第02話 完全手動(フルマニュアル)おじさんの、非日常
白い。
どこまでも、白い空間。
床も壁も天井もない。上下左右の感覚すら曖昧だ。
夢か? いや、感覚がリアルすぎる。
「……どこだここ」
声を出してみる。ちゃんと響いた。体も動く。
さっきまで自宅のリビングにいたはずなのに、気づいたらここにいた。
せっかくのビールが台無しだ。ぬるくなるどころか、どこかに消えてしまった。
『最終審査フィールドへようこそ、適合者候補』
また、あの機械音声だ。
脳に直接響いてくる不快感は相変わらず。
俺は苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「おい、俺をどこに連れてきた。ビール返せ」
『審査の内容を説明します』
無視された。
なるほどね。こいつ、人の話聞かないタイプだ。コールセンターなら即クレーム案件だぞ。
『あなたは「自律進化」プロトコルの適合者候補に選出されました』
「だから何だよそれ」
『「自律進化」とは、システムから独立して稼働する成長プロトコルです。通常のアバターシステムとは異なり、生体そのものを進化させます』
あ、質問には答えてくれるんだ。
てか、生体を進化って言ったか?
アバターじゃなくて、俺の体を?
そもそもアバターってなに。
『補足:「自律進化」プロトコルは、かつて廃棄されたシステムです』
「廃棄? なんで?」
『理由:適合者がいなかったため。過去に3名の候補者が審査に挑みましたが、全員不適合と判定されました』
……おいおい。
俺が4人目ってことか?
『適合条件を説明します』
「聞いてねえよ」
『条件1:システム補正を使用せず探索をしていること』
……ああ、フルマニュアルね。
『条件2:同一種の累積討伐数が規定値(30万体)に到達していること』
30万。
3年で30万。1日平均274体。
……うん、まあ、スライム狩りを始めてからそのくらいは狩ってるか。
『条件3:生体データが規定値を大幅に超過していること。毒素耐性レベル:MAX』
スライムの酸を浴び続けた結果か?
皮膚がちょっと強くなってる自覚はあった。
『以上の条件を満たす個体は、地球上であなたのみです』
「……俺だけ?」
『正確には、「システム補正を使わずに30万体以上のモンスターを討伐した人間」が地球上に存在しません』
そりゃそうだ。
普通はオート使うもんな。誰もマニュアルなんてやらない。
10年間、変人扱いされながらコツコツやってきた結果がこれか。
……なんだろう、この微妙な気持ち。
「で、審査ってのは何をすればいいんだ」
『審査内容:この空間で1時間生存すること』
「1時間? それだけか?」
『補足:あなたがこれまでに遭遇・討伐したモンスターのデータを再現し、襲撃させます。なお、システム補正は一切使用できません』
「……」
嫌な予感がした。
『審査開始』
瞬間、白い空間が変質する。
床が現れ、壁が現れ、天井が現れた。
ダンジョンの通路。見慣れた風景。
――ただし、手には何もない。
「おい、武器は」
『審査では装備は支給されません。自身の力のみで戦ってください』
「……はぁ」
ため息が出る。
まあ、いいさ。最初の7年間はスライム以外も狩ってた。素手での戦い方も知ってる。
通路の奥から、ぷよぷよした音が近づいてくる。
半透明のゼリー。スライムの群れ。
俺の十八番だ。
違和感があった。
姿形は完璧だ。だが、ダンジョン特有の腐臭がしない。無機質で、清潔すぎる。
再現体、と言っていたか。
なるほど、システムが作った偽物ってわけだ。
「来いよ」
――スローモーションに見える。
飛びかかってくるスライムの軌道が、手に取るようにわかる。
半歩ずれて回避、核を手刀で突く。
パンッ。
風船が割れるような音と共に、スライムが弾け飛んだ。
「遅い」
次。ゴブリン。
錆びたナイフを振り回してくるが、動きが大振りすぎる。
懐に入り込んで、顎を掌底で打ち抜く。
ゴシャッ。
ゴブリンが宙を舞い、動かなくなる。
「お前らごときに苦戦するわけねぇだろ」
10年間、毎日毎日見てきた。
マニュアル操作で、自分の目で、自分の体で覚えてきた。
今更、お前ら程度はお呼びじゃねえんだよ。
余裕だった。
これなら1時間なんて、昼寝しててもクリアできる――そう思っていた。
◆
30分経過。
「ちょ、タイム! 一回ストップ!」
虚空に叫ぶが、もちろん誰も聞いてくれない。
調子乗ってすみませんでした。前言撤回します。これ普通にキツいです。
息が荒い。
全身が汗まみれだ。
スライム、ゴブリン、コボルト、オーク……次から次へとモンスターが湧いてくる。
しかも、出てくるモンスターがだんだん強くなっている。
動きが速い。連携してくる。数が多い。
素手での戦闘は、さすがにキツい。
拳が痛い。皮膚が擦り切れる。
10年間「完全手動」で戦ってきた経験があっても、物量には限度がある。
「はっ……はっ……」
オークの死体を踏み越える。
これで何匹目だ? もう数えてない。
『残り30分』
まだ半分か。
長いな。
次の敵が現れる。
――目を疑った。
「オーク・ウォーチーフ……?」
巨大な体躯。牙の生えた顔面。身体には無数の傷跡。
7年前、初めて中層に挑戦した時に遭遇したボスモンスター。
あの時は、先輩と二人がかりで、命からがら倒した。
先輩の的確な指示と、俺の泥臭い攻撃。
チームワークでなんとか勝てた、思い出深い敵。
「……猪狩さん」
懐かしい名前が、口をついて出た。
あの人は、もういない。
ウォーチーフが咆哮する。
衝撃波が空気を震わせた。
「っ……!」
今度は、一人で倒さなきゃいけない。
歯を食いしばる。
来い。俺は、あの頃より強くなったぞ。
◆
丸太のような腕が振り下ろされる。
風圧だけで吹き飛ばされそうだ。
地面を転がって回避。
追撃の踏みつけ。
壁を蹴って跳躍。
視界が揺れる。
巨大な拳が、俺のいた場所を粉砕する。
硬い。速い。重い。
まともに食らえば即死だ。
「ここだッ!」
一瞬の隙。
振り抜いた腕の関節を狙って、飛び膝蹴り。
バキッ。
ウォーチーフが体勢を崩す。
そこへ、渾身の右ストレートを叩き込む。
殴り合い。
泥仕合。
アクション映画のような華麗さはない。
システムによる痛覚遮断がない生身の戦いは、一撃ごとに神経を焼かれるような激痛が走る。
だが、止まらない。止まれない。
ただ必死に、生き残るために暴れるだけだ。
『残り3分』
機械音声が響いた瞬間。
俺の拳が、ウォーチーフの喉笛を砕いた。
巨木が倒れるように、ボスモンスターが沈黙する。
「はぁ……はぁ……!」
勝った。
全身ボロボロだ。骨が何本か折れてる気がする。
だが、まだ立てる。
「あと……3分か……」
息も絶え絶えながら、確信する。
3分くらいなら逃げ切れる。俺の勝ちだ。
ふぅ、ちょろかった、と息を吐こうとした、その時。
『遭遇記録:原種モンスター「境界を蝕む魔蟲」との接触履歴を検出』
――心臓が、跳ねた。
いや、一瞬止まった気がした。
空気が凍りつく。
「……何だと」
『再現体を召喚します』
脳裏にフラッシュバックする光景。
崩れる地面。舞い上がる砂塵。
そして、先輩の驚愕に染まった顔が、巨大な顎に飲み込まれ――プツンと途切れた景色。
胃の腑が熱くなる。吐き気じゃない。煮えたぎるような殺意。
「待て」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
地面が盛り上がる。
黒い何かが、地中から這い出てくる。
巨大な蟲。
全長10メートルはある、醜悪なワーム。
体表から立ち上る、黒い靄。得も言われぬ悍ましい気配。
――忘れるわけがない。
3年前。
俺の目の前で、猪狩さんを丸呑みにした化け物。
直ぐに反応して、一撃を食らわせたが、すぐに地中に逃げられ、猪狩さんは戻ってこなかった。
3年間、ずっと探していた。
「ワーム出現」の噂を聞けば、そのダンジョンに飛んでいった。
しかし、ついには、一度も見つけられなかった。
自分への落胆。
大切な人を守れなかった無力感。
理不尽に奪われた怒り。
それら全てが混ざり合って、どす黒い感情になる。
それが、今、目の前にいる。
「…………」
呼吸が浅くなる。
視界が狭まる。
怒りで、頭の中が真っ白になっていく。
「……おい」
声が、自分のものじゃないみたいだった。
「おい、ゴミ虫」
足が勝手に前に出る。
痛みも、疲労も、どうでもよくなった。
「お前を」
一歩、また一歩。
「ずっと」
拳を握りしめる。
「殺したかったんだよォォォォッ!!」
喉が裂けんばかりに叫びながら、俺の脳は冷え切っていた。
怒りで視界が赤く染まる一方で、思考回路は氷のように澄み渡る。
距離、15メートル。
相手の初動、予備動作なしの噛みつき。
右斜め45度へ前転回避。そこから顎下へ最短距離で潜り込む。
感情は爆発しているのに、体は精密機械のように最適解をなぞる。
10年間、来る日も来る日も繰り返してきた「完全手動」の代償にして、成果。
俺は、怒り狂いながらにして、冷静に殺す準備を整えていた。
◆
境界を蝕む魔蟲が咆哮する。
黒い靄が広がり、空間を侵食していく。
「返せよ」
ワームの頭部に飛びかかる。
「猪狩さんを返せ!」
拳を叩きつける。
肉を抉る感触。だが、まだ足りない。
ワームが暴れる。
尻尾が俺を弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられる。
肋骨が、また何本か折れた。
だが、立ち上がる。
「逃げんなよ」
ワームが地面に潜ろうとする。
あの時と同じだ。獲物を喰ったら、すぐに逃げる。
「逃がすかよッ!」
地面に飛び込む前に、尻尾を掴んだ。
引きずり出す。
全身の力を振り絞って、引きずり出す。
ワームが悲鳴を上げた。
醜い、金切り声。
――あの日、猪狩さんを喰った時、こいつは悲鳴なんて上げなかった。
余裕綽々で、獲物を丸呑みにして、そのまま消えた。
今、悲鳴を上げている。
俺を「脅威」と認識している。
「お前」
ワームの体を引きずり出し、地面に叩きつける。
「そんなに強くないだろ」
3年前、俺は一撃を食らわせたとき、確信していた。
こいつ自体の戦闘力は大したことない。
なのに、なんで猪狩さんは喰われた?
俺より遥かに強かったあの人が、なんで?
疑問と、苛立ち。
そして、あの時の手応え。
俺の一撃で、こいつは輪切りになりかけた。でも死ななかった。
ただ斬るだけじゃダメだ。
こいつには「核」がある。
そこを潰さない限り、再生する。
「俺は3年間、お前を殺すためだけに生きてきた」
ワームの頭部を踏みつける。
「補正に頼らず、核の位置を見極めるために」
もう一度踏みつける。
肉が潰れる音。
「何十万匹もスライムを狩って、感覚を鍛えてきたんだ」
三度目。
ワームが痙攣する。体内で明滅する「核」が見えた。
エイム補正なんていらない。
俺の目は、もう捉えている。
「再現かなんだか知らねぇが!」
四度目。
「いつかお前の本体もぜってぇ殺すからなぁ!」
五度目。
「まっとけゴミ虫が!」
最後の一撃。
全体重と、3年分の執念を乗せた踵落とし。
「まっとけゴミ虫が!」
ゴシャァァッ!!
硬質な核が砕け散る感触が、足裏から背骨まで駆け抜ける。
スライムの核とは違う。もっと硬く、もっとおぞましく、そして――最高に小気味いい破壊の感触。
断末魔と共に、巨体が崩れ落ちる。
俺は完全に粉砕された核を確認し、ゆっくりと足を下ろした。
◆
『審査終了』
機械音声が、無感情に告げる。
『結果:適合』
俺は、ワームの死体の上に座り込んでいた。
全身が痛い。骨が何本か折れてる気がする。血まみれだ。
定時も過ぎてるってのになんて残業だ。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
倒した。
再現体だかなんだか知らんが、倒したぞ。
少しだけ、気が晴れる。
3年間抱え続けた鉛のような塊が、ほんの少しだけ軽くなった。
『適合者として認定されました。プロトコルを付与します』
目の前に、半透明のウィンドウが展開された。
―――
【自律進化】
■ 限界突破
レベルキャップ、ステータス上限が存在しない。
■ 完全吸収
モンスターのエネルギーを100%吸収。成長効率が飛躍的に向上。
■ 環境適応
毒・呪いなどを抗体として取り込み、無効化・強化に転用。
■ ダンジョン外100%出力
アバター利用者と異なり、ダンジョン外でも力が減衰しない。
―――
「……んだよこれ、チートかよ」
ウィンドウに表示される、文字列を理解すると力の入ってない笑いがこぼれる。
途端、体の奥から、何かが湧き上がってくる。
熱い。でも、不快じゃない。
細胞の一つ一つが活性化していくような――
折れた骨が、繋がっていく。
裂けた肉が、塞がっていく。
『付与完了』
ふっ、と体が軽くなった。
いや、軽くなったというより、「本来の状態に戻った」という感覚に近い。
今まで重りをつけて生きていたことに、初めて気づいたような。
『補足:サポートユニットを付与します』
「サポートユニット?」
『「自律進化」適合者専用のナビゲーション・アシスタント・ユニットです。あなたの探索をサポートします』
ナビゲーション?
ああ、道案内とかしてくれるやつか。便利そうだ。
『警告:本プロトコルの適用により、アバターシステム経由の全補正・支援機能が使用不可能となります』
「は? 使用不可能?」
『エイムアシスト、痛覚遮断、精神安定などの機能は、今後一切提供されません』
「……いや、それは元から使ってないからいいけど」
むしろ、今まで「使える状態」だったことの方が驚きだ。
「それより、さっきから言ってる『アバターシステム』ってなんだよ。俺たちが使ってるのはただのシステムだろ?」
『詳細はサポートユニットにお問い合わせください』
「は?」
『転送します。おやすみなさい、適合者』
「おい、丸投げか! まだ聞きたいことが――」
視界が、再び白く染まっていく。
……またこれかよ。
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