に子供ばっかりだな」
村に入って最初の感想は、それだった。
出迎えに来た村人たちのほとんどが、二十歳になっていないであろう子供たちだ。
大人の姿もちらほら見えるが、老人か、怪我をして動けなさそうな者ばかり。
働き盛りの成人男性が、ごっそりと抜け落ちている。
トトたちを見て、小さな子供たちが駆け寄ってくる。
だが、こちらの姿を見ると、怯えたように足を止めた。
「トト兄ちゃん……その人、だれ?」
「……お客さんだ。ものすごーく強い人だよ」
トトが気を使うように言う。
村の中を見渡す。
空き家が多い。
屋根が落ち、壁が崩れ、雑草が我が物顔で生い茂る廃屋が目立つ。
家の前の空き地には、粗末な木の棒が何本も突き刺さっていた。
慰霊杭なのだろう。
子供たちが、それを避けるようにして遊んでいる。
「……はぁ、気が重いな」
その光景が日常化していることの残酷さが、ボディブローのように効いてくる。
日本じゃありえない。
ここは、地獄の釜の底か。
「こちらへ。村長が会ってくれます」
案内されたのは、村で一番大きな、それでもあちこちガタが来ている建物だった。
中から出てきたのは、白髪の混じった初老の女性だった。
質素な服を着ているが、その立ち居振る舞いには不思議な品があった。
「ホルム村の村長をしているユルダです。……若い衆を助けていただき、感謝します」
深々と頭を下げる彼女。
その丁寧すぎる言葉遣いに、一瞬だけ違和感を覚える。
この荒廃した村には似つかわしくない、洗練された所作。
だが、それを追求する気力はもう残っていない。
「とにかく休むところをくれ。……限界だ」
それだけ言うのが精一杯だった。
緊張の糸が切れた瞬間、体に蓄積していたダメージが一気に牙を剥いた。
視界がぐらりと揺れる。
地面が迫ってくる。
「……頼む、少し寝かせてくれ……」
身体がいうことを聞かない。
『マスター! ここで倒れては……マスター!!』
ナビ子の警告が遠くなる。
ただのAIのくせに、随分と人間臭い声を出すもんだ。
こいつ、心配しすぎだろ……なんて、少し笑いそうになりながら。
俺の異世界生活一日目は、泥のような気絶で幕を下ろした。




