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34 愛惜

「お連れさんと一緒とは、珍しいな、一颯」


 着いたのは、ログハウスのような建物の二階建ての喫茶店で、60歳代くらいの、いかにもここの店主というようなひげ面のマスターが、一颯と顔見知りなのか、気軽に声をかけてきた。


 雫が後ろで頭を下げると、マスターは


「いらっしゃい」


と笑顔で答えた後


「彼女か?」


と一颯に尋ねた。


「違いますから、そういうこと言わないで下さい」


 一颯が慌てて返すと


「あぁ、すまん、すまん。これからなんだな。頑張れよ!」


 マスターは勝手に解釈し、一颯の肩をバンバンと叩くと


「いつものとこ行くか?空いてるよ」


と二階席を促した。


 全体に木のぬくもりの感じられる建物の窓際の席に座ると、森林の落ち着いた風景が広がった。

 優しげな光が差し込む。


「お腹空き具合どう?なんか食べる?」


 雫の方にメニューを向けながら一颯が言うと


「そんなにたくさんは無理かもしれませんけど」


 雫の答えに


「じゃあ、サンドイッチ頼んで半分ずつしようか。それならいけそう?」


と話をしていると、マスターと同年代くらいの女性がお冷やを持って階段を上がってきた。


「一颯くん、今日は二人なのね」


と、こちらも親しげに話し、一颯から「この人、マスターの奥さん」と紹介され、雫は「こんにちは」と挨拶した。


「いらっしゃい。可愛い彼女さんね。一颯くん、他の男に取られないよう気をつけなさいよ。あなたそういうとこ、ほんとボーッとしてるんだから」


 奥さんの方はすでに二人の仲を決めつけた状態で、訂正に口を挟む間もなく「で、注文決まってる?」とオーダーを取り始めた。

 そして最後に


「じゃあ、お二人の邪魔はしないから、どうぞごゆっくりね」


と、ニコニコ笑いながら階下に降りて行った。


 一颯は困り顔をしながら


「ごめんね。子供の頃から来てるお店なんで、家族みたいに遠慮なくて」


 雫は微笑むと


「いいところですね」


と窓の外に目をやった。


「なんか、すごく落ち着きます」


 雫の穏やかな横顔を見て、一颯はホッとした。


 二人は、一颯がこの喫茶店に両親と来ていた幼少の頃の話や今日初めて雫がバイクに乗った感想、今後のレースのことなど、様々な話をした。

 そして、食事も終わった時だった。


「一颯さん。ごめんなさい」


 雫が突然謝罪した。

 一颯は慌てて


「えっ、何?」


と聞くと、雫は俯いて


「この前……。私、勝手に……拗ねて。それから……勝手に帰ったりして。あの時は、最低なことをして申し訳なかったです。本当は、私の方から謝りたいって……連絡をしないといけなかったのに。すみません」


 沈黙が流れた。

 かなり長い沈黙だった。


 雫は謝ったことで、却って一颯を困らせてしまったかと落ち込んだ。


 さっきまで楽しく喋っていたのだから、あえて言わなくて良かったのかもしれない


と、後悔した。


 一颯は、今、この状況で自分の話をしていいものかどうか、考えあぐねた結果、心に決めて静かに口を開くと


「俺が悪かったから、謝らないで」


と言った。


 そして


「雫ちゃん」


と改めて名前を呼んだ。


「あのさぁ……」


 それきり、一颯が何も言わなかったため、雫はそっと顔を上げた。


「好きなんだ。俺と付き合ってくれないかな」


 雫は状況が飲み込めないまま、呆然と一颯を見つめた。

 誰が誰との話なのかと思うほど、よく理解出来なかった。


「もう、颯流にも……誰にも遠慮しない。今更だって言われるだろうけど。でも、ずっと、本当は雫ちゃんが気になってて、好きだった。なのに正直に言えなくて。この前、傷つけてしまってごめん」


 普通は好きな人に告白されたら、想いが通じたことに嬉しくて笑うんだろう

 それとも嬉し涙を流すものなんだろうか


と、後になってから、雫は冷静に思った。


 だが、この時、雫は泣くことしか出来なかった。

 勝手に涙が溢れ出て、そして、それは嬉し涙ではなかった。


 一颯さんって……


 雫は思った。


 この人、本当にこうやってずっと……

 弟達や、いろんな人のことを思いやって、遠慮し、気遣いながら生きてきて……私にまでこんなに……


 そう思うと、雫は、一颯を単に好きだという気持ちは、もうどこかに飛んでしまった気がした。

 思わず泣いてしまったことで、一颯が目の前でオロオロしているのもわかるが、涙は止まらなかった。


 年上の、あんなに大きなバイクさえ自由自在に操れるほどの力のある、この人のことを


 愛おしいし、守りたい


 その思いを強く感じた瞬間だった。

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