第45話 終わりの鐘は、地獄の果てに響く
終わりの鐘は、地獄の果てに響く
その日、王都ルメリアに異様な緊張が走っていた。
貴族街の中心、銀白の塔と呼ばれる裁定院に、まばゆい陽光が差し込む中、一台の黒塗りの馬車が音もなく門をくぐる。その車内には、赤髪の男と、銀髪の令嬢が並んで座っていた。
「……とうとう、ここまで来たのね」
ロッテ=ルダムデンは静かに呟いた。眼鏡越しの紫の瞳は、どこまでも冷ややかで、凛としていた。
「ええ。ここからは、法の場です。私情も、情けも、いらない。彼らが何を選んだか……王家が正しく判断するでしょう」
ダンク=ユーウエル侯爵の声には、一片の揺らぎもなかった。
法務局を通じて提出された一連の証拠――名誉毀損、偽造ビラのばら撒き、貴族子女への直接的な侮辱行為、さらには過去の借財を盾にした脅迫未遂。すべてが整えられ、今日、裁定院に持ち込まれる。
同じ頃――
「……で、出頭……命令……?」
旧フランメ商会の一角にて、バーク=ユトレヒトは震える手で王家の印章が刻まれた封書を握りつぶしかけていた。封筒の中身は簡潔だった。
『バーク=ユトレヒト、アイン=トホーフェン殿。貴殿らの行為につき、名誉毀損および民間秩序攪乱の疑いにより、王都裁定院へ出頭を命ずる』
「……マジかよ……これはもう……遊びじゃねえ……」
アインも隣で膝を抱えていた。蒼白な顔に、かつての気位はもうない。
「バーク様……ロッテが、王家を動かしたんだよね……もう、わたしたち……」
「うるせぇ! 誰が負けるかよ……っ」
怒鳴るように叫ぶその声も、どこか虚ろだった。帳面に描かれた“再起の計画”も、もう使い物にならなかった。情報屋は雲隠れし、協力していた商人たちは尻尾を巻いて逃げた。残ったのは、わずかな金と、壊れかけた名誉だけ。
「出頭しなけりゃ……?」
アインが弱々しく聞いた。
「……逃げても無駄だ。王家の裁定に逆らえば、完全に“反逆者”扱いされる。追放どころか……下手すりゃ、魔物の掃討部隊送りだ」
バークの肩が震えた。
「……けど、行くしかねぇだろ。最後まで、俺様は“騎士だった家の誇り”ってやつを見せてやる」
アインは目を伏せた。すでに、涙も出なかった。
***
裁定院――
王家法務官の言葉が、広間に響き渡る。
「被告、バーク=ユトレヒト、アイン=トホーフェン。貴殿らは、侯爵家の未成年子女に対する悪質な風評中傷を試み、名誉毀損を構成する証拠が確認されました。更に、王都における民間秩序の撹乱、及び王命貴族に対する妨害行為を試みたことにより……」
淡々と読み上げられる罪状。その一つひとつが、ロッテの胸に突き刺さった。だが、彼女の目は一度たりとも逸れなかった。
「よって、以下の裁定を下す」
場の空気が張り詰めた。
「慰謝料として、ルダムデン伯爵家に対し、当初請求額の倍額である三百レグを即時返還の上、両名は王都追放処分。併せて、公共奉仕として北辺鉱山における強制労働三年の刑に処す」
――どよめきが、広間に満ちた。
バークは顔を歪めていた。歯を食いしばり、何かを叫びかけたが、衛士に両腕を拘束される。アインは、もう声も出せなかった。ロッテの姿を見て、ただ膝から崩れ落ちた。
「……ざまあ……されるの、あたし……本当に……」
その声は小さく、誰にも届かなかった。
***
判決の翌朝。ユーウエル侯爵邸の庭で、ロッテは朝日を浴びながら一人、ベンチに座っていた。メイが花を摘みながら、彼女の膝に寄り添ってくる。
「ねえ、ママ。あの人たち、もういないの?」
「ええ。王都から、遠くに行くことになったわ。……たぶん、もう二度と会うことはないと思う」
「……そうなんだ。ちょっと、かわいそう」
メイは、ふわりと笑った。
「でもね。ママが泣かなくなったなら、メイはそれでいいの」
ロッテは驚いたようにメイを見て、そっとその小さな体を抱きしめた。
「ありがとう、メイ。……わたし、強くなるわ。あなたのために」
冷たい泥濘の中に咲いた罠は、ようやく終わりを告げた。
ロッテの新たな日々は、これから始まる――




