そっち側⑤
「し、に。神……さ、ん」
今にも消え入りそうなか細い声で後方から声をかけられる。死神さんと声をかけてくるのは世界中どこを探してもたった一人。この人だけなのだろう。
(……結衣)
振り向けばそこには不安そうな顔をした結衣が立っていた。視線を彷徨わせ、口は何か言いたげに小刻みに動く。死神の存在が恐ろしくなって、顔見知りの死神に声をかけてもいいのか悩んでいたのかもしれない。
それもそのはず。あんなことがあった後だ。
声をかけずに家の中へ入ることも、見なかったフリをして来た道を戻ることも、死神であるヘルから遠ざかることだって出来たはずだ。
だからもし彼女がそんな行動をとったら素直に受け止めようと思っていた。それが本来あるべき姿で、正しい距離感のはずだから。
なのに彼女はヘルに声をかけ、近づいてきた。近づいてきてくれた。
それならばヘルが離れる理由はない。
「どうしたの?」
真っ直ぐに彼女の顔を見ながらなんでもない風に声を声をかける。
今更過去を掘り返しても悲しい顔をさせるだけ。それにヘル自身はあの行動に後悔はなかったわけだし、堂々としていようと今この瞬間決めた。ヘルのなんでもない態度に一度目を見張ったがすぐさま安心した様子で結衣はヘルに応答する。
「ううん、ううん! なんでもない」
「結衣は今帰り?」
「そうなの。死神さんはまたニート? 暇だったりする?」
「ニートじゃないし、勝手に暇にするな」
こんな軽口を言い合っていたのも遠い昔のように感じる。
死神と人間のくだらない会話。ヘンテコな会話なのにこの時間がとても愛おしくてヘルは自然と笑みが溢れた。
「ねえ、お手紙を書いたんだけどまた配達お願いしてもいい?」
「配達って、ストーカーに?」
「もちろん」
「いや、当たり前じゃんって顔するのおかしいから」
会話をしながら当たり前のように玄関の扉を開ける。そして結衣はヘルがちゃんと家の中に入るまでドアを開けたままでいる。実態がないのだからドアにぶつかることはないのだが毎回律儀に。
そんな彼女に、ありがとうとお礼を言うと優しく温かな笑みを向けてくれた。
部屋まで続く廊下を結衣の後ろから着いていく。
ただそれだけなのに泣きたくなるくらいヘルの心を温かくさせた。




