第24話 ロッテ、メイを連れて帰宅
『朝の陽ざしと、小さな手』
柔らかな朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中に温かな光が広がっていた。
ロッテは、まどろみの中でゆっくりと目を開けた。視界の中に最初に映ったのは、彼女の腕にぎゅっと抱きついたまま、静かな寝息を立てる少女の姿だった。
「……メイ」
そう呟くと、ロッテの胸の奥がきゅうっとなる。まるで、夢の続きをまだ見ているような感覚だった。
その髪は、陽の光を受けて白銀にきらめき、小さな横顔には、無防備な安心が浮かんでいた。
(昨夜は……夢を見た。姉さまが、笑っていた)
レッカがメイスィエを抱きしめ、「ありがとう」と言ってくれた夢。
思い出すだけで、胸が熱くなる。
小さなぬくもりを、そっと抱き寄せた瞬間——
「……ん、ママ……?」
かすれた声とともに、メイスィエがぱちりと目を開けた。まどろんだ瞳の中には、まだ夢の名残が揺れている。
「おはよう、メイスィエ。よく眠れた?」
「……うん。ママがいてくれたから」
ロッテは笑って、彼女の髪を撫でた。
「“ママ”って呼ぶの、ほんとにいいの?」
「うん。でも……ママには、メイって呼んでほしいな」
「え?」
「ママが“メイ”って呼んでくれると、あったかい気持ちになるの……ほんとのママみたいで……」
その言葉に、ロッテは言葉を失った。
この子は、どれほど寂しかったのだろう。誰にも甘えられず、誰にも思いを打ち明けられず、ただ小さな胸に悲しみだけを詰めこんで——
「……わかったわ、メイ」
ロッテは微笑んで、もう一度その名前を呼んだ。
「おはよう、メイ」
その一言に、メイスィエの顔がぱあっと輝いた。
「おはよう、ママ!」
ふたりは笑い合いながら、ゆっくりと起き上がった。
***
朝食は、広々とした屋敷の食堂で用意されていた。
食卓には焼きたてのパンや、ふわふわの卵料理、フルーツの盛り合わせが並び、香ばしい紅茶の香りが立ちのぼる。
「メイ、お口にクリームついてるわよ」
「えー、どこどこ?」
「ここ。動かないで……はい、取れた」
ロッテがそっと拭いてやると、メイはくすぐったそうに笑った。
「ママ、やさしい~」
「……うふふ、もう」
ふたりのやり取りを、少し離れた席で見ていたダンク=ユーウエル侯爵は、穏やかな表情で紅茶を口にした。
彼の赤髪が朝の光に映えて、黒い瞳が静かに細められる。
「ロッテ嬢。メイが、あれほど懐いたのは初めてです」
「わたしの方こそ、びっくりしています……でも、なんだか、ほっとけなくて」
ロッテは照れたように微笑んだ。まるで、自分の中の何かが変わり始めているのを、まだうまく言葉にできないように。
そんな彼女の様子を、ダンクは真面目な瞳で見つめた。
「今朝、メイがこう言いました。“ママと一緒におばあちゃんに会いたい”と」
「……わたしと、ルダムデンの屋敷へ?」
「ええ。無理は言いません。ですが……よければ、連れて行っていただけませんか」
「……もちろん、構いません」
ロッテはすぐに頷いた。
そのとき、メイが椅子から身を乗り出し、嬉しそうに声を上げた。
「やったぁ! ママとママの家に一緒にお出かけだ!」
「ママは……わたし、だけど」
「うんっ、ママはママだもん!」
ロッテは思わず吹き出しそうになって、慌ててお茶を飲んだ。
まったく、こんなに朝から笑うなんて、自分でも驚いてしまうくらいだった。
***
玄関前には、すでにルダムデン家へ向かう馬車が用意されていた。
立派な黒い車体に金の紋章が刻まれ、御者が丁寧に一礼して待機している。
「さあ、メイ。そろそろ行きましょうか」
「うんっ」
ロッテが手を差し出すと、メイは嬉しそうにその手を握った。
馬車へと歩くその背中を、ダンクが静かに見送る。
ロッテは振り返り、少しだけ微笑んだ。
「ダンク様。メイは、きっと大丈夫です。わたしが、そばにいますから」
「……ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」
ロッテは頷き、馬車に乗り込んだ。
メイは窓から顔を出し、父へ向かって小さく手を振る。
「パパー、いってきまーす!」
ダンクは無言で手を振り返し、その姿が馬車の揺れとともに遠ざかっていく。
車内には、ふたたび静寂が戻った。
だが、その静けさの中にも、メイのぬくもりと、彼女の言葉があった。
「ねえ、ママ。おばあちゃんって、やさしい?」
「ええ、とても。あなたのこと、きっとすぐに好きになるわ」
「そっか……じゃあ、ママと一緒に、がんばる!」
「ふふ、がんばりましょうね」
馬車は、ルダムデン伯爵邸へと向かい、朝の街並みを駆け抜けていく。
ロッテの胸の奥では、小さな決意が生まれていた。
この子のために、できることをしよう。
——たとえ、本当の母親でなくても。
この手を握ってくれる、その温かさに応えるために。
空の青さが、ふたりの前途を優しく照らしていた。