37 フェリクスとメアリの謁見
話がついたちょうどその時、馬車が王城の前に到着した。
前に来た時のようにフェリクスがエスコートしながら城内を進む。
時折、騎士たちがメアリに目を奪われているのが気に入らなかったため、その都度、氷点下を思わせる冷たい眼差しで撃退していく。
騎士たちにとって、今日は災難な日である。
だが、つい見惚れてしまうほど今のメアリが愛らしいということでもある。
その点についてだけは認めてやってもいいとフェリクスは一人で頷いた。
「メアリ、深呼吸をしてください」
「は、はい」
いよいよ、国王の待つ謁見の間にやってきた。
先ほどから何も喋らなくなっていたメアリにフェリクスが一声かけると、震えた声が返ってくる。
言われた通りに深く深呼吸をしたメアリは、ようやく微笑みながらフェリクスを見上げた。
「私、笑えています?」
「もちろん。とても愛らしいですよ」
「そ、そういうのはいいですからっ」
普段ほんわかとした雰囲気を崩さないメアリの、余裕のない姿が実際とても愛らしく見えてしまうのだ。
フェリクスの言葉は本心である。
傍から見ればいちゃついているようにしか見えないそのやり取りに、扉の前に立つ護衛騎士たちがなんとも言えない顔になっている。動揺しているようだ。
恐らく、噂では次期宰相様が婚約者を溺愛していると聞いてはいたのだろう。
だが、普段のフェリクスを知っていればいるほど、そんなものはただの噂だといって信じない者が多い。
特に、王城や王宮で働く者は大多数がそんな認識であった。
だからこそ、実際に溺愛している様子を目にして動揺しているのだ。
本当にそんなことがあり得たのか、と。
「なにか?」
「い、いえっ!」
にっこりと含みを込めた笑みを向けられ、騎士たちは慌てて姿勢を正す。
それから規定通りの文言を口にすると、謁見の間へと続く扉を厳かに開けた。
騎士に先導され、中ほどまで進む。
陛下のいる玉座から少し離れた位置で止まると、二人は揃って頭を下げた。
「畏まらなくてもよい。顔を上げてくれ、フェリクス卿。そして、メアリ嬢も」
国王の許可を得て、二人はゆっくりと上体を起こす。
国王が自分を「卿」と呼ぶということは、今は公式の場だということだ。
たとえ親しげに話しかけられても、言葉には気を付けなければならない。
「時間を設けるのが遅くなって悪かったな」
「いえ。こちらこそお忙しい中、我々のためにお時間を割いてくださったこと、感謝の念に堪えません」
美しい所作に、穏やかな声色。隙のない姿を見せるフェリクスに国王の口角が上がる。
「先日の夜会でも少し触れたが……此度の婚約、良縁に恵まれたようだな」
「ええ、陛下のご温情のおかげで」
国王が候補の中に三女メアリを入れてくれたからこそ、今がある。
そのことについて感謝しているのは確かだ。
ただ、そもそも厄介ごとを押し付けてきたのは親であり、国王もそれに一枚噛んでいる。
そのことに対するフェリクスのちょっとした意趣返しの言葉は、きっちり刺さったようだ。
国王は困った子どもに向けるような目でフェリクスを見ると、片眉を下げつつ喉の奥でくつくつと笑った。
「それは良かった。だが、強引に話を進めることになったのは私のせいだろう。謝罪をするべきかな? フェリクスよ」
自分への呼び方が変わったことで、フェリクスもにやりと笑う。
ここからは、フェリクスの返答次第で国王が謝ってくれるのだろう。
「いえ、必要ありません」
だが、フェリクスの答えは早かった。
結果論ではあるのだが、フェリクスはメアリと出会えて、自分にぴったりな婚約者と出会えて、心底良かったと思っているのだから。
とはいえ、もしメアリのような女性と出会えていなければ、ここで恨み言の一つや二つは言っていたかもしれない。
「そうか。……メアリ嬢はどうかな? 謝罪は必要だろうか」
「いえっ、滅相もございません」
「そう恐縮するでない。今なら本音を話しても咎めぬぞ?」
突然話を振られたメアリは、ビクッと肩を揺らして条件反射で答えたように見える。
自分の影響だとわかっているからだろう、国王は娘に向けるような声色で優しく問うていた。
そうは言っても、メアリのことだ。素直には答えられないだろう。
せっかくだからと、フェリクスも背中を押してやることにした。
「一国の王から謝罪してもらえるチャンスですよ。もう二度とないかもしれません」
「わっはっはっ! その通りだな! どうだ、メアリ嬢。文句の一つでも言いたかろう。遠慮などいらぬぞ!」
突然変わった雰囲気に、メアリは一瞬だけきょとんとした後すぐに肩の力を抜いた。
恐らく、ちゃんと察してくれたのだろう。
人を見る目が鋭く、周囲の状況を把握する力が優れていても、王族が相手だとそう簡単に態度を変えられないものだ。
だからこそ、今なら大丈夫だとわかりやすく伝えてやる必要があった。
「ありがとうございます、陛下。ですが、謝罪など不要です」
おかげで気負うことなく言葉を返すことができている。
返事は予想通りのものだったが、いつものほんわかとした雰囲気が漂っているのでそれだけでも十分と言えよう。しかし。
「むしろ、お礼を申し上げたいくらいですから。こんなに素敵な方と出会う機会をいただけましたので……本当に感謝しております」
続けられた言葉にはじわじわと耳が熱くなってくる。
これが対外的なものであるということはわかっているのだ。
メアリは国王の前で、愛し合う婚約者を演じてくれているのだと。
(勘違いするんじゃない。メアリの言葉がそういう意味じゃないことくらい、わかっているだろう)
何度も自分に言い聞かせはするものの、込み上げてくるのは喜びだった。
フェリクスは自分が、勘違いで喜ぶような愚かな男であったことに愕然とする。
それでもにやけそうになる自分が情けない。思わず拳で口元を隠してしまうほどだ。
そんな二人を見て、国王はほう、と目を軽く見開いた。
珍しいフェリクスの姿を、国王は恋愛小説が大好きな王妃に後で知らせてやろうと心に決めた。
「寛大な二人に感謝せねばならないのはこちらの方だ。フェリクス、メアリ嬢。今後、何か困ったことがあればいつでも言うがよい」
国王のどこか慈愛に満ちた眼差しに訝しみながらも、フェリクスは再び頭を下げる。
まさか自分たちの行く末を、小説でも楽しむかのように見られていることなど知る由もない。
こうして、メアリ初めての謁見は実に和やかに終えたのである。




