第43話 アインとバークの復讐
汚れた策謀、甘い復讐の果実
王都の昼下がり、陽光に照らされた中央通りを、アイン=トホーフェンは顔を隠すように歩いていた。
貴族の娘が一人で下町を歩くなど、本来なら考えられないことだろう。だが今のアインには、もう失うものなどなかった。
「――お嬢さん、今日はまた豪勢な格好でいらっしゃったねぇ」
角の路地裏にある古本屋の裏口。そこで待っていたのは、王都でも噂好きで知られる、第三報道ギルドの記者・セロだった。灰色の帽子にしわくちゃのコート、そして狡猾な目。
「……話は、覚えてくれてるわよね?」
「ああ。ルダムデン家のお嬢さんが、卒業式の夜に“とある男”と関係を持ったって噂。お嬢さんの口から確証さえ取れれば、こっちはすぐにでも“報道”してやるさ」
アインは唇を噛んだ。その男の名を出すのが、怖かった。けれど――ロッテに、勝ちたかった。
「あたしが知ってるのは……その男が、隣国フリューゲンからの留学生だったってこと。名前は、マルセル=ナントリーヌ。眼鏡をかけた、伯爵家の三男よ」
セロの目が細くなった。
「ほぉ……そりゃまた、面白い繋がりだな。ルダムデン家と、ナントリーヌ家。どっちも王命に関わる名家だ。もしこの話が本当なら……王都中が大騒ぎさ」
アインの胸が高鳴る。けれど、それは期待ではなく、焦りと恐怖の入り混じった混沌だった。
「……で? 本当にあったのかい? 二人の“夜の契約”ってやつが」
「……ええ。あたしの目の前で……ってわけじゃないけど。あの夜、ロッテが学院を出てから、マルセルと酒場で飲んでいたのを見たの。すごく酔っていて……そのまま、彼の宿に入っていったって」
証拠なんてなかった。ただの推測にすぎなかった。けれど、アインの言葉には、不思議な確信があった。あの夜のロッテの顔を、今でもはっきり覚えている――悔しそうで、でもどこか吹っ切れたような、妙に女らしい顔だった。
「……証拠は、まだない。でも、記事にできるような“火種”にはなるだろ?」
「火種ねぇ。まあ、燃えそうな木は揃ってる」
セロは口角を上げて笑った。
「だが、お嬢さん。覚悟はあるのかい? この記事が出れば、ナントリーヌ家も黙っちゃいない。王命で結婚したルダムデン嬢は、今やユーウエル侯爵家の奥方様だ。敵に回すには、あまりに重い」
「……ロッテは、あたしから全部を奪ったのよ。ハーグ様も、未来も、名誉も。許せるわけ、ないじゃない」
アインの声は震えていた。でも、それは恐れではなかった。怒りだった。焼けつくような嫉妬と、裏切られた少女の哀しみが、その胸に渦巻いていた。
「なるほど。いいねえ、そういう女の顔。記者冥利に尽きるってもんだ」
セロはアインの手に、小さな紙片を渡した。それは王都で活動する“情報屋”の紹介状だった。
「こいつは下級貴族出身で、夜会の下働きなんかも請け負ってる。うまくやれば、マルセル坊ちゃんの“宿”の出入りなんかも押さえてたかもな」
「ありがとう……セロさん。必ず、何か掴んでみせる」
その目には、かつての貴族の誇りはなかった。ただ、泥濘に咲いた一輪の毒花のような決意が宿っていた。
***
その夜。アインはバークの倉庫部屋に戻り、情報屋と接触した成果を報告していた。
「……で、その情報屋ってやつは、“女が宿から出ていくのを見た”って証言したんだな?」
「ええ。桃色のドレスを着た細身の女。髪型も背丈も、完全にロッテ=ルダムデンだったって」
「……クク。いいぞ、アイン。これでこっちにも“武器”ができた。どんなに上等な女でも、男と寝た話を暴かれりゃ、平民連中は面白おかしく噂するさ」
バークは、焦げた机の上にある“再起計画”の帳面に、その情報屋の名前を記した。
「俺様たちは“悪”なんかじゃねぇ。正当な報復をしてるだけだ。上級貴族どもにだって、好き勝手させていい道理なんかない」
アインは、彼の横顔を見つめながら、ふと胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
(……本当に、これでよかったのかな)
ロッテを追い詰めることで、ハーグが戻ってくるわけではない。名誉が回復されるわけでもない。けれど――それでも、彼女は進むしかなかった。
今さら、引き返せるわけがないのだ。
***
数日後、王都で最もよく読まれる報道紙《王都告示録》の一面に、次の見出しが踊った。
「ルダムデン令嬢、卒業式の夜に“密会”か!? 隣国の留学生との“情熱の一夜”の噂」
ロッテの名が、王都中に広まった。新たなざわめきが、冷たい伯爵令嬢の人生を包み込んでいく。
だが――それは、彼女たちを待ち受ける“本物の報い”の、ほんの序章にすぎなかった。




