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第13話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、掘り進める

本日、18時10分も更新します。もうすぐ第1章完結なので、ぜひブクマと評価お願いします。

          ◇


 東京の空を、一陣の風が切り裂いた。

 ビルの屋上を蹴り、電線を足場にし、直線距離で上野を目指す。


 通常、西東京から上野まで電車で一時間かかる道のり。

 それを、わずか三分で踏破しようとする無謀な挑戦。

 音速に近い超高速移動だ。生身の人間なら、空気抵抗で皮膚が焼け、衝撃で内臓が潰れる速度域。


 だが、思考よりも先に体が動く。

 進行方向に薄い魔力の膜を展開。流体力学的に空気抵抗を受け流す。

 着地の瞬間には足裏の魔力を爆発させ、反作用で衝撃を相殺。


 すべて完全手動(フルマニュアル)

 システムによる「オート補正」ではない。長年の経験と、ここ数日の進化で獲得した技術の結晶が、この非常識な機動を可能にしていた。


(あと、三十七分……ッ!)


 脳裏でカウントダウンが響く。

 一分一秒が、命を削る音に聞こえた。


 不忍池の緑が見える。

 減速なし。協会支部が入るビルの屋上へ、砲弾のように着地する。

 衝撃波で空調設備がひしゃげたが、構うものか。非常階段を転げ落ちるように駆け下りる。


 自動ドアが衝撃波で吹き飛んだ。

 暴風と共に、換金所のロビーへ飛び込む。


「舟木さんッ!!」

「ひゃっ!?」


 良かった。まだ残っていた。

 カウンターの奥で残業をしていた舟木葵(ふなき あおい)が、弾かれたように顔を上げる。

 その目が、驚愕に見開かれた。

 無理もない。普段のくたびれた作業着姿ではない。

 全身から青白い魔力を噴出させ、鬼気迫る形相の怪物がそこにいたのだから。


「み、湊さん……?」

「助けてください! 緊急なんです、詳細は話せませんが――」


 早口でまくしたてる。

 事情を説明している時間など一秒もない。

 だが、舟木葵という女性は、想像以上に「できる」人間だった。


「わかりました。行きます」


 即答。

 カウンターの下にあった緊急時用のバックパックを掴み、椅子を蹴って立ち上がる。

 理由は聞かない。

 ただ、目の前の男がかつてないほど切迫していること。

 そして、その男が自分を頼ってくれたこと。

 それだけで十分だと言わんばかりの決断力。


「! ありがとうございます! さっきクイーンを倒した場所……あそこのさらに地下に行きます。俺は先に行きますから、舟木さんは装備を整えてから来てください!」

「はい! すぐに追います!」


 返事を聞くより早く、再び走り出す。

 ダンジョンゲートを通過し、転送の光に身を投じた。


          ◇


 上野 不忍池ダンジョン。

 湿った空気が充満する洞窟エリア。


 転送酔いを振り払う間もなく、駆け出す。

 地図など不要。ナビ子が視界に表示する最短ルートのラインを、ただひたすらにトレースする。


『現在速度を維持した場合、結界崩壊前に到着可能です。しかし、このペースでの連続魔力放出は、マスターの肉体が崩壊しま――』

「うるせぇ! 間に合うならそれでいいッ!」


 足元のアスファルトを爆破するように蹴る。

 爆発的な加速Gが全身を襲う。ステータスで強化された筋肉ですら、悲鳴を上げそうな負荷。


『前方、崩落エリア! 先ほどのワームの移動による余波で、地盤が緩んでいます! 回避推奨!』

「遠回りしてる暇はねぇ!」


 警告を無視し、崩れかけた回廊へ突っ込む。

 だが、そこで目にしたのは、単なる落石ではなかった。


「……なんだ、これ」


 かつて探索者たちが休息所セーフティゾーンとして使っていた広場。

 その半分が、ごっそりと消滅している。

 瓦礫の山ではない。あたかも、巨大な消しゴムで空間ごと削り取られたかのような断絶。

 焚き火の跡も、岩壁も、そこに落ちていたであろう錆びた剣も、断面を晒して「無」になっていた。


次元震ディメンション・クエイクです!』

 ナビ子の声にも、焦燥が混じる。

『ワームは物理的に穴を掘ったのではありません。座標ごと空間を喰らって地上へ移動しました。その際の空間の歪みが、時間の経過と共に顕在化しています!』

「通った直後じゃなく、今になって亀裂が広がってるってことか!」

『はい! システムの修復機能システムが追いついていないのです!』


 超音速機が通り過ぎた後に衝撃波が届くようなものか。

 奴が地上へ向かった際に刻まれた「次元のトンネル」。

 俺は今、崩壊を始めたそのトンネルを逆走し、最深部を目指している。


 頭上から、数トンの岩塊が雨のように降り注ぐ。

 だが、今の俺にとって、それは障害ですらない。


「邪魔だッ!!」


 回避行動など取らない。

 落下してくる岩塊に対し、速度を乗せたまま魔力障壁を展開して突っ込む。

 衝突音。

 岩が粉々に砕け散り、土煙を突き破って直進する。


『直進、次は地底湖エリアです! ……警告、生態系に異常!』


 視界が開け、広大な地底湖が現れる。

 黒々とした水面が不気味に波打ち、そこから殺気が膨れ上がる。


「グルァッ!」「ギャウッ!」


 飛沫を上げ、巨大な半魚人や水棲モンスターたちが次々と飛び出してくる。

 数は多い。だが、止まる理由にはならない。


「邪魔だッ!!」


 減速せず、水面へと足を踏み出す。

 着水の瞬間、足裏から放出した魔力が水を叩き、瞬間的に硬化させる。

 水面を蹴るたびに水柱が上がり、その衝撃で飛びかかってきたモンスターたちが空中に弾かれていく。


 襲いかかる暇さえ与えない。

 神速の移動術は、それ自体が広範囲への攻撃手段と化していた。


『残り時間、十六分! 中間地点突破!』

「まだだ……もっと速く!」


 心臓が早鐘を打つ。

 肉体の疲労ではない。肺を焼くような焦燥感。


 三年前の後悔が、亡霊のように背中を追いかけてくる。

 『頼んだ』と言った先輩の声。

 守れなかった約束。

 もし、今回も間に合わなかったら。

 もし、また「手遅れ」だったら。


『警告! 前方、オークの群れを確認! 三十体以上! 道を塞いでいます! ロード級の個体が2体混ざっています』


 警告と共に、通路の奥から武装したオークの大群が現れる。

 黄金級(ゴールド)下位に相当するオークロードが二体。

 それらが率いる精鋭部隊が、完全な布陣で待ち構えていた。


「どけええええええッ!!」


 初撃。

 すれ違いざま、黒鉄のバールで先頭のオークの頭蓋を粉砕する。

 だが、景色が変わらない。

 倒した端から、次なるオークが穴を埋めるように湧き出してくる。


「グルルァッ!」

「ガアアアッ!」


 通路の幅いっぱいに展開された、緑色の筋肉と鋼鉄の鎧。

 それが何層にも重なり、生きた城壁となって立ちはだかる。

 一人倒すたびに、後ろから二人が詰め寄ってくる。

 斬り伏せた死体すら、彼らにとってはバリケードだ。

 進めない。物理的に、空間が「肉」で埋め尽くされている。


『マスター! 残り時間、十六分! このままでは……!』

「わかってる! くそッ、こいつら!」


 焦りが手元を狂わせる。

 強引にこじ開けようとバールを振るうが、何重にも重ねられた盾と鎧に阻まれ、決定打にならない。

 ただの雑魚なら、吹き飛ばして終わりだ。

 だが、こいつらは死を恐れていない。

 自分の命を「ただ敵を消耗させるためのチップ」として使い捨てている。


「オオオオオオッ!」


 後方から、ロード級の勝ち誇ったような咆哮。

 指揮官である二体のロードは、決して前線に出てこない。

 安全圏から配下を操り、俺を疲弊させることだけに徹している。

 賢い。そして、狡猾だ。


 ――間に合わないかもしれない。


 最悪の想像が脳裏をよぎる。

 この肉の壁を一枚一枚剥がしている間に、結界が砕ける音が聞こえるのではないか。

 沙織さんたちが、ワームの胃袋で溶かされる光景が、現実になるのではないか。


「ふざけるな……ッ!」


 絶望が、どす黒い怒りへと変わる。

 理性が焼き切れる音。

 丁寧に戦っている場合じゃない。

 道がないなら、作るまでだ。

 たとえ、この洞窟ごと崩落させることになろうとも。


「調子に乗るなよ、畜生ごときがァッ!!」


 バールを地面に突き立て、ありったけの魔力を足裏に集中させる。

 狙うのはオークではない。

 奴らが立っている「地面」そのものだ。


「消え失せろオオオオッ!!」


 足裏から魔力の奔流を叩き込む。

 岩盤を破壊するのではない。衝撃を「波」として伝播させる。

 地面を伝わった振動が、密集するオークたちの足元で一斉に炸裂した。


「ガァッ!?」


 予期せぬ突き上げ。巨大な肉の壁がバランスを崩す。

 将棋倒しのように折り重なり、一瞬だけ防御陣形に隙が生まれた。


 安全圏にいたロードたちが、目を見開いて驚愕する。

 その隙を、見逃すはずがない。

 バランスの崩れたオークを足場にし、また別のオークの頭にバールを突き刺して加速。

 混乱する雑魚の頭上を飛び越え、ロードの目の前へ着地する。


 反応して右のロードがメイスを振り上げる。

 その筋肉の収縮、重心の移動、視線の揺らぎ。すべてが手に取るようにわかる。

 遅い。

 メイスが振り下ろされる軌道の内側へ、滑り込むように潜り込む。

 ゼロ距離。

 魔力を限界まで圧縮した右掌を、無防備な鳩尾(みぞおち)へと叩き込んだ。


「が、ぁ……ッ!?」


 掌から放たれた衝撃波が、分厚い脂肪と筋肉を貫通し、内臓を破砕して背中へと突き抜ける。

 巨体がくの字に折れ曲がり、口から大量の血と臓物を吐き出して沈黙した。


「グルァアアアアッ!!」


 相棒の死に激昂したもう一体が、背後から戦斧を振り下ろす。

 振り返る必要すらない。

 背中で殺気を感じ取ると同時に、沈みゆく右のロードの肩を蹴って宙返りする。

 空を切る戦斧。

 空中で身体を捻り、遠心力を乗せた黒鉄のバールを、残るロードの喉元へ叩きつけた。


 骨が砕ける鈍い感触。

 喉仏を粉砕され、気道を潰されたロードが、声にならない空気を漏らして仰向けに倒れる。

 痙攣する巨体を見下ろす暇もなく、次の一歩を踏み出していた。


 ドロップ品? 経験値?

 どうでもいい。

 今はただ、一秒でも早く最深部へ。


『残り時間、五分! 結界強度、低下しています!』

「クソッ、保たせろ! 俺の魔力を持っていけ!」


 遠隔で結界に魔力を供給しつつ、さらに脚力を強める。

 血管が切れそうなほどの負荷。

 だが、止まるわけにはいかない。


          ◇


『残り二分! 到達します!』


 ナビ子の声が響く。

 驚異的な速度で最深部、かつて『人民を支配し蟻の女王』がいた空間へ辿り着いた。


 広大な地下空間。

 だが、蟻たちを駆逐したとき同様に、そこにワームの姿はない。

 あるのは、崩落した天井と、主を失って朽ち果てた玉座のような岩塊。

 かつて『人民を支配し蟻の女王』が君臨し、そして俺の手で葬られた場所。

 静寂だけが、墓標のように佇んでいる。


「ハァ……ハァ……ッ! ヤバい、時間がない! どこだ!」


 叫ぶ。

 汗が滝のように流れる。

 ナビ子の予測では、結界の限界まであと数分しかない。


『そこです! 十二時の方向、壁に見えますが空間歪曲の反応があります! そこをぶち抜けば、ワームの巣穴(亜空間)に繋がるはずです!』

「そこかッ!」


 迷わず、指し示された壁へ向かって跳躍した。

 全魔力を右拳に集中させる。

 岩壁だろうが、空間の壁だろうが、すべて粉砕してこじ開ける。


「開けろオオオオッ!!」


 拳が岩盤にめり込む――その前に、圧縮された魔力が物理的干渉を引き起こした。

 岩が砕けるのではない。融解し、蒸発し、消失する。

 一直線に穿たれたトンネルの断面は、高熱で赤熱し、溶岩のようにドロリと垂れ落ちていた。


 岩壁が消滅し、その向こう側に隠されていた空洞が露わになる。


 ――だが。


 その奥に広がっていたのは、ただの空洞だった。

 湿った土の匂いがするだけの、何もない空間。

 巨大なワームの姿も、沙織さんたちの気配もない。


「……は?」


 動きが止まる。

 血の気が引いていく音が聞こえた気がした。


「いねぇぞ! どういうことだ、ナビ子!」


 怒鳴り声が、空虚に反響する。


『座標ロスト……エラ……Error……そんな、ありえません……!』


 視界のウィンドウが激しくノイズに覆われる。

 常に冷静沈着なナビ子の音声に、人間のような「震え」が混じっていた。


『計算では……ここに……! なんで……!?』

「おい、まさか」


 手が震え出す。

 嫌な汗が背筋を伝う。


『マ、マスター、すみません……! 座標が、ズレて……いえ、これは……』


 ナビ子はパニックに陥っていた。

 自らの演算ミスで、マスターの大切な人を殺してしまうかもしれない。

 その恐怖が、AIであるはずの彼女の思考回路を真っ白に染めていく。


 残り時間:四十五秒。

 結界の崩壊まで、一分を切っていた。


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