そっち側②
名々井紬の周りには医者と看護師、そして彼女の父、母、兄が囲んでいた。
母はベッドの横の椅子に腰掛け彼女の手を取り、優しく撫でている。
その隣で父は母の肩をしっかりと支えている。
二人の後ろで兄は毅然に振る舞っており、泣くのを必死に堪えている様子だった。
いつもより心穏やかに過ごせる任務だからか、一番若い名々井紬がここにいる誰よりも先に逝ってしまうのか、と思った。
事故は突然だ。
殺人、自殺、病気、そういったものは大きさに関わらず、必ず前兆というものがある。だから対策を講じることをできる。
でも事故は突然訪れて、急に別れが来る。
朝、元気よく出かけていった彼女がこんな姿で帰ってくるなんて誰が思うだろうか。
覚悟なんてすぐにできるはずがない。
でも自分の心に鞭を打って、覚悟という準備をしなくてはいけない。
事故で死ぬ人より、見送らなくてはいけない人の心に負担がいくのは明白だった。
「紬」
紬の母が彼女の名前を呼んだ。
弱々しくか細い掠れたその声はすぐに消え入りそうだった。
「こんな、に……大きくなって」
小さい頃に手を繋いで一緒に出かけた思い出もたくさんあったはず。
いつの間にか高校生になって、あと三年もすれば成人となる。そんな娘が立派な大人の仲間入りを果たす瞬間を楽しみにしていたはず。
だがそれはもう叶わない。
ここにいる全員、分かっていた。
握り返してくれるかもしれないと期待を膨らませながら、紬の母はまだ温かいその手をゆっくりと撫でる。
もう何時間もそうやって期待していたが、紬は全くの無反応だった。
「母さん。俺、紬に言いたいことがあってさ。今言ってもいい?」
二人の後ろので毅然に振る舞っていた兄が突然そう言った。
断る理由もないため、母は頷く。
すると兄はそっと紬に近づき彼女と目線を合わせるためしゃがみ、声をかける。
「紬、ありがとう」
彼女にかけた言葉は感謝だった。
「正直、この状況に、なりたくなかった。でも…………」
でものあとが続かず声が震え、その瞳は涙で濡れていた。
伝えたいことがある。
だから必死に言葉を紡ごうとするが、この状況、そして訪れる現実に中々言葉が出てこなかった。
それでも今伝えないと絶対に後悔すると分かっていた。
だからどんなにみっともない格好でも声を発して伝えようと紬の兄は自分を奮い立たせた。
「……を。別れ、を、言う時間……っぉ、くれ、て、ありがとっ……」
『別れを言う時間をくれてありがとう』
事故であれば、生きている間に言えないこともある。
彼女は反応しないが、今確かに生きている。
もしかしたら最後のほんのひととき、感謝の言葉が聞こえていて、お礼を心の中で言っているかもしれない。
だから、ありがとう。
兄に続けて父も母も紬に感謝した。
「ありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」
「一緒に過ごしてくれてありがとう」
「最後に別れを言わせてくれてありがとう」
言葉は様々だが、それぞれがたくさんの想いを連ねた。
言っておかないと後悔するような言葉は思いつくがまま全て言った。
「あと一分」
時間というものは一定方向にしか流れない。さらさらとした砂のように地面に向かって一定の速度で落ちていくだけ。
そしてあっという間に残り一分を切る。
名々井紬の死のカウントダウンは始まっていた。
次第に脈拍が落ちていく。彼女の家族は分かっていた。だから動揺せず、その時をじっと見つめていた。
『嫌だ、死なないで』
そんな思いをグッと自分の中で殺しながらゼロになる時を待った。




