第23話 ロッテ、メイスィエに本を読み聞かせる
『夜のささやき』
夕餉が終わる頃には、すっかり夜も更けていた。
ロッテが帰る準備をしようと立ち上がると、使用人が控えめに近づいてきて、小さな声で耳打ちする。
「ロッテ様、すでに馬車の御用意は難しく……今宵は屋敷にお泊まりいただけますでしょうか」
ロッテが困ったように眉をひそめると、すぐにダンク=ユーウエル侯爵が席を立ち、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お足元も悪くなってまいりました。ご無理をなさらず、どうか今夜はこの屋敷でお休みください。部屋の用意は整っております」
「それでは……ご厚意に甘えさせていただきます」
ロッテがそう答えると、横にいたメイスィエがぱあっと顔を輝かせた。
「じゃあ、ママ、おとまり!? やったぁ!」
「……ええ、でも“ママ”じゃなくて……」
「ロッテでもいいけど、今夜だけは……ママがいいの」
ロッテは言葉に詰まって、少しだけ笑うしかなかった。
「今夜だけよ?」
「うんっ!」
部屋に案内されると、そこは暖炉の灯が揺れる、かわいらしい内装の客間だった。少女の部屋というには少し落ち着いた色合いだったが、それでも壁には小さな花の刺繍が飾られ、ベッドの上には絵本が数冊、丁寧に並べられていた。
メイスィエは靴を脱ぐと、ぽん、とベッドに飛び乗った。
「ママー、絵本、よんでー!」
「もう夜遅いのに……絵本は一冊だけよ?」
「……うんっ」
ロッテは絵本を一冊手に取り、ベッドの端に腰かけた。メイスィエはロッテの膝に頭をちょこんとのせ、身を寄せてくる。
その体の小ささと、ぬくもりに、ロッテの胸がきゅっと締めつけられた。
開いたのは、魔法の森を旅する小さな獣と少女の物語だった。夢と現実が交錯するような、優しい話。
ロッテの声に合わせて、メイのまぶたはゆっくりと落ちていく。
「……ママ、やさしい声……」
「ありがとう。でも、そろそろ寝ましょうね」
「うん……でも、もっと、となりにいてほしいの……」
ロッテはしばし考えたあと、そっとベッドの片側に身を横たえた。メイスィエはそれを待っていたかのように、ロッテの腕に抱きついてくる。
「ママ……やっと、会えた……ずっと……ずっと、夢で……」
その声はかすれ、次の瞬間には、規則正しい寝息に変わっていた。
ロッテは少女の髪をそっと撫でた。
その銀髪は、かつてのレッカと同じ色。けれど、瞳の紫は、この子だけのもの。
(メイ……あなたのママは、わたしじゃない。でも……)
そう思いながらも、ロッテの胸には、言葉にできない温かさがあった。
誰かに必要とされるということ。誰かのために、ここにいるということ。
それは、マルセルと出会う前、彼女が一度も感じたことのなかった感情だった。
──その夜、ロッテは久しぶりに夢を見た。
柔らかな陽光の中、笑い声が響く庭園。そこには、レッカが立っていた。優しく微笑んで、メイスィエを抱き上げていた。
「ありがとう、ロッテ。あなたに、会わせてあげたかったの」
ロッテは、夢の中で、ただ静かに涙をこぼしていた。
(レッカ姉さま……)
そして、目覚めたときには、メイがロッテの腕の中でぬくもりを残していた。