35 深愛
雫は微かな雨の音に気づき、窓の方に目を向けた。
ガラス越しに雨粒が滴り落ちているのが見え、外はまだ降り始めたばかりの様子であった。
そう言えば……
と雫は思い出した。
『雫はソファーに腰を下ろした。
一颯はポケットの中の荷物をテーブルに置いた後、そっと雫の横に座った。
雫がチラリと横を見ると、一颯はとても優しい顔で、心の底から湧き出るような笑みをこちらに向けていた。
雫も思わず微笑む。
そして思った。
なぜ、この人を見るとこんなにも、嬉しくて、愛おしくて、切なくて、守ってあげたいと思うのか
「雫」
と一颯は優しく名前を呼ぶと、肩を抱いて自分の方に引き寄せた。距離は近寄ったが、雫が俯いたため、一颯は優しく少し顔を上げさせて軽くキスをした。
何度かキスを重ね、一颯は雫を抱き締めた。
「一颯さん」
「何?」
「ううん。呼んだだけ」
そう言われ、思わず抱き締める手に力が入った。
「もうそろそろ『さん』付けはいらない気もするけど、どうかな?」
と言って、一颯はクスクス笑ったが、すぐに
しまった。雫にとっては、この方法はちょっとダメだったか
と反省した。
緊張を解いてあげようかと思ったが、却って雫の身体が固まったように感じられたからだ。
自分もリラックスするため冗談にしたのだが、相手に対しては失敗だったようで
「無理?」
といたわりながらも、申し訳ないが、雫が可愛くて仕方がなくなった。
もう一度、キスを深くした後、一颯は雫を抱き上げてベッドまで連れていき、そっと身体を降ろし、頭を支えて倒した。
何もかもそっと、優しく大切に扱ってもらっていることはわかった。
その中でも、軽々と抱きかかえられるなど、鍛えられた男性の逞しさも感じられた。
溢れ出る声の中で「いぶ……きさん」と名前を呼んだ。
「何?」「どうしたの?」
と優しく応えてくれる。
余裕などあるわけもないが、雫は「好き……」とだけ呟いた。
一颯がそれを聞いて、愛おしげに髪を撫でたり、優しくキスをしてくれる。
「大丈夫?」「痛い?」
ただでさえ気を遣う人なのに、こんな時は余計、気遣われているのがわかった。
雫は目が潤むのが自分でもわかった。
「止めようか」
一颯はじっと自分を見ていた。
「やめな……いで」
雫は一颯に腕を伸ばした。
なぜこんなことを言ってしまったのかわからなかった。
「嬉しい。一颯さんも……幸せにしたい」
一颯は、雫の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
自分でも完全にスイッチが入ってしまったことはわかった。
「ごめん!」
そう言うと、ゆっくりだが、少し荒々しく雫の中に入り込んだ。
雫は短く声を上げると、そのまま一颯に身を任せ、目を硬く閉じ、痛みを覚えながらもただ、ひたすら一颯という人の全てを受け入れてあげたいという思いで、時々抑える声を耐えきれず漏らし、何も考えられなくなった。
雫は目を覚まし、ボーッとしたまま、顔だけ動かし隣を見ると一颯が自分を優しく見つめていた。
瞬間、ものすごい早さで寝返りをうち、顔と身体を、一気に一颯から背けた。
「何で逃げるの?」
楽しそうに一颯が後ろから話しかけてきた。
「顔、寝起きだから」
と雫は答えた。
おそらくあの後、眠気に襲われ、かなり眠ってしまったようだった。
「大丈夫。可愛いよ」
雫は照れてしまった。
自分が可愛いと言われたことより『一颯さんって、こんなこと言えるの?私が言わせてるの?』という恥ずかしさだった。
「可愛い顔見せて」
今度は大人の余裕でからかわれているようで、雫はさらに顔が見えないように「可愛いくないです!」と布団に埋めた。
雫が少し拗ねたのがわかったのか、一颯は
「ごめんごめん」
と謝りながら、後ろから包み込むように抱き締めてきた。
「雫、ありがとう」
雫は顔を上げて後ろにひねり、一颯の顔を見た途端、無意識に抱き締められていた身体からするりと右腕を引き抜くと、一颯の頭を撫でた。
「ちょっと何してんの?」
予想外の雫の動きに、一颯は照れたような困ったような表情を浮かべた。
「可愛い」
と今度は雫が言うと、一颯は若干、不服そうな顔をした。
あっ、『可愛い』は、もしかして『優しい』と同じ感じだったのかな
「カッコいい」
と訂正すると、一颯はフフッと嬉しそうに笑った。
そして、ゆっくり顔を近づけてきた。
キスをすると同時に、上半身に違和感を感じた雫はキスが終わると、胸付近に伸ばしてきていた一颯の手を、ペチッと軽く叩いた。
一颯は何も言わなかったが、雫が軽く抗議するように睨むと
胸触ってたのバレたか
といういたずらっ子のような顔をしていた。
雫はそれを見て
この人も、こういうことするのね
逆に心を許してもらったように嬉しかったが
「調子に乗ったらダメですよ」
と釘を刺した。
一颯は誤魔化すように、優しく笑みを浮かべていた。』
雫は
「雨……」
と呟いた。
いつの間にか降り出した雨は、屋内にいてもかなり聞こえるほど、きつそうな音を出していた。
「雨に強いライダーはいても、雨が好きなライダーって本当はいないんだけどね」
一颯が言った。
「誰か、雨が好きな選手がいるってことですか?」
「俺」
雫の問いに一颯が即答すると、雫の顔がパッと明るくなった。
「じゃあ、一颯さんは、雨のレースでも最強ですね!」
一颯はのどを詰まらせたようにむせた。
「大丈夫ですか?」
雫が心配して声をかけた。
今更
『「雫」って名前が、雨を連想させるから、雨の日も好きになった』
とは、一颯は、言いだしにくくなってしまった。




