第10話 王命とダンク=ユーウエル侯爵
舞台は王都・王城の奥深くにある静かな庭園。色とりどりの花々が咲き誇る中、春風が心地よく吹き抜ける。そんな穏やかな昼下がりのひととき、ダンク=ユーウエル侯爵は、銀製のティーカップを片手にベンチへと腰を下ろしていた。
彼の隣にいるのは、ネーデラ王国の現国王にして従兄でもある、フェリクス三世陛下である。
「で、お前、最近どうなんだ?」
気軽な口調でそう尋ねる国王に、ダンクは紅茶を一口すすってから、苦笑を返す。
「まあ、相変わらずですよ。娘に振り回されてばかりです。未亡人のくせに、厳しすぎる父親だって言われるくらいにね」
「はは、似合ってるぞ、ダンク。娘を思う父親なんて、そう悪くないもんだ」
そう言って笑うフェリクスの目が、ふと真剣な色を帯びる。
「……そういえば、お前。再婚する気はないのか?」
「再婚……ですか?」
ダンクは眉をひそめて視線を落とす。その手には、ティーカップがしっかりと握られていた。
「考えたこともありませんよ。娘のことを思えば、継母なんて作って苦労させるだけだと思っていましたし」
「だがな、娘が選んだ相手なら、話は別だろう?」
ダンクの眉がぴくりと動いた。フェリクスは続ける。
「たとえば、だ。娘がお前に“再婚してほしい”と言ったら、どうする?」
「……驚くでしょうね。けれど、反対はしないかもしれません」
その瞬間、ふと記憶がよみがえる。
――亡き妻、レックの面影。
優しくて、聡明で、どんな時でも人の気持ちに寄り添える女性だった。彼女が生きていた頃、従妹であるロッテ=ルダムデンが屋敷を訪ねてきたことがあった。
そのとき、レックとロッテはまるで姉妹のように仲が良く、顔立ちもよく似ていた。娘もすぐにロッテを気に入り、何日も「また遊びに来て」と言っていた。
そのロッテが――今、婚約破棄されたという。
「ロッテ嬢が……ハーグ=ユトレヒトに?」
「ああ、王立魔法学院の卒業式で、皆の前で一方的に破棄されたらしい。相手はアイン=トホーフェン男爵令嬢だそうだ」
「なんとも、身勝手な話だ……」
眉をしかめるダンクの声には、怒りよりも哀しみが混ざっていた。あの健気な少女が、どれほど傷ついたのか想像すると、胸が痛んだ。
「……不幸になるのは、気の毒ですね」
「ならば、ダンク。ここはお前がなんとかしてやったらどうだ?」
「なんとか、とは?」
フェリクスは楽しげに唇をゆがめた。
「失恋には、新しい恋が一番効く薬だ。侯爵家から縁談を持ちかけたら、彼女の立場も回復するし、周囲の見る目も変わる。『婚約破棄されて良かった』とまで言う者も出てくるかもしれん」
「……なるほど」
「それに、お前ならロッテの傷を癒せるかもしれん。彼女も、亡きレックを慕っていたのだろう?」
「……はい。彼女とレックは姉妹のように感じていた節もあります」
「ならば、余が一筆添えてやる。箔をつけるためにな」
「それは……恐れ多いですが、ありがたいお言葉です」
そう言って、ダンクはゆっくりと微笑んだ。
これは、彼女のための“再婚”。誰のためでもない、ロッテの未来を守るための申し出。
――もしも、あの子が涙を流しているのなら。
――この手で、もう一度笑顔にしてやりたい。
静かに湯気を立てる紅茶の香りが、庭園に溶けていった。まだ知らぬ未来を、そっと包み込むように。