38 フェリクスの羞恥
「メアリ、ご感想は?」
謁見の間を出て、しばらく歩いたところでフェリクスが問う。
訓練場までの道は外廊下を通った先にあるため、騎士が訓練中の今は人がほとんど通らない。
周囲に人がいなくなったところで声をかけたのだ。
そのおかげか、メアリもだいぶいつもの調子を取り戻しており、ふわりと微笑んでいる。
「緊張しましたが、陛下がとても親切にしてくださいましたのでどうにか……」
「そうですね。陛下はメアリを歓迎してくださっているのでしょう。王都に慣れていないメアリのことを心配もしていると思いますよ」
「ええ、そんな雰囲気を感じ取りました。なんだか畏れ多いのですけれど、ありがたいことです」
メアリの人から愛されやすい体質が良い方へと働いてくれたのだろう。
本人にしてみれば、子ども扱いされやすいこの外見には不服な部分もあるのだろうが、今回ばかりは助かったといえるのではなかろうか。
「ともあれ、今日のノルマは終えました。あとは気兼ねなく見学しましょう。騎士団の訓練場まではもう少しですよ」
フェリクスとしても、かなり良い形で謁見を終えられて心底安心していた。
メアリなら察してくれるとは思っていたが、期待通り国王の気遣いをわかってくれたし、国王も国王でメアリを気に入ってくれた様子なのだから。
(陛下が気にかけている娘だというだけで、かなりのけん制になるからな)
これで王城内はもちろん、王都周辺に住む貴族たちからも変なちょっかいは出されないだろう。
些細な嫉妬や嫌がらせなどはあるかもしれないが。
「あの、フェリクス様」
満足げにそんなことを考えていると、メアリが心配そうな顔で声をかけてきた。
まだ何か不安なことでもあるのだろうかと顔を向けると、申し訳なさそうに言葉を続けてくる。
「お仕事がおありなのでしょう? その、私のせいでお時間を割いてしまっていませんか?」
予想外の心配事に、思わず呆気に取られてしまった。まさかこちらの仕事のことを心配されるとは。
有能すぎるフェリクスにとって、そういった類の心配はいまだかつてされたことがない。
今回、ノリス家に滞在することで一カ月も王都を離れた時でさえ、万全すぎる対策を施したおかげで誰からも何も言われなかったのだ。
文句を言うのは、自分が困ると主張する王太子くらいである。
(新鮮だな……だが、悪くない)
これがメアリでなければ、何様のつもりだとしか思わないだろう。
は婚約者に心配してもらえるというだけで感じ方も変わるらしい。
フェリクスは新たな事実を知って穏やかに笑った。
「ご心配いただきありがとうございます。ですが、王太子殿下から半休をいただきましたので大丈夫ですよ」
フェリクスがそう告げても、結局はあとで忙しくなるのではないかと心配顔のメアリに、より愛おしさが募っていく。
彼女に半歩ほど近付きその手をそっと取ると、フェリクスは流し目を向けてさらに続けた。
「メアリの案内をすることで、仕事を少しサボれるのですよ」
仕事をサボるというおよそ似つかわしくない言葉を聞いて、メアリはきょとんとした顔になる。
彼女にしては珍しく、言いたいことがすべて顔に出ているのが面白い。
さらに面白いのは、メアリがそれを隠すことなくストレートに伝えてくることだ。
「意外です。フェリクス様は仕事がお好きなのでは?」
「心外ですね。確かに仕事人間である自覚はありますが、やりたくない仕事も多いのですよ」
仕事はあくまで仕事。
相応の給金を貰っているからこそ、きっちりこなしているに過ぎない。
素早く完璧に仕事をするのは、その分の時間を無駄にしないためでしかないのだ。
加えて他者からの評価も上がるのだから頑張るのは当然である。
そもそも王族に対する忠誠心がそれなりに高いため、仕事において手を抜くなど言語道断だ。
「それもそうですよね。すみません。仕事が趣味なのだとばかり思っていました」
ますます心外である。フェリクスにだって趣味はあるというのに。
読書や乗馬、他にも武道の鍛錬で汗を流すのも好きだ。
そんなに自分は趣味がなさそうに見えるのだろうかとわずかに眉根を寄せつつ、本音を胸の奥に押し込んだままフェリクスは言葉を返した。
「ただ、目の前の仕事が片付かないと落ち着かないだけです」
「ふふっ、では無理にでも休息の時間を作るべきですね。そのための助力は惜しみませんよ。時々、フェリクス様のお時間をいただくことにします」
「お気遣い痛み入ります」
拗ねるようなことでもない。相手は十も年下の少女なのだから。そう思っていたのだが。
「その時は、フェリクス様のご趣味を教えていただきますからね」
メアリには、お見通しだったらしい。
あまり知られたくはない部分を見透かされたようで、フェリクスは羞恥にじわじわと顔が熱くなっていく。
(ああ、まいったな。メアリがいると情けなくなることばかりだ)
今の自分は、目に見えて顔が赤くなっているだろう。
そのことが余計に恥ずかしく、フェリクスはとうとう手で口元を覆った。
本人に自覚があるかどうかはわからないが、今の彼は首元まで赤くなっている。
隣で立ち止まり、驚いたように自分を見つめてくるメアリの視線もヒシヒシと感じていた。
「……あの」
「何も言わないでください」
今、何か言われても反応ができない。
それどころか、余計に醜態をさらす気しかしないのだ。
そのため、失礼を承知でメアリの言葉を遮るように言い放ってしまった。
ただ、彼女は察する能力の高い子だ。
気を悪くするようなことはなく、むしろ小さくクスッと笑ってフェリクスから視線を外してくれている。
その気遣いもまた、フェリクスを居た堪れない気持ちにさせるのだった。




