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婚約破棄の現場を眺めていたら、泣きながら会場から逃げ去る令嬢とぶつかって、流れ的に飲みにいったら忘れられない夜になった件!  作者: 山田 バルス


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第21話 ダンク=ユーウエル侯爵との縁談

『会うということ』

 馬車は、広大な庭園の前で止まった。


 ロッテは窓の外を見つめる。季節はまだ春の入口だというのに、ユーウエル侯爵邸の庭は花々が整えられ、秩序ある美しさを湛えていた。


「ようこそ、お越しくださいました、ルダムデン伯爵令嬢ロッテ様」


 出迎えた執事の深いお辞儀に、ロッテは礼儀正しく頭を下げた。


 ダンク=ユーウエル侯爵とは、ほぼ初対面と言ってよかった。彼は二度だけ、レッカ姉さまの婚礼と葬儀で挨拶を交わしたことがあるが、その印象は“真面目そうな人”というだけだった。


 案内された応接間で待っていると、やがて足音が近づいてくる。


「お待たせしました。ロッテ=ルダムデン嬢ですね」


 赤みがかった髪をきちりと結び、漆黒の瞳に静けさを湛えた男──ダンク=ユーウエル侯爵が、姿を現した。大人の貫録を溢れる落ち着いた佇まいが印象的だとロッテは感じた。


「本日は、お忙しい中、わざわざお越しくださり、感謝いたします」


 端的で、だが誠意ある挨拶だった。


 ロッテもすぐに立ち上がり、丁寧にお辞儀する。


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます、ユーウエル侯爵。こうしてお話しできる機会をいただいたこと、光栄に思います」


 しばし形式的な会話が交わされる。お互いの近況、王命を受けてのやりとり。淡々と進む会話の中に、ロッテはダンクという人物の“誠実な沈黙”を感じ取った。


(この人は、何も強いてこない。けれど、どこかで……誰かを待っている)


 ふと、執事が部屋の扉を叩いた。


「失礼いたします。お嬢様が、ロッテ様にご挨拶をしたいと申しまして」


「……ああ。そうだったな。ロッテ様、よろしければ……」


「ええ、もちろん」


 そして、扉の向こうから、ちいさな足音が駆けてきた。


「おとうさま……どこ……え、マ、ママーっ!」


 紫の瞳をうるませ、銀髪を揺らしながら駆けてきた少女は、ロッテの姿を見た瞬間、ぱっとその表情を輝かせた。


 そして、まるで迷いなく、彼女のスカートにしがみついた。


「ママ……ママ、会いたかった……どこに行ってたの……!ずっと……ずっと待ってたの……!」


「えっ……!?」


 ロッテの身体は固まったままだった。


 小さな腕が、彼女の腰にぎゅうっとまわされる。その腕はあまりにも細く、あまりにも震えていた。


「わ、わたしは……あなたのママじゃ……」


 それでも、少女──メイスィエの目からは涙が溢れ、ロッテの胸に顔を埋めてしまっていた。


「やだ……ママだもん……わたし、知ってる……夢で、何回も会った……ママの匂いだもん……あったかいもん……!」


 小さな嗚咽が、胸元から響いてくる。


 ロッテは目を見開いたまま、助けを求めるようにダンクを見た。


 ダンクは、明らかに動揺していた。あの冷静沈着な男の表情が、今だけは明らかに色を変えていた。


「……すまない、ロッテ嬢。これは……」


「い、いえ……っ、わたし……っ」


 混乱の中、ふと彼女は思い出した。メイの銀髪、そして紫の瞳。それはまぎれもなく、レッカ姉さまの面影だった。けれど──その声が言う「ママ」は、もしかして……。


(レッカ姉さまに……似てるの……? わたしが……従妹だし、銀髪に瞳の色も紫だから……)


 ロッテは震えるメイの背を、そっと抱き返していた。


「……わたしはね、あなたのママじゃないの。でも……でも……」


 言葉に詰まりながら、なんとか続けた。


「あなたがさみしかったの、わかるよ。……とっても、がんばったのね」


 その言葉に、メイはまた涙をこぼして、ロッテの胸に顔を押しつけた。


 ダンクが静かに近づき、膝をついた。


「……メイ。ロッテ様は、お前のママではない。けれど……とても優しいお姉さんなんだ」


「……やだ……やだもん……ママがいい……」


「……」


 沈黙が落ちる。


 ロッテは、まるで自分の心臓が跳ねる音さえ聞こえそうなほど、静かに息を整えていた。


 ダンクが、静かに言った。


「……妻が、レッカが亡くなってから、メイはずっと心を閉ざしていた。夜になると、ひとりで泣いて……“ママが夢にくるの”と、そう言っていた。……その夢に出ているレッカとロッテ嬢が似ているのかもしれません」


 ロッテは驚きながらも、そっとメイを抱きしめたまま、小さく言葉をこぼした。


「……わたしに、似ていたのかしら。レッカ姉さまに、わたしが……」


「……似ていますね。レッカがまだ元気だった頃、笑うときの頬のかたちや、話すときの目の色……とてもよく似ている」


 ロッテは息をのんだ。


 その言葉を、どこかで聞きたかったような、聞いてはいけなかったような気がした。


「ロッテ嬢。今日お呼びしたのは、もちろん正式な縁談の場としてでしたが……この子が、あなたに向かって“母を見た”というのは、私にとっても、想定外でした」


「……はい。わたしも……とても、驚いています」


 メイはやがて、泣き疲れたのか、ロッテの膝に寄り添ったまま目を閉じてしまった。


 ロッテはその小さな体を支えながら、そっと言った。


「ユーウエル侯爵……この件については、少し……お時間をいただいても、よろしいでしょうか」


 ダンクはゆっくりと立ち上がり、頭を下げた。


「もちろんです。今日、あなたがここに来てくださったことだけで、私は十分感謝しています」


 その言葉に、ロッテはただ静かにうなずいた。


 幼い娘の体温が、じんわりと胸に残っていた。

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