【コミカライズ】聖水がマズいという理由で辺境に左遷された聖女
「ハァ……ハァ……」
今日も這う這うの体で王城に帰って来た私は、そのままの足で婚約者であり、我が国の第二王子殿下でもあらせられるダリル殿下の私室へと向かう。
聖水は鮮度が命だ。
一分一秒でも早く、殿下にお届けしなくては……!
「失礼いたします」
ノックして扉を開けると、まるで祭壇のように豪奢なベッドに横になっていたダリル殿下が、儚くもお美しいお顔をこちらに向けられた。
「フン、アリエルか……」
が、訪問者が私とわかった途端、目線を天井に向け溜め息を漏らす。
殿下……。
いや、余計なことは気にするな。
私は私の仕事を果たすのよ。
「今日の分の聖水をお持ちいたしました。どうぞお飲みになってください」
「……チッ」
舌打ちしながら重そうに身体を起こし、聖水を受け取る殿下。
ダリル殿下は半年ほど前に、『氷肉病』という奇病に突如侵されて以来、こうして寝たきりの生活を送られている。
氷肉病は全身の筋肉が氷のように徐々に冷たく固まってしまう病気で、現在の医療では治すことがほぼ不可能な難病。
唯一の対抗策は、私たち聖女が精霊様から賜るこの聖水だけ。
だからこそ王家は私をダリル殿下の婚約者に据え、こうして心身共に支えることを義務付けたのである。
「んぐ…………クッ、マズいッ!!」
「っ!?」
その時だった。
聖水を一口だけ飲んだ殿下が、聖水を私に向かってぶち撒けてしまった。
嗚呼――!!
「で、殿下!? お気は確かですか!? 今日の分の聖水は、これしかないのですよ……!」
「だったら何だ!? 毎日毎日こんなマズいものをこの僕に飲ませやがって! その割には半年も経つのに、未だに治らないじゃないか!?」
「そ、それは……、良薬は口に苦しといいますし……。それに、半年前に比べれば、症状は大分改善されております。あと半年もすれば、完治も夢ではないかと……」
「半年もッ! こんな過酷な生活をッ! 送れというのかこの僕にッ!? フザけるなッ! お前の無能っぷりには、もうほとほと呆れた」
「……!」
……殿下。
「ダリル様、失礼しまーす!」
「っ!?」
その時だった。
新人聖女のキャシーが、ノックもせずに聖杯を持って笑顔で入って来た。
な、何故ここに、キャシーが……!?
「ダリル様、今日の分の聖水をお持ちしました!」
「おぉ、いつもすまないな、キャシー」
「……なっ!?」
キャシーは液体が入った聖杯を、殿下に手渡す。
そ、そんな……。
「その聖水……、どこで手に入れたのキャシー? まさかあなたも、ブリザール様の試練を耐えて……?」
「はい! その通りですアリエル先輩! 私、とっても頑張ったんですよ!」
「……」
力こぶを作るポーズを取りながらドヤ顔を浮かべるキャシーを見て、私は咄嗟に噓だと確信した。
ブリザール様の試練を受けた直後の人間が、そんな態度を取れるわけがない……!
「さあさあ早く飲んでくださいダリル様! とっても美味しいですよ!」
「うん、いただこう」
聖水が美味しい……!?
そんな話、聞いたことがないわ……!
殿下はキャシーが聖水だと騙る謎の液体を、一気に飲み干した。
「おぉ……! 実にまろやかで甘い! 全身に力が溢れるかのようだ!」
「えへへー、でしょでしょー!」
まろやかで甘いですって!?
それは絶対に、聖水じゃないわ……!
「殿下! 騙されてはなりません! それは決して、聖水などではございません! そもそも聖水とは――」
「ええい、うるさいうるさいッ! マズいうえに大して効果のない聖水しか作れない無能が、知ったような口を利くなッ!」
「――!」
……殿下。
「貴様などよりキャシーのほうが、何万倍も有能だ。最早貴様には、聖女としての価値も、婚約者としての器もない。――今このときをもって、僕は貴様との婚約を破棄し、キャシーを新たな婚約者とする!」
「やったあ! 嬉しいです、ダリル様ぁ!」
「――!!」
猫みたいに殿下に抱きつくキャシーを、殿下はよしよしと撫でる。
あ、あぁ……。
「どうかお考え直しください殿下! このままでは、あなた様のお身体が……」
半年前に不慮の事故で第一王子殿下が亡くなられた我が国にとって、第二王子殿下のダリル殿下は、未来の国王となる掛け替えのないお方。
その殿下の身にもしものことがあったら、私は聖女としてどう責任を取ればいいのか……。
「今日までご苦労だったなアリエル。ちょうどニャッポリート領の聖女に欠員が出たらしい。明日からお前は、ニャッポリート領に出向してもらう」
ニャッポリート領……!
それって国の最果てにある、辺境中の辺境……。
「精々頑張れよ、アリエル」
「頑張ってください、アリエル先輩!」
「……」
そうか……、私はもう、殿下の専属聖女でも、婚約者でもないんだ……。
――だったらもう、後は好きにすればいいんだわ。
「ようこそおいでくださりました聖女様! 私はこのニャッポリート領の領主の、スタンリー・ボガードと申します」
「私はスタンリーの妻のイヴリンです。今日からよろしくお願いいたします、聖女様」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。聖女のアリエルです」
単身ニャッポリート領に来た私を、ボガード夫妻は実に温かく迎えてくださった。
お二人とも貴族とは思えないほど質素な身なりをしているものの、笑顔が眩しく、王都で贅沢な暮らしをしている上級貴族より、余程幸せそうに見える。
「ビックリするほど田舎でしょう? 王都で生活されていた聖女様には、刺激が足りない場所でしょうが」
「いえ、私も聖女になる前は平民で、田舎暮らしでしたので、むしろ落ち着きます」
この見渡す限り山と緑に囲まれた風景、懐かしいわ。
「ハハ、そう言っていただけますと助かります。さあ、ざっと村の中をご案内します」
「はい」
「あっ! 聖女様!」
「聖女様だ! ようこそ、聖女様!」
「わーいわーい! 聖女様だ聖女様だ!」
「っ!?」
その時だった。
私の到着に気付いた領民の方々に、たちまち取り囲まれてしまった。
「コラコラお前たち。聖女様は長旅でお疲れなんだ、そういうのは後にしろ。すいません聖女様、騒がしいやつらで」
「ふふ、いえ、どうかお気になさらず。楽しそうな方々ばかりで、私も嬉しいです」
「ハハハ! 確かに退屈はしないでしょうね! うるさい連中しかいませんから」
「ふふふ」
嗚呼、こんなに穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろう。
私の凝り固まった心が、少しずつ解れていくのを感じた。
「ここが我が家です。狭い家ですが」
「散らかっておりますが、どうぞ」
「いえ、お邪魔いたします」
ざっと村の中を案内してもらった私は、最後にボガード家に招待された。
とても領主の家とは思えないくらい、ボガード家はこぢんまりとしていた。
ちょっと稼ぎの良い平民の家といった佇まいだ。
家の中も生活に必要な最低限のものしか置かれておらず、使用人がいる様子もない。
これが、辺境の領主の暮らしなのね……。
「実は聖女様に、紹介したい人間がいるのです」
「え?」
紹介したい、人間……?
「私の息子で、ジョッシュというのですが、会ってはいただけますか?」
「は、はい」
スタンリーさんのただならぬ空気に、私は息を吞んだ。
「おかえり、父さん、母さん」
「具合はどうだ、ジョッシュ」
「お水飲む?」
「うん、ありがとう」
「――!」
ジョッシュさんの部屋に通された私は、ジョッシュさんの姿を見て絶句した。
ジョッシュさんは、全身を包帯でグルグル巻きにされた状態で、ベッドに横になっていたのである。
これは……。
「あなた様が聖女様ですね。こんなみっともないお姿で出迎えることをお許しください。ジョッシュと申します」
「い、いえ……、どうかお気になさらず。聖女のアリエルと申します」
「アリエル様。良いお名前ですね」
「……!」
弱々しくも朗らかに微笑むジョッシュさんの包帯まみれの顔に、私の心がギュッとなる。
「……ジョッシュは、『炎肉病』に侵されているのです」
「……なっ!」
炎肉病……!
確か、全身が炎で焼かれたように爛れてしまう奇病……!
ダリル殿下の氷肉病同様、これといった治療法がない難病だわ。
「半年ほど前に突如発症してしまいまして……。それ以来、こうして寝たきりの生活を送っているのです。前任の聖女様も、いろいろと手を尽くしてはいただいたのですが、根本的な解決には至らず……」
「嗚呼、可哀想なジョッシュ……!」
「父さん、母さん、僕は大丈夫だから、そんな悲しそうな顔しないでよ」
「だが、ジョッシュ……!」
この時、何故ボガード夫妻があんなに私を歓迎してくださったのか、理由がわかった気がした。
お二人は、私ならジョッシュさんを何とかしてくれると思っていたのかもしれない――。
「スタンリーさん、前任の聖女は、ジョッシュさんにどんな治療をされていたか、おわかりになりますか?」
「え? ああ、そうですね。祈りを捧げられたり、薬草を塗布したりといったところでしょうか」
……ふむ。
「聖水はご使用にならなかったのでしょうか?」
「聖水!? いえいえいえ! そんな貴重なもの、こんな田舎では手に入りませんよ」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「「「えっ」」」
三人は同時に、目を丸くした。
ふふ、流石親子ね。
「実はこの村に着いた時から、かすかにですが精霊様の気配を感じていたのです。おそらくこの付近には、精霊様が眠られている場所があるはずです」
「「「そ、そんな!?」」」
三人は同時に、あんぐりと口を開けた。
うん、実に微笑ましい親子ね。
「多分ここですね」
「ほ、本当に、こんなところに精霊様が……? ああ、いや、聖女様を疑うわけではないのですが」
スタンリーさんと二人で、村外れにある薄暗い洞窟の入口にやって来た私。
「ふふ、いえ、ご心配はごもっともです。私も確信があるわけではありませんから。それではスタンリーさんはお家でお待ちください。聖女である私以外の人間がいると、精霊様は姿を現してくださいませんから」
「で、ですが、聖女様だけにご負担を掛けるわけにはまいりません! せめて私もここで、聖女様のお帰りを待たせていただきます!」
そう言うなりスタンリーさんは、地面にドカッと腰を下ろされた。
ふふ、本当に、律儀な方ね。
「わかりました。しばらく時間は掛かるかもしれませんが、いってまいります」
「はい! どうかお気を付けて!」
さて、鬼が出るか蛇が出るか――。
『何者だ?』
「――!」
洞窟の奥に進むと、行き止まりまで来たところで、目の前に手のひらサイズの炎がおもむろに現れた。
やはり――!
「お休みのところ大変失礼いたします。私は聖女のアリエルと申します」
『フン、どうやら貴様は本物のようだな。この村にいた前任の聖女は、最後まで我の存在に気付かなかった三流だったからな』
「……恐縮です」
とはいえ、それで前任の聖女を責めるのは酷というものだろう。
自分で言うのも何だけれど、私は聖女の中でも類稀な才能を持って生まれてきた、例外中の例外。
私以外の人間にこれほどかすかな精霊様の気配を感じ取れというのは、土台無理な話なのだ。
『我の名はフレディア。見ての通り、炎を司る精霊である』
「御目通り恐悦至極に存じます、フレディア様。早速で恐縮ではありますが、炎肉病を癒す聖水を賜ることは可能でしょうか?」
炎を司る精霊であるフレディア様なら、炎肉病との相性も良いはず。
『ククク……炎肉病か。あのジョッシュとかいう小僧のためだな』
「――!」
流石精霊様。
この村のことは、何でもお見通しらしい。
「はい、その通りです」
『あの小僧も災難よのぉ。あのような数奇な星の下に生まれたばかりに』
「――! それは、いったい……」
『いや、気にするな。もちろん聖水をくれてやることはやぶさかではない。――だが、その代償はわかっておろうな?』
「……はい、もちろんです」
精霊様から聖水を賜るには、過酷な試練を耐える必要があるのだから――。
『よかろう。ではアリエルよ、貴様に試練を与える――』
「――!」
その時だった。
フレディア様の炎が私の背丈の倍くらいに膨れ上がった。
あ、熱い……!
『我に祈りを捧げよ、アリエル』
「は、はい……!」
持参した聖杯を目の前に置き、その場で膝をつきながら手を組んで頭を垂れる私。
あまりの熱さに、汗が滲む。
いったい、どんな試練が――!
『そのまま一時間、祈りを捧げ続けるのだ――』
「…………え?」
『…………ん?』
フ、フレディア様?
「そ、それだけですか?」
『は? それだけ、とは?』
「あ! いえいえいえ! 何でもございません! 捧げます! 捧げさせていただきます!」
『う、うむ、しっかりと祈るのだぞ』
な、なるほど。
フレディア様の試練は、こんな感じなのね。
これは嬉しい誤算だわ。
――こうして私はキッチリ一時間、フレディア様に祈りを捧げたのであった。
『うむ、見事だアリエル。実に心の籠った、よい祈りであったぞ』
「もったいなきお言葉でございます、フレディア様」
聖杯になみなみと聖水が注がれた。
よし、これで!
「ありがとうございます、フレディア様。これから毎日祈りを捧げに参りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
『フッ、仕方ない。我を慕う者は無下にできんからな。また相手をしてやろう』
「恐悦至極に存じます。ではまた」
『ああ、またな、アリエル』
私はフレディア様に深く頭を下げて、来た道を戻って行った。
「せ、聖女様! いかがでしたか!?」
洞窟を出ると、ガバリと立ち上がったスタンリーさんが、私に駆け寄って来た。
「はい、やはり精霊様はいらっしゃいました。この通り、聖水もいただけました」
「おお! おおぉぉ……! ありがとうございます! ありがとうございます……! これでジョッシュも……!」
スタンリーさんは目頭を押さえた。
「はい。ただ、完治するまでは根気よく治療を続ける必要があります。それまで、ご協力いただけますか?」
「もちろんです! あぁ、そんなに汗だくになって……! 余程過酷な試練だったのでしょうね……!」
「え? あ、えぇ……、まぁ……」
思ったより楽でしたと言ったらフレディア様にも申し訳ないし、そういうことにしておこう。
「さあジョッシュ! 聖女様が精霊様から、聖水をいただいてくださったぞ!」
「ああ! 本当にありがとうございます、アリエル様!」
「息子のために……! 何とお礼を申し上げたらいいか……!」
「いえ、私は自分の仕事をしたまでですから」
ボガード家に帰ると、ジョッシュさんとイヴリンさんからも、涙ながらにお礼を言われた。
ふふ、こんなに感謝されたのは、実に久しぶりだ。
ダリル殿下からは一度たりとも、お礼を言われたことはなかったから……。
「ただ、こう言っては何ですが、聖水の味は、お世辞にも美味しいとは言えないものなのです。それでも大丈夫ですか?」
「何を仰るんですかアリエル様。良薬は口に苦しと言いますし、この常に肌が焼かれている苦しみに比べたら、そんなもの比べるまでもありませんよ」
「そ、そうですか」
こういうところも、ダリル殿下とは真逆ね……。
「では、いただきます。――んぐ」
聖水を一気に飲み干すジョッシュさん。
「ふう。うぅん、確かに独特の舌に残る苦みがありますね。――うっ!」
「ジョ、ジョッシュ!?」
「ジョッシュッ!」
その時だった。
ジョッシュさんが、胸を押さえて苦しみ出した。
これは……。
「か、身体が……熱い……! あぁ……!?」
「「――!!」」
ジョッシュさんが左手の包帯を解くと、人差し指の爛れだけが、綺麗に治っていた。
よし、成功だわ!
「そ、そんな……! どんな治療法でも無理だったのに……! あ、ありがとうございます、アリエル様……! ありがとうございます……!」
「ありがとうございます、聖女様ぁ……!」
「ありがとうございますぅ……!」
「ふふ、いえいえ」
三人はおいおいと泣きながら、私に頭を下げた。
――嗚呼、私、ここに来てよかった。
「ジョッシュさん、今日の分の聖水です」
「ああ! ありがとうございます、アリエル様!」
私がニャッポリート領に来てから、早や三ヶ月が過ぎた。
大分ジョッシュさんの症状も改善し、最近はご自分の足で歩くこともできるようになってきた。
まだ上半身は顔を含めて包帯まみれだけれど、後数ヶ月もすれば完治するだろう。
今からその日が楽しみだ。
「アリエル様、これ、僕からあなたへの、せめてもの感謝の気持ちです。受け取っていただけますか?」
「え? ――わぁ」
ジョッシュさんがそっと差し出したのは、溢れんばかりの花束だった。
季節の花が多種多様に束ねられており、とても綺麗だ。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、思わず口角が上がる。
「ありがとうございます! もしかしてこれ、ジョッシュさんがご自分で摘んでくださったんですか?」
「アハハ、はい、自分の足で歩けるのがあまりに嬉しくて、ついはしゃいでしまいました」
「うふふ、本当によかったですね、ジョッシュさん」
「――これもすべて、アリエル様のお陰です」
「ジョ、ジョッシュさん……!?」
その時だった。
ジョッシュさんが熱の籠った真剣な眼をしながら、私の左手を両手で包み込んできた。
あわわわわわ……!?
ジョッシュさんの瞳は宝石みたいにキラキラしていて、見ていると吸い込まれそうになる……。
「あっ、すいません! つ、つい! 気持ちが抑えきれなくなってしまいまして!」
「い、いえ! どどどどどどうぞ、お気になさらず……!」
ああもう!
どうしちゃったのかしら私の心臓……!
自分のものじゃないみたいに、バクバク暴れてるわ……!
『うむ、今日の祈りも実によかったぞ、アリエルよ』
「もったいなきお言葉でございます、フレディア様」
聖杯になみなみと聖水が注がれた。
嗚呼、これでやっと――!
『……今日で、最後なのだな?』
「――!」
フレディア様……。
「……はい、お陰様で。これでジョッシュさんの炎肉病も、完治すると存じます」
私がニャッポリート領に来て約半年。
長かったジョッシュさんの治療も、今日で終わるかと思うと、胸にくるものがある――。
『フッ、我はお前からの祈りの見返りに、聖水を与えたに過ぎん。あの小僧を治したのは、お前の力だ。存分に誇るがよい、アリエルよ』
「フ、フレディア様……!」
嗚呼、涙で前が見えない……!
『……もう、ここには来ないのか?』
「……!」
ふふ、本当に、お可愛いお方。
「確かにもう聖水は必要ではなくなりましたが、私は今後もフレディア様に祈りを捧げたいと思っております。たまにはお邪魔してもよろしいでしょうか?」
『そ、そうか! うむ! いつでも来るがよい! 我は待っておるからな!』
「はい、それでは」
ボウボウと燃え盛るフレディア様に手を振り、私は洞窟を後にした。
「……ジョッシュさん、どうぞ」
「……ありがとうございます、アリエル様」
私が渡した聖杯を、真剣な顔で受け取るジョッシュさん。
ジョッシュさんも、これが最後の聖水だということをわかっているのだ。
「――いただきます。――んぐ」
一気に聖水を飲み干すジョッシュさん。
すると――。
「う……! うぅ……!!」
いつものように、ジョッシュさんは胸を押さえて苦しみ出した。
ジョッシュさん――!
「――お、おぉ!」
「ジョッシュさんッ!」
ジョッシュさんが顔の包帯を解くと、そこにはまるでお人形のようにシミ一つない、それはそれはお美しいお顔があった。
そのあまりの美しさに、思わず胸がトクンと跳ねる。
こ、これが、ジョッシュさんの素顔……!?
でもこのお顔、どこかで見たことがあるような……?
「あ、ありがとうございます、アリエル様……! いくら感謝しても、しきれません……!」
「ふふ、よかったですね、ジョッシュさん」
ジョッシュさんは一筋の涙を流しながら、私の左手を両手で包み込んできた。
お、おっと?
「……アリエル様、僕は、心の底から、あなた様に感謝しているんです」
「え? あ、はい」
いつぞやみたいに手は放さず、そのまま真っ直ぐに真剣な瞳で私を見つめてくるジョッシュさん。
お、おややや??
何かしら、この空気は……??
「聖女様! 大変ですッ!」
「「――!」」
その時だった。
スタンリーさんが、大層慌てた様子で駆け込んで来た。
スタンリーさん……!?
「ダ、ダリル殿下がいらっしゃいました! あなた様をお呼びです!」
「「――!!」」
ダリル……殿下が……!
「ああ、久しいな、アリエル。元気そうで何よりだ」
「ご、ご無沙汰しております……」
村の広場に行くと、車椅子に乗った大層やつれたダリル殿下が、虚ろな瞳で私を見つめていた。
これは……、この半年で、大分氷肉病が悪化してしまったようね……。
ダリル殿下の隣には、気まずそうに俯きながら、ダリル殿下の今の婚約者である、キャシーがポツンと立っている。
「殿下のほうは……、その後いかがでしたでしょうか?」
「フン、見てわからんのか!? この詐欺師のせいで、僕の人生は滅茶苦茶だよッ!」
「ヒィッ!?」
ダリル殿下は鬼のような形相で、キャシーを睨みつける。
……やっぱりね。
「キャシーの聖水は、偽物だったのですね?」
「ああ、その通りだ! この女は、ただの水に蜂蜜を混ぜただけのものを、聖水と偽ってこの僕に飲ませ続けていたんだッ!」
「で、ですが、ブリザール様の試練は、『薄い聖衣だけを羽織った状態で、吹雪の吹き荒れる雪山を、ブリザール様のいる頂上まで、往復二時間も掛けて登る』というものなんですよ!? そんなのただの拷問じゃないですか!?」
そうなのだ。
だからこそ私は、毎日死ぬような思いで、ダリル殿下のために聖水を用意していた……。
「それがお前ら聖女の仕事だろうが!? それくらいしか価値がないんだから、黙って働けッ!」
こ、この人は……!
「わ、私には無理ですよぉ……」
「チッ、本当に使えないやつだ! あー、そういうわけだからアリエル、喜べ、お前をまた僕の婚約者にしてやる。僕のために、毎日聖水を用意するんだ。いいな?」
「――!」
そんな――!
そんなの絶対イヤ……!
だって……。
だって私は――。
「何だその顔は? まさか僕の命令に逆らうつもりじゃないだろうな?」
「……」
ああ、でも、ただの聖女に過ぎない私じゃ、王家の命令には……。
「そういうわけにはいかないな」
「「「――!!」」」
その時だった。
いつの間にか豪奢な衣装に着替えていたジョッシュさんが、突如広場に現れた。
あの胸元についている逆さ獅子の紋章は、王家のもの……!?
「あ……兄上……! 何故あなたがここに……!?」
「久しぶりだな、ダリル」
「「「――!?」」」
兄上!?!?
ま、まさか、ジョッシュさんの正体は……!
「今まで騙していて申し訳ございません、アリエル様。実は僕は、スタンリーの息子ではないのです」
「ジョッシュさん……」
そうか、どうりでジョッシュさんのお顔に、既視感があったはずだわ。
ジョッシュさんは、ダリル殿下にそっくりだもの……。
「改めて私からご紹介いたします」
スタンリーさんが一歩前に出た。
「このお方は、第一王子殿下であらせられる、ジョシュア殿下でございます」
「ぐ……ぐぐ……!」
ジョッシュさんが……ジョシュア殿下……!
ダリル殿下が恨めしそうな顔で、ジョシュア殿下を睨んでいる。
「ですが、ジョシュア殿下は一年前に、事故で亡くなられたはずでは……? ――あ」
この時私の頭の中に、それはそれは恐ろしい仮説が浮かんだ。
も、もしかして――。
「ええ、世間への発表ではそうなっていました。実際危うく僕は、命を落としかけましたからね。――僕は一年前、何者かの手によって呪いをかけられ、炎肉病を発症してしまったのです」
「――!!」
「本来なら呪いで即死するはずだったのでしょうが、呪いをかけた人間の腕が未熟だったせいで呪いの力が分散し、何とか炎肉病の発症までにとどまったのは、不幸中の幸いでした。おそらく呪いをかけた人間にも、僕に来るはずだった残りの呪い返しがいっていることでしょう」
「ぐ……ぐぅ……!」
氷のように冷たい瞳でダリル殿下を見下ろすジョシュア殿下。
そしてそんなジョシュア殿下を、ダリル殿下は炎のように燃える瞳で睨み返している。
「僕は犯人は身内にいると直感しました。僕が生きていることが犯人にバレたら、今度こそ殺されると予想した僕は、知己であったスタンリーに助けを求め、このニャッポリート領で匿ってもらっていたのです」
「……そうだったのですか」
まさか、そんなことが……。
「何故だダリル? 僕とお前は、血の繋がった実の兄弟じゃないか? 何故お前は、あんな愚かなことを……」
「うるさいうるさいッ!! あなたはいつもそうだッ! 知力、容姿、人望、全てにおいて僕に勝っていながら、そうやって僕たちは対等だみたいな顔をしやがってッ! それがどれだけ惨めだったことか……! あなたにはわからないんでしょうね……!?」
「……ダリル」
ダリル殿下……。
あなたがいつも何かに対してイライラしていたのは、そういうことだったのですね……。
「……いずれにせよ、これは国家反逆罪です。ダリル殿下、ニャッポリート領の領主、スタンリー・ボガードの名において、あなた様の身柄を拘束させていただきます。――連れて行け」
「「「ハッ」」」
「クソオオオオオオオオ!!!」
スタンリーさんの号令で、ダリル殿下は屈強な兵士たちに連行されて行った。
「えっ、私も!?」
ダリル殿下と合わせて連行されるキャシー。
まあ、あなたも聖女としての仕事を怠っていたのは事実だから、ダリル殿下ほどではないにしろ、何かしらの罪には問われるでしょうね。
「……ダリル」
連行されるダリル殿下の背中を、ジョシュア殿下は震える拳を握りながら、いつまでも見つめていたのだった――。
その日の夜。
ニャッポリート領は、ジョシュア殿下の炎肉病完治のお祝いで、村中が盛り上がっていた。
特に私は最大の功労者として、村中の人たちから感謝の言葉と共にお酒を注がれたので、流石に酔いが回った私は、一人村外れで酔いを覚ましていた。
「アリエル様」
「――!」
するとそこへ、不意に後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこにはまるで天使のようにお美しい、ジョシュア殿下が佇んでいた。
こんな人が実の兄だったら、嫉妬してしまうのも無理もないかもしれないと、ダリル殿下の気持ちも、ほんの少しだけわかるような気がした。
「そんな呼び方はもうおやめくださいジョシュア殿下。あなた様は我が国の第一王子殿下で、私はただの聖女に過ぎないのですから」
「いいえ、そういうわけにはまいりません。あなた様が僕の命の恩人であることは、紛れもない事実ですからね」
「ふふ、本当に、真面目な方なのですね」
それはこの半年の付き合いで、よくわかっていたことですけど。
「……アリエル様、僕はもう、あなた様無しの人生は考えられません」
「――!」
その時だった。
ジョシュア殿下が私の前でおもむろに、片膝をつかれた。
ジョ、ジョシュア殿下……!?
「どうかこれからも僕と人生を、共に歩んではいただけないでしょうか?」
「……なっ!?」
そ、それって――!?
「あなた様をお慕いしております。どうか僕の、妻になってはいただけませんか?」
「――! ジョシュア殿下……!」
炎のように熱い瞳で私を見つめながら、右手を差し出されるジョシュア殿下。
この時やっと、私も自分の気持ちに真正面から向き合うことができた。
私はもうずっと前から、ジョシュア殿下……ううん、ジョッシュさんに惹かれていたのだと――。
「――はい、喜んで。私もあなた様のことをお慕いしておりますわ、ジョシュア殿下」
私はそっと、ジョシュア殿下から差し出された右手に、自らの左手を重ねた。
「嗚呼、愛しています、アリエル様!」
「きゃっ!?」
感極まったジョシュア殿下に、ギュッと強く抱きしめられる。
ふふ、ジョシュア殿下の心臓、凄くドキドキしてるわ……。
……きっと私の心臓も。
「「――!」」
その時だった。
誰もいない方向から、ドーンという音を立てながら、一本の大輪の花火が夜空を彩った。
「あれは……いったい……?」
「ふふ、きっと、精霊様の、粋な計らいですわ」
明日フレディア様にも、お礼を言いに行かなくちゃね。
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