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第12話 完全手動(フルマニュアル)おじさんは、再会する

 死のあぎとが閉じる寸前。

 沙織たちの頭上に、一条の閃光がはしった。


「――ッ、間に合えええええええッ!!」


 大気を引き裂く轟音とともに、青白い光の塊が二人の周囲に展開される。

 それは攻撃ではない。

 湊景明(みなと かげあき)がこの一瞬で弾き出した、唯一の「生存解」。


(殴れば衝撃で死ぬ! 斬れば瓦礫で潰れる! 止めれば慣性でミンチだ!)


 巨大すぎる質量差。

 高速で突っ込んでくるダンプカーの前に生身の人間がいるようなものだ。無理に止めれば、守るべき対象がひき肉になる。

 ならば、選択肢は一つ。

 二人が「食われること」を前提に、その内部で生かすための絶対防御。


 魔力を限界まで練り上げ、物質化寸前の密度で二人の周囲に固定する。

 イメージは深海探査艇の殻。

 数千トンの水圧にも、溶解液の酸にも耐えうる、純粋魔力の障壁。


「《再結界リ・バリア》ッ!!」


 湊が吠えた瞬間。


 世界が、閉じた。

 光の殻が展開されるが早いか、漆黒の闇が視界を覆い尽くす。

 圧倒的な質量の圧殺。

 何かが潰れる生々しい破砕音が響き――そして、静寂だけが残った。


          ◇


 静寂。

 舞い上がった粉塵だけが、雪のように降り注いでいる。


 アスファルトには、半円形に抉り取られた巨大なクレーターだけが残されていた。

 沙織さんと翔太君の姿は、もうどこにもない。


「あ……」


 立ち尽くす。

 伸ばした右手は、空を掴んだまま震えている。


 脳裏に焼き付いているのは、三年前の光景だ。

 あの時もそうだった。

 届かなかった手。

 地面に空いた穴と、二度と戻らなかった背中。


「クソッ……!!」


 足元のアスファルトを拳で殴りつける。

 亀裂が走り、破片が飛び散る。

 ダンジョンの外でも強化された拳は、わずかに破片をまとわりつかせるだけで、骨一つ折れはしない。

 その頑丈さは、贖罪しょくざいとしての痛みすら許してくれないようで、今の湊には何よりも呪わしかった。


「またかよ!! また、俺は……ッ!」


 喉の奥から、焼けつくような嗚咽がせり上がる。

 何のために力をつけた。

 何のために、この三年間スライムを狩り続けてきたんだ。

 一番守りたかった人の家族すら守れないなら、この力になんの意味がある。


『マスター!』


 絶望に沈みかけた意識を、凛とした声が叩いた。

 視界の端に、ナビ子のホログラムが割り込む。

 普段の飄々とした表情ではない。真剣そのものの眼差しが、湊を射抜いていた。


『マスター!! 呼吸をしてください!』


 警告音が脳内に鳴り響く。


『バイタル低下! 思考ノイズ増大! ……聞いてください、あの一瞬、攻撃を選択していたら生存率はゼロでした。ですが、貴方が選んだのは《再結界》……生存確率は100%です!!』


「……は?」


 虚ろな目でナビ子を見上げる。

 生存確率、100%?

 あんな化け物に呑まれて?


「気休めはいい。俺は見たんだ。沙織さんと翔太君が呑まれるのを……」

『気休めではありません! これは演算結果(じじつ)です!』


 ナビ子が強く言い放つ。

 目の前に、数式とグラフが高速で流れるウィンドウが展開された。


『もしマスターがあの瞬間、攻撃を選択していたら、その余波で二人は即死していました。物理的な防御壁を作ったとしても、ワームの突進エネルギーによる慣性Gで内臓破裂していたでしょう』

「……っ」

『ですが、マスターは《再結界》を選んだ。流体として衝撃を受け流し、かつ溶解液を遮断する球体結界を。これこそが、生存率をゼロからつなぎ止める唯一の「正解」だったんです!』


 ナビ子の言葉に、瞳にわずかに理性の光が戻る。

 そうだ。俺は、守るためにあれを作った。

 ただの防御じゃない。魔力を常に循環させ、外部からの干渉を中和する、完全手動(フルマニュアル)の俺だけができる結界だ。


『それに、忘れたんですか?地上に出たら原種と言えども、今のマスターにとっては「格下」です!ダンジョン内ではムリでも、体内構造、消化器官の配置、溶解液の成分……すべてスキャンができました』

『演算した結果によるとマスターの魔力密度なら、あの個体の胃酸濃度に対して最低でも四十分は持ちます』


 ナビ子が胸を張る。


『相手はたしかに原種ですが、しょせんは「虫」です。私のサポートとマスターの火力があれば、胃袋をこじ開けることなど造作もありません!』

「……四十分」


 呟きが漏れる。

 長い時間ではない。だが、絶望するにはまだ早い時間だ。


『奴は獲物を捕らえたことで、消化のために安全圏へ退避しようとしています。移動先は特定済み。亜空間転移の痕跡を追跡しました』

「場所は?」

『上野 不忍池しのばずいけダンジョン。さきほど、マスターが『人民を支配し蟻の女王』を倒した、あの場所のすぐそばです』


 ――上野。

 あの女王蟻のいた場所か。


(そうか……そういうことかよ)


 点と点が繋がる。

 近衛兵がおらず、あの女王蟻が妙に弱かった理由。

 そして、このワームが異常な行動力を発揮してここまで来た理由。

 奴は女王を喰らい、その力を取り込んだ上で、さらに餌を求めていたのだ。


「……消化不良で腹壊させてやる」


 立ち上がる。

 瞳から、感情の光が消え失せた。

 深海のように深く、冷たい凪。

 だがその奥底には、世界そのものを焼き尽くすほどの灼熱の溶岩が流れている。


「行くぞ、ナビ子。ルートを出せ」

『了解です、マスター! あのクソ虫に、食べちゃいけないものを食べたってことを教えてやりましょう!』


 普段なら「言葉遣いが悪い」とたしなめるような台詞。

 だが、今の湊には頼もしく響いた。


「言うようになったじゃねぇか!」


 ワームが潜った地面の穴は既に塞がっている。

 だが、入り口は分かっている。


「《身体強化ブースト・脚部》」


 魔力を下半身に集中させる。

 システムの補正ではない。

 自らの意志で、筋肉の一本一本、細胞の一つ一つに魔力を浸透させ、バネのように収縮させる。


 足元のアスファルトが悲鳴を上げ、融解を始める。

 込められた魔力の密度が高すぎて、物質が耐えきれずにプラズマ化しているのだ。


「――胃袋ごと、引きずり出してやる」


 爆音。

 身体は砲弾となって、上野方面の空へと弾き飛ばされた。

 ビル風を切り裂き、屋上から屋上へと魔力の足場を蹴って加速する。


 待ってろ、猪狩先輩。

 あんたの家族は、今度こそ俺が守り抜く。


 普段の冴えない姿からは想像もつかない機動で、一直線に戦場へと向かう。

 目指すは不忍池ダンジョン、中層部、女王の(ねぐら)


読んでいただきありがとうございます。 ここから物語が大きく動きます!


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