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第2話 ロッテの冷遇された学生時代

『冷たい春の前触れ』

 ネーデラ王国魔法学院。中庭の噴水がきらきらと陽を受けて揺れ、春の風がマントの裾を優しくなでた。


 ロッテ=ルダムデンは、開きかけた魔導書のページに視線を落としながら、何度も深いため息をついていた。


「……また、来てない……」


 時計塔の針は、午後三時を指していた。二人で約束した魔術の研究会。いつもは一緒に新しい理論を試し合っていたのに、ここ一ヶ月ほど、彼――ハーグ=ユトレヒトの姿はほとんど見なくなっていた。


 銀髪の伯爵家嫡男。自信家で、口は悪いが根は優しい……と、昔は思っていた。けれど今は、ロッテの胸の奥に刺さった棘のように、疑問と不安ばかりが積もっていく。


「ロッテ、また一人でお勉強〜? かたぁい♡」


 背後から聞こえた、甘ったるい声。


 ロッテが顔を上げると、そこには桃色の髪をふわりと揺らしたアイン=トホーフェンが立っていた。男爵家の令嬢。とびきり可愛らしく、人懐っこい笑顔が特徴の少女だ。


 そして、その隣には――


「なにボーッとしてんだよ、ロッテ。そんな顔してっと、ますます可愛くねぇぞ?」


 ハーグだった。


 ロッテの視線とハーグの視線が、かすかに交わる。けれど、彼の目はすぐアインへと向けられ、軽く肩を引き寄せた。


「俺様、今日はアインと実技試験の練習ってことでな。ま、そゆこと」


「うふふ、ハーグったら強引なんだからぁ♡ あたし、そんなとこも好きだけど」


 ロッテの心が、ぐしゃりと音を立てた気がした。


 婚約者のはずなのに。人目を憚るでもなく、他の女の子とこんなにも堂々と……まるで、ロッテの存在など最初からなかったかのように。


 けれど、ロッテは黙って唇を噛みしめた。


 恥ずかしくて、悔しくて、叫びたくなる気持ちを、必死に飲み込んで。


 ロッテは知っていた。アインが何度もハーグに視線を送っていたこと。授業中も休憩中も、彼女は常にハーグの近くにいて、わざとらしく腕に触れたり、笑いかけたり。


 そして、ハーグがそれをまんざらでもなさそうに受け入れていたことも。


(わたしじゃ、だめなの……?)


 どんなに勉強を頑張っても、魔法理論で成果を出しても、あの子の笑顔ひとつに負けてしまうの?


 その日を境に、ロッテは以前のように笑えなくなった。


 ハーグとの会話もどこかぎこちなくなり、二人で並ぶことも少なくなっていった。学院内でも、彼がアインと共に過ごす姿は、もはや日常の風景と化していた。


 そして、ある日のこと。


「ロッテさん、最近……元気がないですね」


 声をかけてきたのは、図書塔の奥にある個室で偶然出会ったマルセル=ナントリーヌだった。金髪を少し無造作に伸ばし、分厚い眼鏡の奥から優しい視線を向けてくる。


「……あなた、マルセルさん……?」


「はい。こんなところで一人で勉強してるの、よく見かけますから」


 彼の声は落ち着いていて、どこか安心感をくれる。静かで、控えめで、でも不思議と胸の奥まで届く響きを持っていた。


「最近、誰かと話すのが……怖くて」


「無理に笑わなくていいですよ。ボクは、ロッテさんのままでいいと思いますから」


 その言葉に、ロッテの胸の奥がじんわりと熱くなった。


 思えば、ハーグと一緒にいた頃は、ずっと「求められる自分」であろうとしていた。笑って、気を遣って、完璧な令嬢を演じて……それでも届かないのなら、もうどうすればいいのかわからなかった。


 マルセルの存在は、そんなロッテに小さな安らぎをくれた。何も求めず、ただそこにいてくれる優しさ。騒がしくもなく、押しつけがましくもない彼との時間は、傷ついた心を少しずつ癒していった。


 けれど、ロッテはまだ気づいていなかった。


 その穏やかな青年が、どれほど複雑な過去を背負い、どれほど自分自身と向き合って生きてきたのかを――。


 春の卒業式が近づいていた。


 学院の中庭には、淡く桃色に染まる魔法花が咲き始めている。


 ロッテの胸の奥にも、まだ小さな、けれど確かな違和感が残っていた。


 冷え切った関係の中で、失ったもの。


 でも、その隙間に差し込んだ、柔らかな光。


 ――やがて訪れる、運命の一日。


 それは、彼女が涙を流し、そして初めて新しい誰かと出会う、運命の幕開けだった。

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