1 メアリのおモテになる婚約者様
お待たせいたしました!
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完結までひた走りますのでどうぞよろしくお願いします!
先祖代々、宰相職を務めているシュミット侯爵家。
いつでも丁寧で物腰柔らかな麗しき一人息子フェリクスを射止めたのは、ほんわかとした雰囲気を纏う素朴で愛らしい少女、ノリス伯爵家の三女メアリだ。
彼女は近衛騎士団副団長のディルクを父に持つ優秀な家系ではあるが、田舎の領地から出たことのない娘がなぜ選ばれたのか、とあらゆる噂が飛び交っている。
それはもう、良い噂も、悪い噂も。
しかし、二人の仲睦まじい姿を見た者ならば、誰もつけ入る隙などないことが一目でわかる。
あの次期宰相様が初めて見せる柔らかな顔を見れば黙るしかない者がほとんどだった。
というのも、これまでフェリクスはどんなに家柄の良い女性も、美女からの誘いも、その全てを隙のない笑顔を浮かべて断ることで有名だったからだ。
次期宰相様は色恋に興味がないのだ、という認識が広がるほど隙がなく、生涯独身を貫くのではと言われていたほどだった。
「おや、フェリクス卿。もう帰るのかね?」
「ええ。婚約者が待っていますので」
それがこの通り。
仕事優先だったはずのフェリクスは、今や婚約者を優先させるような男になってしまっている。
もちろん、まったく問題はない。
これまでのフェリクスはやり過ぎと言われるほど仕事ばかりをこなしてきたのだから。
むしろ婚約者のおかげでようやく少しだけ休む時間を作るようになってくれたと安心する者がほとんど。
貴族の者たち、特にフェリクスに憧れていた令嬢たちは揃って思ったことだろう。
メアリ嬢は、一体どんなご令嬢なのだろうかと。
あのフェリクスが溺愛するほどの人物だ、きっと素晴らしく魅力的であるに違いないと。
婚約お披露目パーティーが終わって四カ月ほどが過ぎた頃、その噂はさらなる噂を呼び、メアリは一躍時の人となった。
本人の、知らぬところで。
◇
大きなパーティーに国王との謁見。
立て続けに重大イベントをこなしたメアリは今、シュミット家でようやく束の間の穏やかな日々を送ることができていた。
いつものように朝から仕事に向かうフェリクスを見送り、朝食を終えた後のお茶を飲んでいると、慌てたように屋敷に戻って来たマクセンと遭遇した。
なんでも、急遽必要になった書類を取りに来たらしい。
「メアリ様、知ってますか? フェリクスって、王城内では特に女性からモッテモテなんですよ」
「突然ですね、マクセン。今、そんな話をする余裕があるのですか?」
だというのに、メアリに会って開口一番にこれである。メアリが目を丸くするのも当然だった。
マクセンはフェリクス付きの従者であり、能力は高いが自由過ぎるところがあるため、こうしてメアリに対しても友達かのように話しかけてくることがよくあった。
メアリとしても畏まられるよりずっと気楽なのでそれについて文句はない。
だが、仕事の合間にまで関係のない話をするのはどうなのだろうと思わずにはいられなかった。
しかも、メアリとしては今更そんなわかりきったことを言われても、といった心境である。
「これはまた手厳しいなー。メアリ様ってば、ちょっとフェリクスに似てきたんじゃないですか?」
「えっ」
「夫婦は似るっていうもんねー。いやー、お二人の仲が良くて従者としては嬉しい限りだ!」
まだ夫婦じゃないのだけれど、と思いつつも少し嬉しくなってしまったメアリは、にやけそうになるのをグッと堪えた。
「大丈夫ですよ、メアリ様。どうせついさっき会議が始まったばかりなので。次の会議が始まるまでに着けばいいんですから少しくらいのお喋りは問題ありません」
上機嫌に話し続けるマクセンは、どうやらメアリがほんのり頬を染めたことに気付いていないようだ。
内心でホッとしつつ、先ほど彼が言っていたことを改めて考えてみる。
(モテモテ、かぁ。働いている姿は特に素敵だろうし、当然かも)
思えば、彼が仕事をしている姿は見たことがない。
屋敷で使用人たちに接する態度や謁見の時の彼の姿などから仕事中の雰囲気を感じることはあるが、ちゃんと仕事をこなしている様子はまだ一度も見ていなかった。
ちょっと想像するだけでも素敵なのはわかる。
普段、何気なく過ごしている様子からしてすでに有能さが滲み出ているのに、それを遺憾なく発揮している姿なんてかっこよくないわけがないのだ。
王城ですれ違う女性たちがフェリクスの魅力を目の当たりにするのかと思うと、今さらだがメアリは心配になってしまう。
ちなみにフェリクスがモテすぎて心配というわけではない。
「……仕事中にアプローチなんてされたら、色々と大変そうですよね」
倒れるご令嬢がいるのではないかという少々斜め上からの心配だ。
「うはは! 話に乗ってきましたね? そうなんですよー! 女性の視線を思いっきり集めちゃうんで、仕事にならないこともあったりするんですよ」
しかし、マクセンの話を聞いてメアリはそれもあったかと納得した。
いくらフェリクスが有能で、周囲の視線を気にすることなく仕事ができる人だとしても、限度というものはあるのだろう。
熱視線を一身に集め、場合によっては倒れられ、きゃあきゃあと隠れ切れていない黄色い声を浴びでもしようものなら、集中力も途切れるというものだ。
「……ちょっと同情しました」
「えっ、嫉妬ではなく?」
メアリとて嫉妬の気持ちがないわけではない。
だがそれ以上に、仕事に支障をきたす日常を過ごしているのはかわいそうという思いのほうが強かった。
それをマクセンに告げると「優しいんですねぇ」とからかわれる。
メアリは少しだけ睨んだが、マクセンはどこ吹く風で朗らかに笑うばかり。
普段からフェリクスの嫌味を浴びているマクセンにとって、メアリからの視線の抗議などそよ風でしかないらしい。
「メアリ様、ちょっと見に行きません? 愛する婚約者様のかっこいい姿」
思わぬ提案にきょとんとしてしまったメアリだが、見たいか見たくないかで言えば答えは決まり切っている。
「そう、ですね。普段は見られないお姿なのでしょうし、見てみたいです」
答えた後のマクセンのニヤッとした顔が妙に癪に障ってメアリはスッと目を逸らした。
本来なら、屋敷でいつも見ているフェリクスの姿こそ他の者が見ることのできない貴重な姿なのだがメアリに実感はない。
婚約者と一緒にいる時のフェリクスは信じられないほど優しく、穏やかな空気が流れており、それこそがメアリにとっての「いつものフェリクス」なのだから。
(真剣なお顔で、手際よく仕事をこなすのでしょうね。まさしく完璧な次期宰相様なのだわ……)
マクセンに乗せられたメアリはまんまとその姿を想像してしまう。
最近は屋敷での生活にも慣れ、勉強のペースも落ち着き、暇を持て余す時間が増えているのも乗り気になる要因だった。
「では行きましょう! 一緒に、王城へ!」
「……えっ、今から!?」
だが、あっさりと告げられた誘いの言葉には戸惑いの声を上げるしかない。
あまりにも突然過ぎではなかろうか。
「思い立ったら即行動ですよ、メアリ様!」
やや強引なマクセンに流されるように、結局メアリは彼と共に王城へ足を運ぶことが決まってしまった。




