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第14話 二人の朝デート市場散策

『ふたりで歩く朝の市場、ふたりで選ぶ明日のかたち』

 小鳥のさえずりと、木々のざわめき。それは、まるで森そのものが朝を祝ってくれているような優しい音だった。


 ロッテ=ルダムデンは、薄い羽織を肩にかけ、そっと窓を開けた。


 目の前に広がる山間の町並みは、朝の光を受けてどこか柔らかく、空気にはほんのりと硫黄の香りが混じっていた。


 まだ夢の中にいるような心地のまま、彼女は昨夜のことを思い出して、こっそりと頬を赤らめる。


「……もう。顔熱いんだけど……」


 小さくつぶやいたそのとき、部屋の戸が静かに開いた。


「おはようございます、ロッテさん。……寝不足、してませんか?」


 マルセル=ナントリーヌが、少し照れたように微笑んで立っていた。


 湯上がりのような爽やかな姿に、昨日とはまた違う、どこか大人びた空気がまとわりついている。


「う、ううん。むしろ……ぐっすり、だったかな。たぶん」


「……それは、よかったです」


 ふたりの間に、何でもない空気と、ちょっとだけ気恥ずかしさが流れる。


「……あの、朝ごはんまで少し時間ありますし。近くに朝市があるって、宿の人が言ってたんです。よかったら、行きませんか?」


「うん、行く。……ちょっと外の空気、吸いたかったし」


 ふたりは並んで宿を出た。


 まだ朝靄の残る道を歩くと、小高い坂の先に活気のある広場が見えてきた。そこがこの温泉町の名物、オルビスの朝市だった。


 魚、野菜、手工芸品、焼き立てのパンやお菓子。人々の声と笑い声が、あたたかく町を満たしている。


「わぁ……すごい、にぎやか。いい匂い」


「ボク、この雰囲気、好きです。なんか……“生きてる”って感じがして」


「ふふ、らしいね。マルセルって、“ちゃんと味わう”タイプなんだね」


 ロッテはそんな彼の真面目さに、自然と笑顔になる。


「せっかくだから、なんか買ってみようか」


「そうですね。ロッテさん、食べたいものあります?」


「えーと……あ、あれ! “温泉まんじゅう”って書いてある。なんかかわいい」


 ふたりは小さな屋台に立ち寄り、湯気の立つまんじゅうをひとつずつ手に取った。


「……いただきます」


 口に入れると、黒糖の香りがふわっと広がり、優しい甘さが舌に残る。


「ん~……おいしい。なんか、ほっとする味」


「ですね……甘さが、やわらかい」


 どこか昨夜の出来事を思い出しそうで、ふたりは視線を合わせてから、慌てて視線をそらす。


「そ、そっちの焼き魚も気になるかも!」


「えっ、いきなり魚ですか?」


「だって朝市だし。ほら、ああいうのって旅の定番って感じしない?」


「まあ……確かに。それに、ロッテさんが元気でよかったです」


「……あのね、マルセル」


 ふいに立ち止まったロッテが、真剣な顔をして言う。


「昨日のこと……後悔、してない?」


 マルセルは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに首を横に振った。


「……後悔なんて、するわけないじゃないですか。ボクは、ちゃんと想ってましたから。ロッテさんのこと、ずっと」


「……そっか。よかった」


 ロッテの瞳がほんのり潤んで、でもそれはきっと、朝の光のせいだろう。


「ボクこそ……ロッテさんが後悔してたら、どうしようかと……」


「してないよ、バカ。むしろ……ちょっと自信ついたかも。わたし、誰かにちゃんと“愛される”こと、諦めてたから」


「……ボクは、ロッテさんの全部が好きです。強いところも、弱いところも。泣き虫でも、意地っ張りでも」


「やだ、もう……恥ずかしいんだけど」


 そう言いながら、ロッテはそっとマルセルの袖を引っぱった。


「ほら、次の店、行こうよ。たしか……名物の焼きチーズがあったはず!」


「はいはい。ロッテさん、食いしん坊ですね」


「昨日たくさん泣いたんだから、今日くらい甘やかしてくれてもいいでしょ」


「……じゃあ、ボクが全部買ってあげます」


「うん。それはちょっと嬉しい」


 ふたりはまた並んで歩き出す。


 通りの角で、小さな女の子が母親と手をつないで歩いていた。その視線が、ふとロッテたちに向けられる。


「おにーさんとおねーさん、なかよしだねー!」


「わっ!? い、今の聞こえた?」


「……聞こえましたね」


 ふたりは顔を見合わせ、そして照れ笑いを交わす。


 市場の喧騒の中、マルセルがそっとロッテの手を握った。


「……人目、気にしません?」


「ううん。むしろ……嬉しいかも。ちゃんと“特別”って思われてる感じがして」


「もちろんです。ボクは、あなたが特別ですから」


 その言葉に、ロッテは心の奥があたたかくなるのを感じた。


 魚の香り、焼きたてのチーズ、湯気の立つまんじゅう。すべてが今日だけの、ふたりだけの思い出になっていく。


 ――卒業式の翌日、温泉の町で始まった、ふたりの旅。


 その朝の市場は、何気ない日常の中にある、ささやかだけど確かな幸福のかたちだった。


 未来がどうなるかは、まだわからない。


 でも、こうして並んで歩けるなら。


 たとえ遠回りでも、回り道でも。


 その先に、ふたりの「明日」があると信じられる――そんな朝だった。

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