第16話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、ボーナス袋を開封する
散る火花。
空気が裂ける、不快な高音。
舟木葵の振るう日本刀は、まさに疾風だった。
神速の抜刀術。目にも止まらぬ速さで繰り出される斬撃の雨。
俺はバール一本で、その全てを弾き続ける。
(速い……ッ! それに、動きが異常だ!)
ただ速いだけではない。
関節の可動域を無視した、人間には不可能な軌道。
筋肉の損傷などお構いなしに、限界を超えた負荷で剣を振るっている。
リミッターの外れた、壊れた人形の剣舞。
精神支配の恐ろしさは、ここにある。彼女自身の体さえも「使い捨ての武器」として扱っているのだ。
「……排除、シマス」
無感情な声と共に、刃が喉元へ迫る。
首を捻って紙一重で躱し、その切っ先をバールのフック部分で受け流す。
だが、追撃は止まない。
さらに悪いことに――。
「うーっ!」
「あぁー……」
背後から、沙織さんと翔太君が襲いかかってくる。
操られた二人は、痛みを感じないゾンビのように、俺の手足にしがみつこうとする。
舟木さんの神速の剣戟を捌きながら、一般人の二人を傷つけずにあしらう。
無理ゲーだ。
燃え盛るナイフでジャグリングをしながら、綱渡りをするようなもの。
(クソッ、ジリ貧だぞ……!)
脇腹の古傷が疼く。
集中力が削がれていくのがわかる。
このままでは、いずれ崩される。
誰かを傷つけてしまうか、俺が死ぬか。
(まずい、反応が遅れ――)
死、という文字が脳裏を埋め尽くす。
だが、その瞬間。
『マスター!! 今すぐ「ボーナス」を受け取ってください!!』
脳髄を直接叩くような、ナビ子の絶叫。
「あぁ!? 今そんな場合じゃねぇだろ!」
叫び返す。
今まさに、神速の刃が喉元へ迫っているのだ。悠長にアイテム整理などしている暇があるわけがない。
『違います! 思い出してください! 今日、私たちは何を倒しましたか!?』
「……!」
時が、止まったように感じた。
迫りくる刃がスローモーションに見える。
今日、倒したもの。
記憶を手繰り寄せる。
たった数時間前のことだ。なのに、まるで遠い過去の出来事のように感じる。
それほどまでに、この「今日」という一日は、あまりに長く、濃密すぎた。
――『人民を支配し蟻の女王』。
精神支配の権化。
『未回収のドロップリストに、『女王の近衛勲章』があります!』
「……! 昨日のあれか!」
『現在進行系で受けている【精神干渉波】をキーに、未鑑定ドロップの特性スキャンを走らせました! これなら対抗できるはずです!』
なるほど、そういうことか!
原種そのものにはハッキングできなくても、俺が受けている「被害」の波形から、あの勲章が特効アイテムだと断定したのか。
なんというファインプレー。
家に帰って、まずはビールで乾杯だ、などとアイテム整理を後回しにしていたズボラさが、奇跡的に噛み合った。
そして直後の緊急速報で西東京へ急行したため、「女王討伐の報酬」という最高級の宝箱はずっと手つかずのままだったのだ!
「……でかした、ナビ子! 最高のタイミングだ!」
だが、すぐに冷静になる。
在庫は1つ。
誰に使う?
戦力として最も脅威なのは舟木さんだ。彼女の正気を取り戻せば、沙織さんと翔太君を傷つけずに制圧できる確率は上がる。
……いや、それでもリスクは高い。二人のどちらかが、その間にワームに狙われたら?
くそッ、万能の解決策なんてないのか――。
『マスター、諦めないでください! 追加ドロップ可能です!』
苦渋の決断を下そうとした俺の思考を、ナビ子の声が遮った。
「……は?」
『このアイテムはユニークではありません! 「勲章」とは女王が臣下に授与するもの。つまり、システム上は「複数存在しうる」アイテムのはずです!』
その言葉に、目の前がパッと開けた気がした。
そうだ。
1つしかないと思い込んでいたのは俺の固定観念だ。
経験値さえ積めば、いくらでもドロップさせられる!
「なら全部よこせッ! 経験値ならいくらでも持ってけ!」
叫び、あえて舟木さんの懐へと飛び込む。
肉を切らせて骨を断つ。いや、骨すら断たせない。
斬撃を紙一重で回避しながら、思考操作でウィンドウを強引に展開する。
ズラリと並ぶ、人民を支配し蟻の女王のレアドロップたち。
だが、今の俺に必要なのは、最強の武器でも最強の防具でもない。
ただ一つ。
この理不尽な支配を断ち切る、銀色の希望だけだ。
『確定』を叩きつけるように念じた。
カッ!!
虚空から光が溢れる。
三つの銀色のメダルが、回転しながら出現した。
それを空中で鷲掴みにし、同時に叫ぶ。
「受け取れぇッ!!」
三枚のメダルを、指の間から同時に投擲する。
狙うは三人。失敗すれば終わる賭けだが、今の俺には自信があった。
伊達に十年間、マニュアル操作で戦っていない。レベル252の身体能力と、自身の感覚だけで磨き上げた制御力。
メダルは吸い込まれるように飛び、舟木さんの胸元、沙織さんのポケット、そして翔太君の手の中へと正確に収まった。
効果は劇的だった。
「……はっ……! 私、また……!」
舟木さんの瞳に、理性の光が戻る。
踏み込んでいた足が止まり、彼女はその場に崩れ落ちそうになる。
「え、何これ……? 私、何を……?」
「……お母さん?」
沙織さんと翔太君も、呆然と周囲を見回している。
成功だ。
強制的な精神耐性の付与により、支配のリンクが切断されたのだ。
「ギィシャアアアアアアアアアッ!!」
巨蟲が憤怒の咆哮を上げる。
支配が解けたことに気づいたのだろう。巨大な体がのたうち回り、周囲の建物を粉砕する。
もはや搦め手は通じない。
ここからは、純粋な暴力の時間だ。
「舟木さんは、二人を連れて避難してください!」
バールを構え直し、怪物を見据えたまま叫ぶ。
「いや、私も手伝います! 一人じゃ無理ですよ! そいつ、私よりも強い……恐らく白金級相当です!」
正気を取り戻した舟木さんが、即座に戦闘態勢をとる。
頼もしい提案だ。
だが、俺は首を横に振った。
「こいつもクイーンと同じなんです。システム補正が効かない。完全手動な私の方が上手く戦える」
嘘ではない。
こいつの動きには、独特の「タメ」がある。予備動作なしのシステム的な攻撃ではなく、生物としてのリアルな挙動だ。
それは、システム補正に慣れきった今の探索者たちにとって、最も戦いにくい相手だ。
逆に、泥臭い物理挙動を見続けてきた俺にとっては、一番やりやすい相手でもある。
「それに、こいつとは因縁があるんです。舟木さんにだから頼めるんです……二人は、俺の大切な人だから」
背後の二人をちらりと見る。
沙織さんと翔太君。
猪狩先輩が命を賭して守り、俺に託した二人。
絶対に、指一本触れさせない。
「……」
その言葉に、舟木さんは息を呑んだ。
彼女は何かを察したように、真剣な眼差しで俺を見つめる。
そして、覚悟を決めた表情で深く頷いた。
「……分かりました。二人を安全圏まで連れて行ったあと、すぐに戻ります。それまで……死なないでくださいね!」
「善処します」
支配から逃れた剣聖は、素早く二人を抱え上げる。
黄金級上位の彼女なら、二人を運ぶことなど造作もない。
「湊さん……!」
「おじちゃん!」
沙織さんと翔太君が叫ぶ。
背中越しに、親指を立てて見せた。
大丈夫だ、と伝えるために。
舟木さんが跳躍し、戦場から離脱していく。
その背中で、翔太君が小さく呟くのが聞こえた。
「僕、怖くなかったよ。お父さんが言ってたもん。困った時は、一番強い後輩が助けてくれるって」
……一番強い後輩、か。
猪狩先輩。あんたは本当に、どこまでお人好しなんだ。
こんな俺を、そんな風に話していたなんて。
遠ざかる気配を確認し、ゆっくりと息を吐き出す。
これで心置きなく暴れられる。
バールを回し、目の前の巨悪に向き直る。
境界を蝕む魔蟲。
三年前、俺から全てを奪っていった元凶。
「よぉクソ虫。ずっと会いたかったぞぉ」
長虫が鎌首をもたげ、俺を見下ろす。
その複眼には、明確な殺意と、そしてわずかな警戒心が宿っていた。
こいつは覚えているのだ。
三年前、唯一自分に一撃を与えた「異物」の存在を。
「さぁ、決着をつけようぜ。フルマニュアルの意地、見せてやるよ」
地を蹴る。
システム補正なし。スキルなし。
あるのは、この身一つと、一本の黒鉄の棒だけ。
三十二年間の人生で積み上げてきた、泥臭い経験値の全てを叩きつける。
三年前の再演ではない。
あの時は逃げられたが、今度は逃がさない。
俺は、ただのスライムハンターじゃない。
この三年間、毎日毎日、来る日も来る日も、ただひたすらにスライムを叩き続け、核を捉える動きを極限まで研ぎ澄ませてきた。
あれは「雑魚狩り」じゃない。
いつかお前を殺すための、三十万回の「殺害リハーサル」だったんだよ。
「オラァァァァッ!!」
俺の咆哮が、ゴミ虫の巣穴に轟いた。
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