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39 小説

 (しずく)は愛車のスタンドを立てると、ヘルメットを脱いだ。


 あの時もこれくらいの季節だったけど、今日と一緒で、木漏れ日が暖かく感じる日だったな


と思った。

 建物に足を踏み入れ、木のぬくもりを感じると


「雫ちゃん、いらっしゃい。二階どうぞ」


と、マスターが声をかけた。


 そして、席に座るとマスターが「とりあえず、これ良かったらどうぞ」と、サンドイッチとコーヒーを運んできてくれた。


「もしかして今日、お休みだったんですか?」


 お店に入る前に『臨時休業』の札を見た雫は「すみません」と謝った。


「違うよ。雫ちゃんにゆっくりしてもらおうと思って貸し切りにしたんだ。それより、バイクの免許取ったんだね」


と尋ねると


「ここにはどうしてもバイクで来たくって」


と雫は笑顔で答えた。



 マスターは


 そういや、たしか


と思い出した。


 以前、一颯(いぶき)に「彼女、バイクの免許取らないのか?」と聞いたことがあった。

 一颯が「今は予定はないと思う。そういうタイプじゃないんで」と言ったので、『まぁ、見るからに大人しそうな子だし、一颯もそこは多少の不満があるのかな』と思った。

 一颯は続けて「ああ見えて、結構芯の強い子なんだ。彼氏に影響されてとかじゃなく、自分で乗りたいと思ったら、たぶん勝手に免許取りにいくと思う」と言った。

 なんとなく誇らしげに語った一颯に『なぁんだ。今、結局、俺は惚気(のろけ)られたってわけだな』と苦笑した記憶がある。



「で?聞きたいことって何だい?」


 マスターは、雫の向かいの席には座らず、他から椅子を持ってくると、斜め前に座った。


 雫は鞄から1冊の本を取り出した。

 送られてきた本だった。


「マスターは、小説家さんだったんですね」


 マスターは声を上げて笑った。


(そう)が言ったのかい?全くあいつは黙っていられないヤツだな」


と言った。


「でも、この本のことについては、詳しく教えてくれなくて……」


 マスターは、なんともいえない複雑な表情を浮かべた。


 颯のやつ……。いつも強烈な一言を放つクセに、肝心のところは黙り込むんだから

 まぁ、今回は、多少の悔しさもあるんだろうけど


「仕方ない。私から、全部話すよ」




 小さい頃からバイクに乗り、自分は将来プロライダーとして生きていくことに何の疑問も持っていなかった少年は、バイク好きが集まるログハウスのような喫茶店に、よく両親に連れられてきていた。

 大人同士の話に退屈していた少年は、喫茶店の棚に置いてある絵本を夢中で見て、その後、子供向けの推理小説などに進み、成長と共に段階を経て、最後には日本文学や様々なジャンルの小説に興味を移し始めた。

 客が手に取れる棚だけでは、読み足りなくなった少年に、小説家を引退し、喫茶店を経営しながらのんびり暮らしていたマスターの書斎は、本棚がびっしりと並んだまさに宝の宝庫だった。


 親に連れられるという年頃を終えた少年は、いつの間にか時間が空けば、一人でここにやってきて、自分で執筆活動を始めた。

 小説家を生業(なりわい)にするつもりは毛頭なく、ただ、マスターという先生がいるため、いろいろ教えを請いながら、自分の好きなバイクのことを、短編小説などにしたためていた。


 少年の頃は、マスターも添削のようなことをしていたが、少年が大きくなったので、好きなように自由に小説を書いたらいいと、作品を批評することはやめた。

 しかし、自宅で物を書くと家族に見られたりするのが嫌だったのか、彼はここに来て、そして書いた物は喫茶店に預けて帰った。

 ただ、マスターはもうあえてその中身を読もうとはしなかった。



 最近、彼がやたらと根を詰めて書いている様子があったので、題材はなんだとだけ尋ねると『8耐』と答えた。


 いつも一人で来て、二階の窓際の決まった席に座り、執筆を終えるとまたそのまま帰って行った彼が、ある時、可愛らしい女の子を連れてきた。


 次に来た時に、彼女とはどうなったのかと尋ねると、なんとも言えない、まるで少年に戻ったかのように、はにかみながら「この前、ここに来た時、付き合うことになった。今度はちゃんと『彼女』って紹介する」と言った。

 本当にあの子のことが好きなんだなと感じた。


「君のことだよ」


 マスターは微笑んだ。


 そして


「8耐の執筆が進んでいるのか聞いたら、『彼女のことも含めて書いてる』と言っていた」


 ここでマスターは一息ついた。


「一颯はね、ただ好きな女の子に溺れて、ドラマティックに小説を書くというタイプではない。君のことを書いているということは、きっと君には何か小説に書きたいほどの大きな影響を受けたんだろうなと思った。一颯は執筆した物を預ける時に、私に見るなと言ったことは一度もなかった。なので、悪いけど、今回の原稿はちょっと見させてもらってね」


 マスターはそう言うと、テーブルに置かれていた本を手にした。

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