そっち側⑦
死神の世界に戻ってきて、真っ先にヘルは自分の部屋へと足を運んだ。
質素で無機質な死神になったヘルの部屋。机に椅子、それから睡眠を必要としない死神にとって単なる気休めとしかならないベッドも一応設置している。
雑に椅子に腰掛けるとギシッと軋む音が鳴る。まだ壊れるほどではなく、意外と丈夫なので少々乱暴に扱っても問題はない。
椅子に腰掛けた後はふうとため息をついて、先ほど受け取った手紙を懐からそっと取り出した。
【いつも】のように一通目をペリっと開くと一番上の行にはこう書かれていた。
「拝啓ストーカー様。…………ははっ」
真っ白な封筒に書かれたその宛先に思わず乾いた笑いが出る。
ストーカーからの手紙を怖がることなく返事も書くだなんて一体何を考えているんだ。
これはヘルや縁に宛てた手紙ではない。ストーカー宛。そんなの百も承知だ。
それでもそっち側にいる結衣との唯一の繋がりで、ヘルが素直になれるたった一つのやり取りだった。
心配になったのだ。自分のいない世界でちゃんと笑顔で生きていけるのかと。
『子供じゃないんだから』と言われそうだがそれでも構わなかった。
死んでから初めて彼女に声をかけられた時、ヘルは自分自身の耳を疑った。
どうしてそっち側にいる人間が死神である自分に声をかけることが出来るのだ。何故か目に見えていてこちらを認識している。それも佐倉結衣に。
きっと気のせいだ、自分は何か勘違いをしていて、これは夢なのだと会話に応じなかった。
そうすればすぐに諦めてくれると思っていた。
だが彼女は粘り強くヘルに声をかけてきた。
どうしてそんなに声をかけるのか。どうしてこんなに出会うのか。
話したい。前みたいにたくさん、話がしたい。
そんな思いが積もり積もってつい口から言葉がこぼれた。
それを彼女が拾ったことで接点を持ってしまった。
「ああ、ダメだな。全く」
もう引き返せないところまで来ている。
死神になった自分を認識してくれるから、会話をしてくれるから。
関わってはいけない。そんなこと百も承知でずっと会っていた。
「目的を見失ってはいけない……」
また『あんなこと』のためにと、何かの拍子で自分の精神が掻き乱れて手にかけようとするかもしれない。
いつも結衣と別れたあとに思うのは。
これで最後にしなくては。全部やめよう。ここに来るのも、会うのも、会話するのも、何もかも全部。叶えたい願いがある。それを叶えるために。
……そう思うのに。
彼女の笑顔を見ると止められなくてまた会いたくなって、声が聞きたくて思考がそこで停止する。だけど今日はっきりと分かった。
(……もう潮時だな)
結衣にあんな顔をさせてまで無理やり会うのは良くない。これ以上は悪影響を及ぼす。
(目的を見失うなヘル)
頬を二、三度強く叩き、気持ちを切り替える。
手紙を封筒へと戻し、無造作に机の上に置く。続けて二通目も読もうかと思ったが、まだまだやらなければいけない任務がたくさんあった。それらをこなして少し時間ができた後にでも見ればいい。手紙は逃げるわけじゃないのだから。
そうしてヘルは部屋を出ようとした時だった。
ビーッビーッと電子音が鳴り響く。
この世界に来て初めて聞いたそれは死神の世界で配布された緊急用の通信機の音だった。




