33 フェリクスの婚約パーティー
お披露目パーティーの日は、あっという間にやってきた。
黄色のドレスに身を包んだメアリはとてもかわいらしく、耳にはフェリクスから贈られたグリーンガーネットのイヤリングが揺れている。
その他のアクセサリーはイヤリングに合わせて揃えられており、宝石は全てフェリクスの瞳の色だ。
おかげで、一目見てメアリがフェリクスから愛されていることがわかる。
もちろんそれも計画の一部だ。
皆が二人を愛し合う恋人だと認識してくれるための小道具ともいえよう。
ただ、メアリへの気持ちに気付いたフェリクスとしては少しばかり複雑な気持ちが残る。
まぁ、それさえも利用してやろうという考えではあった。
パーティーは滞りなく進行していく。
常にほんわかとした笑みを浮かべるメアリの胆力はさすがだったが、表向きの顔に自分だけは騙されてはならない。
(大勢の人の前で紹介された時も、ダンス中も、手は冷えていたからな)
人々から注目されたダンスを終えた後、フェリクスはメアリを会場の端の方へと案内した。
社交の場に慣れていないであろうメアリを気遣ってのことだ。
「堂々とした振舞いに素晴らしいダンスの腕前。さすがはノリス伯爵家のご令嬢ですね、メアリ」
この言葉に嘘はない。
失礼ながら、もっと色々なことが未熟だと思っていたから素直に驚いたのだ。
事前に、メアリが意外にもマナーやダンスをしっかり習得していたことを知ってはいたが、練習と本番では勝手が違うもの。
この若さで、初めての本番でも落ち着いた様子で振舞うメアリはかなり優秀だった。
「田舎暮らしでも、必要になった時に恥ずかしくないようにと幼い頃から一通り仕込まれていたのですよ。それが役に立つ日が来るとは思っていませんでしたけれど」
つまり緊張していても動けるほど身に付いているのは、幼い頃からの努力の賜物だということだ。
ディルク副団長の方針だったという。
「素晴らしいことです。それでも、こういった場は初めてなのですよね? お疲れではないですか?」
「実は……緊張で喉がカラカラです」
恥ずかしそうにしながらも、正直に告げるメアリにフェリクスは目元を和らげる。
何か飲み物でも渡そうかと周囲を見渡すも、この辺にあるのはアルコールばかりだ。
「少しここで待っていてください。ノンアルコールのドリンクを持ってきますから」
「えっ、それなら私が……」
「……ヒールの靴が、少しお辛いのでは?」
メアリの耳元に顔を近付けてヒソヒソと告げると、メアリの肩がビクリと跳ねた。どうやら図星のようである。
フェリクスは小さく微笑むと上体を起こして言葉を続けた。
「婚約者になってくれたメアリには、これでも本当に感謝しているのですよ。ですからどうか、僕にもっと頼ってください」
「……では、その。お願いします」
「ええ。お任せください」
恥ずかしいのかほんのりと頬を赤くするメアリに、心が浮き立つのを感じる。
自分は思っていた以上にメアリを好いているようだとフェリクスは実感した。
人を好きになると世界が変わって見えると聞いたことはある。
実際どうかというと、未だにそれは大げさではと思うのだが。
(メアリが以前より愛らしくみえるのは確かだ。着飾っているからかもしれないが)
それでも、この男にしては浮かれているといえよう。
フェリクスはそっとメアリから離れ、ノンアルコールの飲み物を探しに人混みの方へと足を向けた。
時折、他の貴族たちから祝いの言葉をかけられて時間を取られたが、今のフェリクスは機嫌が良い。
祝いの言葉にも笑顔でお礼を告げる余裕があった。
しかし、ご令嬢に囲まれかけたのはいただけない。
婚約者ができたと発表したばかりだというのに、熱のこもった目を向けながら近寄って来る神経がわからなかった。
これまではそんなご令嬢たちにも、角が立たぬよう笑顔でのらりくらりと対応していたが、今日からは違う。
もう、遠慮なんていらないのである。
「婚約者が待っていますので」
自分でも驚くほど冷たい声が出た気がする。
フェリクスに近付いてきた令嬢たちは揃って顔を青ざめさせていた。
よほど空気の読めない令嬢でもない限り、今後の距離感を間違えることはないだろう。
これまで鬱陶しいと思いながらも我慢するしかなかったフェリクスは、清々しい気持ちでいっぱいだった。
だが、そういった令嬢たちの行動はフェリクスの周囲だけで終わるものではなかったらしい。
飲み物を持ってメアリの下へ戻る途中、彼女がご令嬢たちに囲まれている姿が目に入ったのだ。
(あれは……ペンドラン侯爵家のご令嬢だな。最もしつこかった女だ)
もしかしたら、ただ挨拶をして交流を深めているだけかもしれない、などという希望は抱かない。
派手なドレスに身を包み、扇子を広げて口元を隠しながらメアリの前に立つ女性には覚えがあったからだ。
その派手な女性は同じ侯爵家の娘とあって、フェリクスの相手にどうかと猛アピールされ続けたご令嬢だ。
フェリクスの中で彼女は、お洒落やお茶会、社交界での立ち位置ばかりを気にする頭の悪い女代表である。
むしろ、彼女が家族ぐるみでしつこかったからこそ、頭の悪い女をより毛嫌いするようになったといっても過言ではない。
いくら大々的に婚約者を披露したとはいえ、その程度で諦めるかは不明だ。
少なくとも、メアリに対して嫌味の一つや二つは言う可能性が高かった。
(少し様子を見るか)
すぐにでも間に入りたいのは山々だが、タイミングを誤れば「ただ挨拶していただけですわ」と言われるのが目に見えている。
メアリには申し訳ないが、確実に侯爵令嬢を撃退するには気付かれぬように話をしっかり聞いておく必要があった。
フェリクスは少しだけ迂回して侯爵令嬢たちの背後に忍び寄り、近くの柱に身を隠す。
彼女はいつも通り、取り巻きの令嬢三人を引きつれてメアリに話しかけているようだ。
他の家のご令嬢に圧力をかける時の常套手段である。
「フェリクス様は一体、あなたのような平凡で地味な田舎のご令嬢のどこがお気に召したのかしらね?」
最初からわかりやすい嫌味が耳に飛び込んできた。
ある意味、期待を裏切らない令嬢である。
声色にもメアリを馬鹿にしたような響きを感じ、フェリクスはメアリに駆け寄りたい気持ちをグッと堪えた。
「ノリス領はとても自然豊かな場所なのでしょう? のびのびとお育ちになられたようで、とても素朴なご令嬢ですわね。王都にはまだ不慣れでしょう? 色々と、教えてさしあげますわ」
田舎者は帰れ、さもなければ王都式貴族の洗礼を受けさせてやる、という意味である。
あまり遠回しにもなっていない嫌味に、もう少し捻りようがあるだろうに、とややズレた感想を抱いてしまう。
それに、いちいち動きが鼻につく。
ずいぶんと自分の美しさに自信があるようで、侯爵令嬢は豊満な胸や輝く金髪、身に付けているドレスや装飾を強調したような所作が多いのだ。
彼女の中では美しさがステータスなのだろう。
眉間にシワが寄るフェリクスだったが、メアリがいつも通りのほんわかとした雰囲気を崩していないのが救いだ。
「ありがとうございます。それにしても、ご令嬢はとてもお美しいですね。王都の方は誰もが皆さんのようにキラキラと輝いているのでしょうか」
「えっ」
そんな余裕の態度を見せるメアリから告げられたのは、真っ直ぐな褒め言葉であった。
メアリの言葉には邪気がない。まるで心の底から、本気でそう思っているかのようだ。
メアリのことを知るフェリクスとしては、純粋に褒めただけとは思わない。
だが、そう思わせる雰囲気がメアリにはあった。
先ほどまで上から目線でメアリを見ていた取り巻きの令嬢たちは、満更でもない様子でニヤニヤと頬を緩ませている。実に扱いやすい者たちのようだ。
「それから、自分のどこをお気に召したのか、ですけれど。実は私にもわからないのです。きっと幸運だったのでしょう。もし良かったら、皆さんがフェリクス様に聞いてくださいませんか? 自分で聞くのは……恥ずかしいので」
だがさらに続けられた言葉に、彼女たちはピシリとその動きを止めてしまった。
侯爵令嬢でさえ、先ほどまでの自信たっぷりな笑みを引きつらせている。
まさかそうくるとは思ってもいなかったのだろう。
しかもメアリはそっと頬に手を当て、恥ずかしそうに俯いている。
これでは気の強い令嬢に囲まれた、純粋でか弱い令嬢にしか見えない。
誰もがメアリを助けたくなる図となっていた。
本当はそこまでか弱くはない。
家で大人しくしているよりも、乗馬などの身体を動かすことの方が好きな、それなりに体力のある子だ。
加えて精神面も落ち着いており、意外と図太い方である。
しかしメアリの外見しか知らぬ者からするとそうは思うまい。そのことは、メアリにも自覚があるはずだ。
彼女はフェリクスと同じように、自分が周囲からどう見られているかを利用して立ち回っている。
メアリには間違いなく反撃の意図があるが、それを周囲の誰にも悟らせていなかった。
(心配はいらなかったようだな)
お見事な撃退術に、改めて感心してしまう。
演技の腕前も申し分ない。
自分も負けてはいられない、と小さく笑みを浮かべたフェリクスは、ようやく彼女たちの前に姿を現した。




