32 フェリクスの自覚
朝食後、身支度を済ませた二人はすぐに街へ向かう。
シュミット家の街乗り用馬車に乗り込み、商業区で下ろしてもらうのだ。
そこからは徒歩で店を回ることになる。
貴族が買い物をするような店が並ぶ通りであれば常に馬車でも問題ないのだが、目的地が庶民向け商業区域にある調理道具の店なのだから仕方ない。
それこそが、メアリの頼みごとであった。
「やっぱり、注目されていますね」
「この辺りで貴族がうろつくのは、そこまで珍しいことではないのですけどね」
珍しくはないが多くもない。そんな通りをシュミット家の息子が歩いていればどうしても視線を集めてしまう。
特にフェリクスは自他ともに認める美形なのだから。
見目麗しい身なりの良い男性というのは、歩いているだけでも目を引くらしい。
道行く人たちは男女問わず、皆フェリクスに目を奪われている。少なくとも、全員が二度見はしているだろう。
そんな光景に、何か言いたげな視線を隣からヒシヒシと感じる。
見つめてきたメアリは特に言い淀むでもなくストレートに告げた。
「フェリクス様が目立つからでは?」
「そうかもしれません。ただ僕にとってはいつものことなので、なんとも」
ともすればナルシストにしか思えない発言も、フェリクスが言えば嫌味にすらならない。
恐らくそれを自慢しているわけでもなく、ただの事実として語るからだろう。
メアリは、いつもこんな視線を集めてしまうフェリクスに、同情した目を向けていた。
「特に今は、メアリが隣にいますから」
「……女性と一緒にいる、というだけで大事件みたいですしね」
「まぁその通りなのですが、当事者でもあるメアリから言われると複雑ですね」
ちなみに、そんな美形の隣を歩くメアリはいつも通りのほんわかぶりを発揮しており、まるで他人事のようにクスクス笑っている。
その精神力の強さは頼もしい限りなのだが、ここまで注目されるようなことなど初めてのはずだ。
緊張してしまっていないか、そしてそれを隠していないか。それが気掛かりだ。
フェリクスはメアリほど察する力がずば抜けているわけではないため、彼女が内心でどう思っているかまではわからない。
だが、少なからずストレスは溜まるのではないか。
せっかく気晴らしのために街に来ているのだ。
なんとかしなければとフェリクスはすぐに行動した。
「メアリ、少し失礼しますね」
「え?」
右側を歩いていたメアリの肩を引き寄せ、自分が右側に立つように移動する。
さらに道の端に寄って、フェリクスは半歩ほどメアリの後ろを歩いた。
こうすれば、小柄な彼女は自分に隠れて視線が集まりにくくなるだろう。
「……ありがとうございます」
些細な配慮を、賢い少女はすぐに気付いてくれたらしい。
こういうところが、やはり好ましいのだ。フェリクスの目元も自然と和らぐ。
「気休め程度ですけどね。まぁ、いつかは慣れてもらわなくてはならないのですが」
心音が速くなる。
妙に胸がざわつく。
それらを誤魔化すため、澄ました態度で素っ気なく返してしまう。
原因が何かなど、フェリクスにだって本当はわかっていた。
「嫌でも慣れると思います。フェリクス様とは、これからずっと一緒にいるわけですから」
心臓が、一際大きく鳴った。
そうだ、メアリとは一生を共にする。
婚約し、結婚するとはそういうことなのだから。
初めて知ったわけではない。
そんなこと百も承知でノリス家へと向かったし、メアリを選んだ時すでに覚悟も決まっていた。
(それなのに、どうして特別な響きを持って聞こえるのだろうか)
これからずっと一緒にいる。
メアリから言われた、たったそれだけの言葉がフェリクスの心を揺さぶるのだ。
(認めるしかないな)
この年の離れた賢い少女に、自分がどうしようもなく惹かれているということを。
「それもそうですね」
ただ、伝えるのは今ではないだろう。
メアリにとっては、利害の一致で婚約しただけの相手なのだから。
知り合ってからまだ間もない上、彼女は自分の容姿や立場などにも興味がない。
(今、思いを打ち明けたとしても負担にしかならないだろう。まったく……)
これまでは何もしなくともフェリクスは周囲の人々から好かれてきた。
笑顔を振りまいて良い仕事をし、品行方正で物腰柔らかくしていれば勝手に人が集まってくるのだから。
特別な努力など必要なかったし、誰かに好かれようと苦労したこともない。
(面白い)
だからこそ、未だかつてない高揚感を覚えている。
いつか必ず、メアリの方から自分を求めてくれるような男になってみせようじゃないかと。
フェリクスは、思い通りにならないほど燃えるタイプであった。
「フェリクス様、なんだか楽しそうですね?」
目的の店に入り、棚に並ぶ商品を楽しそうに見ていたメアリがふいに声をかけてくる。
手には泡だて器や計量カップといったお菓子作りに必要な道具が握られており、心なしか目も輝いていた。
恐らくうっかり商品を見るのに夢中になっていたところ、フェリクスの様子が気になって我に返ったのだろう。
そんな時、どこか楽しそうに口角を上げるフェリクスが目に入ったものだから、メアリも安心したのかもしれない。
フェリクスは、メアリの期待に応えることにした。
「ええ。こういった店には初めて来ましたから。興味深いのですよ」
「それは良かったです! 実は、フェリクス様は調理道具なんて見てもつまらないかもしれないと心配だったのです」
「杞憂ですね。どうぞ、ゆっくりと見てください。それにたとえそうだとしても、今日はメアリの気晴らしのために来ているのですから気にすることはありませんよ」
「そういうわけにはいきません! ここを出たら、次はフェリクス様の行きたい場所に行きましょうね」
律儀なことである。だが、そういうことならお言葉に甘える方が良いだろう。
気持ちを自覚した後のフェリクスに恐れるものは何もなかった。
調理道具を購入した後、計画通りフェリクスはメアリを宝飾店へと連れて行った。
「……あの、フェリクス様の行きたい場所に行くのでは?」
「僕が行きたかった場所ですよ?」
「で、でも、私の物を見ていません?」
もちろん、そのつもりで来ているのだ。
メアリの質問にニコリと微笑みで返したフェリクスは、店員に声をかけてグリーンガーネットのアクセサリーを持ってこさせた。
「言ったでしょう? いつかお返しをさせてくださいと」
「言いましたけど……お菓子のお返しとしては高価すぎるかと思うのですが……」
「金額よりも気持ちですよ。さぁ、メアリ。どんなデザインがお好みですか?」
恐らく遠慮するだろうと見越したフェリクスは、気に入るものがなければ全部購入すると先手を打った。
そんなことを言われては、今ここで決めるしかなくなるだろうと。
思惑通り、メアリは並べられた中から一つ選んでくれた。
こうしてフェリクスは、半ば強引に己の瞳の色と同じ緑の宝石がついたイヤリングをメアリに贈ることに成功する。
実は事前に、この店にはメアリが着る予定のドレスを伝えてあった。
店員はそのドレスに似合うデザインのものをメアリの前に並べてくれたというわけである。抜かりはなかった。
(贈り物は一度にたくさんより、こまめに一つずつが効果的だ)
その他、メアリが目を奪われた宝石やアクセサリーをしっかり記憶しておくことも忘れない。
経験の少なさを補って余りあるフェリクスの知識と記憶力は、こうして遺憾なく発揮されるのであった。




