2 メアリの弱気
メアリが王城へ向かうと決まった途端、シュミット家の有能な使用人は迅速に動き始めた。
マクセンは書類をまとめて馬車の手配を、カリーナを筆頭にしたメイドたちはメアリの支度だ。
「さすがに今のドレスで王城へは行けませんからね。急いで準備を終わらせますから」
「ありがとう、カリーナ。でも……本当に特に用もないのに王城へ行ってもいいのでしょうか?」
されるがままになりながら、あまりにも簡単に決まってしまった王城訪問にメアリは戸惑いを隠せない。
しかしカリーナは鼻歌交じりでメアリにドレスを着せながらさらっと答えた。
「あのフェリクス様の婚約者ですから問題ありません。国王陛下からも認めていただいているのですから心配しなくても大丈夫ですよ」
メアリは王城での常識について知識でしか知らない。
王城というだけでまだ緊張してしまうため、勉強した通りに行動できるかはまだ自信がなかった。
メアリの中で王城は堅苦しく規律も厳しいイメージがあり、そう簡単には入城できない、という認識だ。戸惑うのも仕方のないことだった。
「ただ、メアリ様が好奇の目にさらされないかは心配ですけれど。まぁ、そこは私がお守りするのでご安心ください」
「カリーナも来てくれるのですか?」
「もちろんです! マクセンはまだ仕事の途中ですからね。メアリ様のお世話は私にお任せください!」
マクセンの名前を告げる際、一時的にカリーナの目が鋭くなったのは気のせいではないだろう。
うっかり忘れそうになっていたが、たしか彼が屋敷に戻ったのはおつかいのためだった。
つまり、カリーナが来てくれないとメアリは王城内を一人で歩かなければならなくなる。
いずれはそういうこともあるかもしれないが、今はまだ無理だ。まず道をほとんど覚えていない。
カリーナの様子からするに王城には慣れているようだし、メアリはとても心強く思ってホッと息を吐く。
そうこうしている間に、メアリの準備が整った。
上品な青色を基調としたドレスに身を包んだメアリは、いつもより少しだけ大人びて見える。
それでも、ほんわかとした容姿のおかげで美しいよりもかわいらしさが際立っていた。
「おぉ、メアリ様。よくお似合いですね! フェリクスのやつ、見られなくて悔しがるかも」
相変わらずマクセンは褒め上手な男だ。
メアリはそれを社交辞令だと受け取っており、フェリクスが本当にその程度で悔しがるとは思っていない。
(フェリクス様が優しいのは、私が彼の婚約者だからだもの)
勘違いしてはならない。
彼はメアリを好きなわけではないのだから。
メアリはふわりと微笑みながらわずかにキュッと拳を作る手に力を込めた。
「せっかくですし、フェリクス様にご挨拶だけでもしたら良いのでは?」
「わかってねーなぁ、姉さん。自分のいないところではどんな様子なのかを見るのが醍醐味じゃん」
「それはわかるけど、もしメアリ様が来ていたのに挨拶もなかったと知ったら、後でもっと面倒なことになるわよ」
「見つからなきゃいいんだよ」
「フェリクス様相手に? 無謀なことをするわね」
「まぁな。でもさ、見つかったとしても仕事の邪魔をしたくなかった、とでも言えばそう怒れないだろ?」
姉弟の会話を聞いて、それもそうだとメアリは納得する。
実際、メアリが来ていることがわかったらフェリクスに気を遣わせてしまう可能性は高かった。
「では、早速向かいましょうか。馬車の準備はできています。さ、こちらへ」
マクセンに促され、メアリはカリーナとともに用意された馬車へと乗り込んだ。
◇
王城へとやってきたメアリは、あっさり入城できたことに拍子抜けした。
何の用かくらいは聞かれると思っていたのだが、顔を見ただけで通してくれた上、頭まで下げられてしまったからだ。
(シュミット侯爵家の名前ってすごいのね)
メアリは改めて実感したが、そんな胸中など表には一切出さず、いつものほんわかとした笑みを浮かべている。
もはやこれは癖のようなものであり、そういうところが少しフェリクスに似ているのだが本人に自覚はない。
「あの突き当たりにある部屋で打ち合わせ予定なんです。来訪者が来たらわかるようにいつもドアが少し開いてるんで、うまいこと覗いてください! ってわけで姉さん、後はよしなに」
王城内をひたすら進み、途中で階段を上って長い廊下を歩いていると、急に振り返ったマクセンが笑顔でそんなことを言う。
あまりにも雑な作戦にメアリは唖然とするしかない。
「ったく、やっぱり丸投げしたわね。ほら、ただでさえ待たせているのだからさっさと怒られてきなさい」
一方、カリーナはわかっていたとばかりに弟の背中をバシッとひと叩きすると、マクセンはぶつくさ文句を口にしながら足早に部屋へ移動していった。
打ち合わせをする部屋へと入って行くマクセンの背を見送りながら、メアリは不安そうな声を出す。
「え、と。覗き見しろ、ってことですよね? 大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫ですよ。たとえ見つかったとしても問題にはなりませんから。婚約者に会いに来た、と言えばフェリクス様も怒れません」
確かに大丈夫なのかもしれないが、そう思われるのは非常に恥ずかしい。
メアリは絶対に見つからないようにしようと心に決めた。
「メアリ様、この辺りからならフェリクス様が見えるのではないかと」
二人は早速、扉の近くへと歩み寄る。
少しだけ開いたドアの隙間から中の様子が見えた。
なんだか悪いことをしているみたいで罪悪感があったが、メアリは少々ワクワクもしている。
(密偵ごっこみたいね)
密偵にしてはお粗末すぎるのだが、気分の問題だ。
室内には会議用の長いテーブルが置かれており、いつもの柔和な笑みではない真剣な顔のフェリクスが奥の席に座っているのが確認できる。
打ち合わせをするのだから当たり前なのだが、普段はあまり見ない姿にメアリの鼓動は高鳴った。
(あ、マクセンが叱られているわ)
どうやら、資料を持ってくるのがやけに遅いと言われているようだ。
マクセンは特に気にした風もなく謝っているが、自分のせいで遅れてしまったのだから申し訳なさもひとしおだ。
心の中でマクセンに謝っていると、こそこそとカリーナが声をかけてくる。
「どうですか? お仕事中のフェリクス様は」
「……ええ。いつも以上に凛々しく見えます」
「かっこいい、ですか?」
「えっ。そ、そうですね。かっこいい、です……」
メアリはじんわりと顔に熱が集まるのを感じながらフェリクスをじっと見つめて静かに答える。
愛する婚約者なのだからむしろ進んで「かっこいい」と言うべきなのだろうが、彼に恋するメアリが口にするには少々勇気のいることだ。
それが余計に真実味を帯びているのか、カリーナが微笑ましげに口角を上げているのがまた恥ずかしい。
実際、真剣な表情でスムーズに話を進めるフェリクスはメアリの目にとてもかっこよく映っていた。
もとより仕事のできる男性は素敵だと思っていたメアリだ。恋する相手のそんな姿を見てときめかないわけがない。
ない、のだが。
(自分がいかに子どもなのかを思い知らされるわね……)
自分が、社交界できっと素晴らしい令嬢なのだろうと噂されていることをメアリは薄々勘づいていた。
きっと噂には尾鰭がたくさんついており、メアリという存在はさぞ素晴らしいご令嬢になっているだろうことも予想がつく。
あれだけ有能なフェリクスの婚約者なのだから、周囲からそんな期待が集まることは予想ができていた。
メアリはきちんと理解したうえで覚悟を決めていたし、できる限りの努力もしている。
だが、改めてフェリクスの有能さを目の当たりにすると、釣り合わないという事実を突きつけられた気がして、胸がチクリと痛んだ。




