第47話 それから10年後、ロッテ=ナントリーヌ視点
◆銀のまどろみ、金のぬくもり◆
―ロッテ=ナントリーヌ視点―
馬車の揺れが、夢の輪郭を曖昧にしていく。
見ていた夢は、甘くもなく、苦くもなく――けれど、確かに胸を締めつけるものだった。朝の光が揺れるカーテン越しに差し込み、まぶたをくすぐった。
わたしは、ゆっくりと目を開ける。
横には、眠たげに眼鏡をずらしたマルセルの姿。金色の髪は寝癖で少し跳ねていて、真面目な顔立ちには似合わないくらい、ほのかに頬を染めている。
「おはよう、ロッテ。……どんな夢を見てたの?」
マルセルは、そう言ってわたしの髪にそっと触れた。優しく、まるで今でもあの夜の続きのように。
わたしは少しだけ目を伏せて、言うか迷ってから答える。
「……あなたと別れて、王命どおりに……ダンク侯爵と結婚していた夢よ」
静かに言ったつもりだったのに、声が少し震えていた。わたしはそれを誤魔化すように視線を窓の外へと向けた。遠くに見えるのは、あの懐かしいネーデラの丘陵。
マルセルは、ふっと笑った。
「それならボクは、駆け落ちする予定だった場所の近くで、ロッテからの手紙を握りしめて泣いていたのかな」
茶化すような口調。でも、その奥にあるのは、あのときの本気の覚悟。わたしも、つい、笑ってしまった。
「まったく……泣き虫の侯爵様なんて、国の威厳が泣くわね」
「ボクが泣いたのはロッテだけのせいだよ」
視線が合って、二人して笑った。馬車の中に柔らかな空気が満ちていく。
それは、美形同士の笑み。……他人が見たら、思わず息を呑むような瞬間だったのかもしれない。でも、わたしたちにとっては、もう日常のひとつだった。
「おばあさまに会えるの?」
小さな声が聞こえて、わたしは膝の上の毛布をめくる。そこには、淡い銀髪を持つ少女が、眠たげに目をこすっていた。
「もちろん、会えるわよ。おじい様も、おばあ様も、みんなあなたたちに会いたがってるもの」
「やったあ!」
ぱっと笑顔になるメイスィエ――わたしたちの娘は、9歳になったばかり。少し気が強いけれど、どこかわたしに似ていて、よく気がつく子だった。
「ねぇママー、ネーデラってどんな国?」
今度は、隣で寄り添う少年――7歳になるフェリクスが聞いてきた。彼は父親似の金髪に、少しだけ憂いを帯びた紫の瞳。いつもローブのすそを引いてくる甘えん坊だ。
「お花がいっぱい咲くの。春になると、城下町には桃の花が咲いてね……あ、ちょうど今くらいが花祭りの頃かしら」
「おはなみ、するの?」
フェリクスが目を輝かせる。マルセルは笑って頷いた。
「するよ。王都では祭りにあわせて、魔法学院も外遊先として開放してくれるって聞いた。きっと君たちにも楽しいことがたくさんあるはずだよ」
わたしは、そっと息をついた。
10年ぶりのネーデラ王国。――思い出が詰まった場所。泣いた日も、笑った日も、あの学院の中庭に置いてきたままだ。
「……学院、変わってないかしら」
ふと、呟いたわたしに、マルセルはそっと眼鏡の奥の視線を向けてきた。
「変わってるさ。でも、きっと……一番大事なものは、変わらない。ボクとロッテが出会ったあの頃みたいにね」
わたしは、ふっと目を閉じて、そっとマルセルの肩に寄りかかった。
車輪の音が、ガタンと軽く跳ねる。窓の外には、遠くに城の尖塔が見えた。
もうすぐ帰る――ネーデラ王国へ。わたしたちが、別の未来を選んだその場所へ。
「パパ、ママ、おはなみのとき、おべんとうもっていこうね!」
「いいわね。……おばあ様のおにぎりが恋しいわ」
笑顔の重なった車内に、明るい光が差し込んできた。
それは――確かに、幸福の風景だった。夢なんかじゃない、現実の。
わたしたちは、あの日からずっと、いまを選び続けてきた。間違いじゃなかったと、そう思えるだけの、かけがえのない家族とともに。




