第17話 星の下、ふたりで話すこれからのことその2
『星の下、ふたりで話すこれからのこと』
温泉街を発ったのは、夕暮れが山の端に沈みかけたころだった。
マルセル=ナントリーヌとロッテ=ルダムデンは、町の宿から出ると、すでに手配されていた二頭立ての馬車に乗り込んだ。行きとは違い、帰りの馬車には、ふたり以外に乗客はいない。静かな夜の道を、馬車はコトコトと揺れながら進んでいた。
窓の外には、星がいくつも瞬いている。
見慣れた王都の星空とは違う、山間の静けさがそこにはあった。
「……もうすぐ、この旅も終わっちゃうんだね」
ロッテが、馬車の窓に寄りかかりながらぽつりとつぶやいた。
彼女の銀髪が、星の光を受けて淡く光っている。
「そうですね。でも……すごく大切な時間でした。ボクにとって」
マルセルの声は、低く穏やかだった。
「……うん。わたしも」
ロッテは微笑みながら、彼の顔をそっと見つめた。
分厚い眼鏡の奥にある、優しい瞳。
まだ知り合ってそれほど長くはないはずなのに、不思議と“落ち着く”と感じてしまう存在だった。
「ねえ、マルセル。王宮魔法団って、どんなことをするの?」
「基本的には、王都の防衛、魔力管理、魔法研究の補佐ですね。最初の一年は研修が多いって聞いてます。実戦配備されることは、あまりないそうですけど」
「そうなんだ。……マルセルって、やっぱりすごい人なんだね」
「いえ、そんなこと……。たまたま運が良かっただけです。留学生枠での推薦でしたし、ボクなんか……」
「出た、“ボクなんか”」
ロッテが少しむくれて、じとっとした視線を送る。
「な、なんですか、その目は……?」
「マルセルって、謙遜しすぎだよ。優秀で、優しくて、料理もできて、お酒飲んだらちょっとチャラくなるけど……でも、そのギャップも可愛いし」
「うっ……い、今のところは評価しなくていいですよね……」
「ふふ、でもね、わたし、本当にマルセルに出会えてよかったって思ってるんだよ」
その言葉には、飾り気のないまっすぐな気持ちが込められていた。
「ボクも……ロッテさんに出会えたこと、感謝しています」
静かな夜道、馬車の中の空気が少しだけ甘くなる。
ガタン、ゴトンと、馬車の車輪が石道を鳴らす音が心地よく響いていた。
「戻ったら……また現実が来るね」
「ロッテさん、家には戻るんですか?」
「うん。いったんは。……手紙は配達員に頼んでけど、父様が心配していると思うから。エルマー伯爵、けっこう娘ラブだからね」
「なんとなく……想像はできます。ロッテさんの話を聞いている限り」
「……たぶん怒られるよ。卒業式直後に酒場で泣き崩れて、そのまま男の人と温泉旅行なんて」
「そ、それは……ボクが責任を……!」
「冗談だよ。……でも、父様にはちゃんと話す。もう、誰かに決められた結婚じゃなくて、自分で未来を選ぶって」
その表情は、どこか凛としていた。
昨日まで見せていた涙や迷いが、少しずつ彼女の中で変わってきているのだと、マルセルは感じた。
「……ロッテさんは、どんな未来を選びたいんですか?」
ふと、問いが落ちる。
「そうだなぁ……すっごい野望があるとかじゃないけど、誰かの横で笑っていられる毎日がいいなって思う。平凡でも、あたたかい日々。今みたいに」
「……ボクも、そんな日々が好きです」
「じゃあさ、もしわたしが本気で“マルセルと一緒に生きていきたい”って言ったら、どうする?」
唐突な問いだった。
でも、マルセルはすぐに答えた。
「ボクは……喜んで。その言葉を、信じて支えていきたい」
「……そっか」
ロッテはそれだけ言うと、彼の肩にもたれた。
ふたりの間に、あたたかい沈黙が流れる。
馬車は山道を抜け、だんだんと王都の明かりが遠くに見えてきた。
まだ旅の余韻が残る夜――でも、ふたりの心は、確かに前へと進んでいた。
「……ねえ、マルセル」
「はい?」
「今度さ、王都の春祭り、一緒に行かない? わたし、ちゃんとドレス着ていくから」
「ぜひ。……ボクも、眼鏡外していきましょうか?」
「ふふ、ドレスと素顔……お互いに、ちょっとだけ特別な姿で行こう」
未来はまだぼんやりしている。
でも、今は隣に誰かがいて、手を繋げるあたたかさがある。
帰り道の馬車の中、ふたりの心は静かに――けれど確かに、つながっていった。