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第3話 マルセルの秘密とは?

『蒼月亭、恋の幕開け』

 木造の酒場《蒼月亭》は、どこか懐かしい香りがした。ランプの明かりがゆらゆらと揺れて、木の柱には歴代の卒業生たちの落書きが彫られている。


 二人は隅の席に腰を下ろしていた。ロッテは片足を椅子に引き寄せ、痛む足首を気遣いながらも、グラスに注がれたルビー色の魔酒を見つめていた。


「乾杯、だね」


「……ですね。卒業、おめでとうございます」


「ありがとう。……でも最悪の卒業式だったけど」


 ロッテが自嘲気味に笑ってグラスを口に運ぶ。甘くて、強い香り。すぐに頬が火照ってくる。


「こんなときぐらい、酔っぱらっても……いいでしょ?」


「はい。たまには、いいと思います。……ボクも、飲んでいいですか?」


「もちろん。おごってるんだし、飲まなきゃ損だよ」


 マルセルは控えめに礼を言い、グラスを手に取った。一口。二口。最初はぎこちなかった彼の動きが、酒の力で少しずつ柔らかくなっていく。


「うん、これは……結構きますね。頭の奥がポワッとします」


「ふふ、かわいい」


「か、かわ……?」


「マルセルってさ、意外と天然?」


「えっ、そんなこと……ないと、思いますけど……」


 酔いが回るにつれて、ロッテの顔が赤くなっていく。やがて、彼女の目に涙が滲み始めた。


「……あんなふうに、人前で婚約破棄されるなんて思わなかった……わたし、恥ずかしくて、情けなくて……っ」


 グラスを握りしめ、唇を噛む。その姿は、強がり屋で、でも誰よりも頑張ってきた証のように見えた。


「……ロッテさん」


「ねえ……マルセル……どうして眼鏡、かけてるの?」


 唐突な質問だった。けれど、ロッテの瞳は潤んでいて、どこか子どものように純粋だった。


「えっ、それは……」


「ねえ、見せて。ふつうに気になる。だって、マルセルって、ちょっと隠してるっぽいし」


「ちょ、ちょっと、それは――っ」


「えいっ!」


 彼の制止も聞かず、ロッテはくいっと手を伸ばし、マルセルの眼鏡を奪い取った。


「うわっ……!」


 そして、しばし固まる。ロッテの表情が変わった。


「……えっ、なにこれ……マルセル、やば……」


「やば、って……?」


「めちゃくちゃイケメンじゃん!! え、詐欺じゃん!」


 ロッテの叫びに、酒場の数人がこちらをちらりと見る。マルセルは慌てて身を縮めた。


「しーっ! お願いですから、あまり騒がないで……」


「だって! すごい美形なんだもん、えっなにこれ、ずるい……!」


 ロッテは興奮気味に、彼の顔をまじまじと見つめる。その視線に、マルセルはますます真っ赤になった。


「その、理由があるんです。ボク……実は、隣国フリューゲンで……女性にストーカーされまして」


「えっ、まじで?」


「伯爵家の三男なんですけど、顔が原因で……それで、公爵家の令嬢に目をつけられてしまって。ずっと付きまとわれて、断ろうとしても……地位が違いすぎて、無理でした」


「伯爵家なのに、断れなかったの?」


「……相手、公爵家ですし。しかも父の事業に支援してる家だったので……無下にできず……。それに、まったく好みじゃなかったです」


「……じゃあ、わたしは?」


「え?」


「わたしなんか、どう? ねぇ、わたし……美人じゃない?」


 ロッテは自分の眼鏡を外し、ふっと髪をかき上げる。月明かりのような銀髪が揺れて、赤く染まった頬に、大きな瞳。酒の力もあり、普段の堅さはどこへやら、今の彼女はまるで別人のように魅力的だった。


「……っ、ロッテさん……反則です、そんなの」


「ふふっ、見て、マルセル、完全に照れてるー」


「もう……責任、取ってもらいますよ?」


「え? なにそれ、ちょっとキザっぽい」


「……ロッテさんがあまりにも美人すぎて、ボク、理性が壊れそうです」


「おお、ナンパっぽい! マルセルがナンパしてる!」


「いえ、ナンパじゃなくて、本気の賛美です。女神に出会ってしまった気分ですから」


「出た、キザ台詞~」


 二人は笑い合い、グラスを何度も重ねた。気づけば、店の時計は夜を越えかけている。


 ロッテがふと、グラスを見つめながらぽつりと呟いた。


「ねぇ、今夜……帰りたくないな」


 マルセルは数秒、言葉に詰まった。そして真面目な顔で、眼鏡を奪われたまま彼女を見つめる。


「……じゃあ、ボクの部屋に、来ますか?」


「え?」


「酔ってるロッテさんをこのまま帰すわけにはいきませんし。……安心してください、変なことはしません。たぶん」


「“たぶん”ってとこが、いちばん信用ならないんだけど?」


「いや、でも正直に言えば、ロッテさんが可愛すぎて……危ないです」


「ふふっ、じゃあ危ない賭けしてみる?」


 そう言ってロッテは立ち上がり、よろける身体をマルセルに預けた。


 彼はそっと彼女を支えながら、酒場をあとにする。


 蒼月の夜に、ふたりの影が並んで伸びていった。


 そして、異国の街の片隅で――恋の幕が、そっと上がった。

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